さっき買い物ついでに近所の公園に寄ってまだ8割方散らずに咲き誇っている桜を眺めながらしばらく散歩した。
東京で4月も10日を過ぎてまだ花見ができるなんて、随分異例の年だと思う。
草木の茂間に落ちてた赤いボールにはshining starと書いてある。
ボールを拾って空高く投げてはキャッチする遊びを一頻りした。
楽しい。
この春は道端の蒲公英がすこぶる元気で、大きく全力の黄色で咲いていて、少し遠くから見ているだけでも明るい気持ちにさせられる。お花屋さんの綺麗な花束もいいけれど、蒲公英のような草花もいい。元気のない人の見舞いに沢山摘んで持っていきたいほどだ。
そんなことを思いながら歩いていたら、急に踊りたくなった。
坂尻あいちゃんというシンガーが歌うグレース・ヴァンダーウォールの『Beautiful Thing』で。
買い物袋を草原に放り出す。
iPhoneから音楽が流れ始めたら、自動的に身体が動き始める。この曲を聴きながら踊るといつの日か妖精だった頃の自分を思い出す。草原を飛び跳ねてると、今の肉体から魂はするりと抜け出してどこかへ行ってしまうんじゃないかと心配になるほど自由になってしまう。
Beautiful Thingは本当に最高の曲だ。
グレースと坂尻あいちゃんの存在の純粋性あってこその共鳴だと思う。
私はシュリの肉体を通して妖精として踊った。
大地の上で踊ることのできる手足があることの喜びに満たされていた。
気づきの波が次から次へと私の浜辺へ打ち寄せては返っていく。
私は今、この地球で自分が本当にやりたいことをやっている。そしてこれからも命ある限りやりたいことをやっていくのだろう。自分が気が済むまで何度も何度も同じことを繰り返せる自由がある。今世はあるのだ。
2009年に書かれた金星からのメッセージを最近読み返した。今ではそこに書かれている内容のほとんどが理解できる。この魂が金星と縁があることも関係しているだろう。
その日は来る。
かぐや姫が月に帰って行ったときのように、その時人間を生きた私のすべての記憶が消えてしまうとしたら、今という時の一瞬一瞬を愛おしんで生きていたい。
大切な瞬間を二度と再現することができないことを知った上で、忘れたくない思い出を反芻しては刻みつけたい。
それでもぜんぶ忘れてしまうから。
いつかは、情けなくて恥ずかしい誰にも知られたくないと思ってる自分を誰かにさらけだしたりできるだろうか。
相手にもそういうところを私には安心して見せてもらえるだろうか。
絶対投げ出したりせずにちゃんと受け止めるから。
辛い時に泣き言が言い合えて、お互いに相手の存在が支えとなるような体験がしてみたい。その支えを基に、また生きる気力が復活していく様をリアルに体感したい。意識の上ではなく、身体のある人間同士でしてみたい。
そんな関係を本当の友だちやかけがえのない人というのだろう。
何かになりたいわけじゃなかった。
自分の命が生かされたいなんて建前だった。
絶対的信頼をおける人とこの世を笑い飛ばして生き抜きたかっただけだった。
今感じているこの虚しさを無視せずに感じ切ろう。投げ返してくれない人に向かってボールは投げない。キャッチボールにならないから。私だけは私を置いていかない。どれだけ時間がかかったとしても、待って待って待って待って、隣に並ぶまで心を寄せて待つ。
安心して信頼が回復するまで見放さない。ちゃんと目を見れば本当の気持ちは伝わるから。
大丈夫だよ。
どれだけ深い傷もかならず癒える日がくるからね。
素直な気持ちを見つけた。
天高く咲いている