シュリ日和

まいにちに生きる

あの頃

久しぶりにカラオケに行った。

いつもカラオケに向かう時はだいたい、今日はあの曲を歌おうとか、あの歌手の、あのバンドの歌を歌おうと、決めていくのだが、今日のそれは、BUMP OF CHICKEN(以下BUMP)だった。

わたしがBUMPを死ぬほど聞いていたのは、2007年に発売された''orbital period''というアルバムの頃。もう13年も前のこと。
あのアルバムはわたしのなかで、捨て曲は一曲もない完成度の高さで、ほんとうに、藤原基央という人の才能には嫉妬した。
才能だけでなく、幼なじみのバンド仲間と共に好きな音楽をやっていることにも、どこか羨ましい気持ちがあった気がする。

だけど、BUMPにハマったいちばんの理由は、藤原基央の書く詩にある。
出会った人にしか、知ってしまった人にしか書けない歌詞。わたしはあの頃何も知らなくて、だけど、確かなものを心は求めていて、自分でも詩を書く日々のなか、あのバンドに出会ったんだと思う。
スピッツが好きだった理由も同じ。
草野正宗は出会っている人だと思う。

66号線という曲が好きだった。
orbital periodの次に出したアルバムのなかの一曲。カラオケで歌った記憶はなかったが、思わず選曲した。歌詞を見ながら泣く。歌わずに眺めながら泣いた。そして、Rayも。

スピッツのつぐみとPも歌う。
歌詞がやばい。
今日の選曲はぜんぶ繋がってるらしい。

どうしてだろう。
どうしてこんなこと書けるのだろう。
記憶があるからとしか思えない。
わたしが書く詩だって、どうしてこんなこと書けるのかわからないものばかり。
誰が書いてるかわからない。
魂なのかもしれない。

2011年前後は、重要な転換期だった気がする。繋がってる人たちが、急速に気づきはじめた。2012年の人類滅亡説も、結局何も無かったと思われたが、やはりあの時何かが確実に終わり、新しい世界が始まっていたのかも知れない。

先日、andymoriを好きな人が、ライブで'クレイジークレイマー'という曲を歌った、という話を聞いた。どんな曲だったか忘れていたが、カラオケで思い出した。
大好きだった''ファンファーレと熱狂''というアルバムのなかの曲。死んじゃった友だちのために作ったという曲。

…世界でいちばんお前が正しいんだよって俺が歌ってやる、みんなの前で

なんて、歌詞。
泣ける。
純粋な少年にしか書けない詩だと思う。

andymoriが解散し、ソロ活動をしている小山田壮平の最近の曲も、やはりおなじだ。
本気で愛する人がいる人にしか歌えない歌を作っている。

みんな繋がってる。
美しい愛と光の世界のなかで。

この際わたしは、潔く永遠の厨二病を公言してしまおう。
まあ、厨二病という言葉は、純粋なこどもたちから夢を奪うために広まった言葉だと解釈しているから、わたしにとっては痛くも何ともないのだけれど。

夢を見る自由は誰にも奪えない。
好きなだけ夢を見て、好きなだけ愛し合って生きていこう。



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落としもの