タイトルのLife is coming backは、小沢健二のラブリーの歌詞の一部である。
人生が戻ってくる!
直訳するとそうなる。
人生が戻ってくるって、どういう意味だろう。
ラブリーが誕生した1994年当時、オザケンはどんな気持ちでこの歌詞を生み出したのだろう。
わたしはあの時代に何故この曲に惹かれたのだろう。
オザケンは、時代と共に生きていた。
思いきり自分を。
宇多田ヒカルにも共通するものを感じる。
宇多田も、自分という命を全力(…かはわからないが)で生きていた。やはり時代と共に。
それだけが、普遍的な時空と交わる唯一の方法なのかもしれない。
勝手に2020年冬至のセットリストをピックアップしているこの頃なのだが、今のところ、オザケンの''ラブリー''と、広瀬香美の''ゲレンデがとけるほど恋したい''は確定している。
一見、ここ最近の広瀬香美はどんどんアップグレードし、どこまで行くのだろう?という期待を感じさせてくれてはいるが、実は、広瀬香美の最終形態は、ロマンスの神様を歌い出した頃だったような気がする。
なんせ曲名がロマンスの神様だ。
香美は最初から神様の域にいる。
涙が出るほど有難い存在だ。
最近、色んなことを考えていた。
超感覚主義のわたしが頭を使って考えるという不慣れなことに挑んできて思ったことは、真実は時に退屈だということ。
この人の言葉は信用できそうだな、と以前から一目置いていた人が、わたしの信じることを真っ向から否定している文章を目にした。どうやら、その人の言うことの方が真実に近いようだ。
そこでわたしは、『だったらこの人の言うことはスルーしよう』という結論を出した。
なぜなら、わたしにはわたしの信じたいことを信じる自由があるからだ。
例えそれが真実でない、としてもである。
真実とほんとうはまた別で、ほんとうとは、自分にとってのほんとう。
他者から見てそれがどう映ろうと関係なく存在する、心の有り様。
米国大統領選挙の混沌を遠巻きに見ながら、いよいよ、ひとりひとりがほんとうに向かいたい場所へと自分の船を漕ぎ出す時が来たのだなぁ〜と、ひとりの部屋で蝋燭の光を見つめながら感じていた。
この時を狙って生まれてきたことの歓びを、目を閉じて瞼の裏に炎の熱を受けながら、繋がる誰かの心と分かちあっていた。
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📍2015.11.23
過去と未来が交差する
一点で届け合う
君との光の交信
一点という今
刹那のとき
何度も何度も
すれ違っては
お互いを感じ合い
触れ合い
別れゆく
くり返される別れが
僕らを鍛え
より一層愛を深める
すべてを思い出しながら
新たに創り上げてゆく
この幻想世界と
真の現実世界のあいだにある
美しきシステム
僕らの冒険は
いつでも愛に
見守られつづけている
Life is coming back!