シュリ日和

まいにちに生きる

冴えてる

わたしの好きな長谷川潤ちゃんが再婚したとのこと。おめでとう!ますますお幸せにね。

彼女のファンと言えるほどの知識もなければ、友だちでもなんでもないけど、好きな人のしあわせは、いつでも祝いたい。


今朝は朝から頭が冴えており、またも調子よくペラペラと話を展開。わたしの自分勝手な話に耳を傾けてくれる人がいることの有難みが身に染みる。

おそらくこの冴え具合の理由は、満月前夜だからだと思う。

そして、更には身体の神秘を体験している。自然との関わりが深まっている時、心も身体もそれに呼応するかのように、弾み巡る。


珈琲屋の仕事を終え、珈琲屋に出向く。

最寄りの駅に着き、お店へと向かう途中、ボルダリングの施設の前を通る。

かつて、尊敬する師であるAさんと一緒に行った思い出が蘇る。

学生時代テニス部だったAさんをときめかせるために、テニス部のマネージャーの真似(想像)をして、『Aくん頑張って♡』と、黄色い声援を送った。

ごっこ遊びだったけど、Aさんは嬉しかったようで、難しいコースの一番上まで登り切ったので、ご褒美でさらに『Aくんすごーい!』と大袈裟に褒め讃えながら、パチパチ拍手をした。


その日のAさんからは、普段の料理長という立場や肩書きなど完全に忘れ去った、ただのやんちゃな末っ子男子の素直さが垣間見えてとても可愛かった(カッコよかった)思いがけず得した気分を味わう。

わたしはわたしで、マラソンの選手だった祖母と父の血を引いたのか、運動神経の良さだけには自信があったため、ボルダリング初心者の女子にしては、ほんとは割りと余裕で登れたのだが『できな〜い』なーんて、柄にもなくあざとさを駆使し、手取り足取りレクチャーしてもらい、キャッキャとはしゃいだ。きっと、こんなチャンス二度とないぞ!と、わかっていたからだと思う(実際はあったがw)

こういうのをWinWinというのであろう。


楽しかった思い出は、いつ思い出しても楽しいのだ。


そう言えば先日、店で世間話をしていて気づいたことがある。

男が酔っ払うと『それ何百回話してんの?』『それしか思い出ないのかよ?!』って、呆れながらツッコミたくなるような、学生時代の武勇伝を語ることがよくあると思うのだが、あれって、本当に楽しかったからなんだよな、、ってこと。

大人になり、学生時代の楽しさを超える楽しさに出会えないで生きてきたのであれば、その時の楽しさを何度も思い出したくて話すことも、まぁ頷ける。

そうなると話も変わってくるわけで、女側のツッコミ心には、''少々愛が足りないな、''などと思ったりした。


風の時代とやらが、どんな時代になるのか、まだ全貌はわからないままだが、もしも生きることの自由度が増すのなら、何度だって思い出したくなるような、本当に楽しい思い出をできることならこれから新たにつくりたい。

人生負け続きと思ってる人とほど、共に気持ちだけでも逆転勝利を味わいたい。

優しかったわたしたちが、疑いもせず、信じきって死ぬ思いで生き抜いてきた仮想現実のなかで、操られたまま、本当に死んでしまう前に、みんなで心を裸にして、童心にかえって遊びたい。

この気持ちは、調子がいい時によく出てくる。よく出てくるということは、現実化できるということだと思っている。


毎日色んな気持ちになる。

どれがほんとの気持ちか、わからなくなることもある。だけど、わからなくなってもいいんだと、自分に優しく声をかければ、穏やかな気持ちに戻れる。



そしてまた、はじめられる。




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挫けても負けてもいいよ