シュリ日和

まいにちに生きる

ひなまつり



今日は3月3日 雛祭り

女の子の健やかなる成長を祈る祝いの節句だ。



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わたしの生家には、立派な7段飾りのお雛様があった。姉が誕生したときに家にきたもので、わたしはもちろんおまけとして、そのお雛様を眺めて育った。


うちの母親という人は、いろいろと矛盾の多い人で、お雛様は姉のもの。成人式の着物も、姉には高級呉服屋で仕立てて作り、わたしには同じものを着せた。それでいて、努力家で頭の良かった姉に、できの悪い弟と妹が学費のかからない都立高校に落ちるかもしれないことを視野に、大学進学を諦めさせたりした。


とにかく母の子育ては、姉中心にまわっていて、兄とわたしはおまけ感が強く、母の道理の通らない子育てにわたしたちは黙って従っていたような感じだった。

不思議だったのは、じゃあ姉を殊更可愛がって、わたしたちを邪険にしてたか?というと、そういう訳でもなく、単に、姉が第一子だったことで、そこが基準になっただけなようにも思えた。

基本、うちの親は子どもたちへの愛情は平等に薄かったように思う。

そう、平等に薄かった。笑

そして、わたしたち兄妹は、みんな少しずつ腑に落ちない想いを抱えて育っていったのだと思う。

両親が教師をしていた家庭で育った母は、おばあちゃんがお母さん代わりだったと言っていることから、恐らくお手本となる母親像というものがよくわからなかったのかもしれない。しかも、父も子育てにはノータッチで(父は更に複雑な家庭で育っている)相談できる相手がいなかったことも、子育てに矛盾を生む原因になったと思う。


哀しいかな、わたしは、期待されない代わりに自由があったことが救いではあったが、その自由を尊重してもらっていることを実感できるほどの愛情は親からはいつも感じられず育った。

つまり、自由はただそこにあったというだけで、まだ何も分からない子どものわたしにとって、余りある自由は、漠然とした不安とセットになっていた。矛盾だらけの自己完結癖がついてしまったことの背景には、こういった事情がある。



今日は雛祭りだ。



昨年は、スナックの一日店長をやっていた。スナックのママに憧れがあり、やらせてくれる場があり、実現した。

大人のお遊び。来店してくれた人たちに、自分で選んだお酒や手作りのつまみや惣菜などを振る舞い『おいしい!』と言ってもらって喜んだ。本当なら、定期的に続けてやりたかったものの、世界的な状況により、一夜にして泡と消えた。消えたからこそ思い出深い。



今年のわたしは、世界中の女の子の誕生と成長を心から祝いたいと思っている。

いま、自分のことを決して幸せとは思えない状況に身を置いている女の子も大勢いると思う。何らかの傷をもったまま大人になった女の子も沢山いると思う。

わたしの傷なんてちっぽけなものかもしれないけれど、本当は、自分のためにお雛様を与えて欲しかった気持ちや、自分の好きな着物を選ばせてもらいたかった気持ち。

そんな健気な気持ちを隠して大人になった小さな女の子だった頃の自分のためにも、愛情たっぷりのケーキを作り、全女子のしあわせな笑顔を思い浮かべながらお祝いの宴を開催したい。



いつの日か、生まれてきたことをみんなで笑って祝い合える日を夢見ながら、乾杯をしようと思う。




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女の子バンザイ🙌🏻