シュリ日和

まいにちに生きる

初心



数年前、わたしは日比谷公園からほど近い銀座の飲食店で働いていた。


ゴールデンウィークの期間は特別営業で、開店から閉店まで通し営業となるため、普段20~30分しかとれない休憩が、その期間だけは、お昼過ぎから順番に小一時間ほど休憩をもらえた。わたしは、一年の内でも最も爽やかな気候の初夏の陽気の日に、狭い店の裏で貴重な時間を過ごすのは嫌だったため、仲の良かったキッチンの子と一緒に、隣のナチュラルローソンで買った棒アイスを食べながら日比谷公園で休憩時間を過した。

あの季節の銀座の街並みは、今でも鮮明に覚えている。路面店だったその店は、その時期、天気のいい日には集客目的も兼ね扉を全開にしていて、店長が買ってきた母の日のカーネーションを飾ったバーカウンターには大好きなスタッフが立ち、ワイングラスを拭きあげる姿は、街の景観の一部と化していた。

店長はいつも開店前に、隣近所の店の店頭まで箒で掃き掃除をしに行き、店の人に挨拶をした。そのうち、右隣にあったチョコレート屋さんの女の子と仲良くなり、よく高級チョコレートを差し入れしてもらったりして、わたしたちは営業中に冷蔵庫からチョコレートをこっそり取り出してはパクっと食べて疲れを癒した。

あの一瞬とも言える日々は、目に映る情景の全てがキラキラと輝いていて、わたしにとっては、週休2日も無い、連日10時間労働も、視点を変えれば、神様からの贈り物だったようにも思える。
時給換算するのが恐ろしいほどの低賃金の労働も、初めての体験の連続に、人生においてかけがえのない経験を与えてもらっているという感謝を持つことができた時、多少の強がりは自覚した上で、それでもお金を稼ぐことのためだけに働くことは、それ以降無意味になった。

わたしは、あの頃一緒に働いた人たちひとりひとりから大切な何かを無償で教わっていたのだと思う。

簡単に受け入れてもらえない悔しさもいっぱい味わったし、失敗した時に素直に謝れない自分の未熟さとも常に向き合わされた。不思議なくらい歯車が噛み合った時のチームプレーの気持ち良さも経験できたし、すべてがチグハグで、お互いに人のせいにし合うような最悪な日も経験した。そんな全部が学びだったんだ、と今ならわかる。

わたしはあの日々から、ひとりひとりを見る力というものを養ったと思う。ひとりひとりの良さを見出す力を鍛えたんだと思う。自立するために、とにかく必死で毎日を生きていた時、同時に自分の好きなこと(興味のあること)まで自然とやれていた。外側に探し求めても見つからないはずだ。すべては自分の内にあったのだから。


人生は冒険で、わたしは愛を生きるために人間に生まれてきたんだ。


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だいぶ余談だけど、来年傘寿を迎える母が今入院している。
簡単な腹腔鏡手術のための3日間。
昔からとにかく元気な人で、病気とは無縁の人生を送ってきた。祖母や父が病院にお世話になった間も、子どもたちには一切関わらせず、ひとりで世話をやり切る気丈夫さもある。
そんな人が人生初手術を受けた。『全然心配いらないよ。お母さんは大丈夫。』などと、何度も言ってはいたが、内心不安だったのか、昨日手術を終え、丸一日は絶対安静に!と言われている中、わたしに電話をしてきた。
すこし弱々しい声だった。
要件は、着てきた上着だと暑いから、薄手の上着を病院に持ってきて欲しいとのことだった。きっと上着を理由に、ただ話がしたかったんだろうな…そんな風に感じた。
母がわたしに、弱い一面を見せたのは初めてのことだった。そんなことを静かなこころで思いながら、『わかったよ。』と優しく答えた。


いつだったか、若い頃に日比谷にあった証券会社に勤めていた母は、毎日お昼休みに日比谷公園で同僚と楽しい時間を過ごしていた思い出話を聞かせてくれたことがある。
その頃母を好いていた人が、母を想って作った歌をギターを弾きながら歌ってくれたのよ、という淡いエピソードと共に。


いま、日比谷公園ネモフィラの青の海。


時空を超えて、大切な想い出がいっぱいつまった場所で、初心を思い出している。




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知っている未来へ