シュリ日和

まいにちに生きる

人生前半



6月に入ってから、気の流れが変化してきたのを感じたことで、これからは短くても毎日日記形式で記事をアップしよう!とか思ったのに、その気持ちは瞬間的なものだったようで、すぐにそう思わなくなり、また更新が滞ってしまった。特に大きな気持ちの変化は無いものの、かつてないほど、心は常に安定している。


夕方近所を散歩して、橋の上から川を見下ろしてる時なんかに、さみしさは時折不意に襲ってくるけれど、それは全然わるいものではなくて、寧ろ親しみすら感じる馴染みのいいものだ。さみしさとはきっと昔から相性がいいのだ。


この数ヶ月の間に、長く友人関係が続いていた人と自然に離れるようなことが起き、連絡先だけでかろうじて繋がっていた人の連絡先も無くし、プライベートでは、ほぼほぼ人と会わない日々が続いた。

誰かに会いたいと思う時、大体は、いま自分の思っていることを聞いて欲しいと思っていることが多く、しばらく会っていない人が、いまどんなことを思っているかを聞きたい、とは思っていないことに気づいた。

人に会いたいと思う動機は、こんなにも身勝手なものだったのだなぁ、、と静かに感じる。

よく、自分が人から聞いて欲しいことを、先に相手に質問として投げて、答えてもらったあとに、あなたは?と、返してもらう手法を使う人がいるが、あれも動機は同じかな、なんて思った。

あと、その逆で、相手から聞き出したいことがある時に、自分から先に話して、あなたは?と聞き出すみたいなこと。

会話で使うちょっとしたテクニックなんだろうけど、わたしは馬鹿だからテクニックを考えることが煩わしいし、シンプルにそんなことしたいと思わないから、その手法は使わない。かつて、そういう会話に慣れてしまった人から、言わせようとして言ってるでしょ?!と会話の中で疑われたことがあり、その度にわたしは自分を疑い(無意識にそうしてしまっていないか?)だけど再三確認した上で、相手に言わせようとして言ったことなんて、ただの一度もないことに気づくこともあった。

頭使いすぎな人が多いんじゃないかな。テクニックを生み出せることは凄いと思うけど、それって疲れないかな。もしや、そういう暗黙のルールが会話の醍醐味だとか思ってるのかな?だとしたら、わたしはそういうところからは、スッと無言で離れよう。わたしには無理。ストレートに思ってることを言って傷つくとしても、それはもうしょうがない。だってそれしかしたくないし、できないんだから。


なんか思いついたことを語ってしまったが、そんなこと考える必要もないほど、誰とも会っていないので、心配はいらないのだった。


さて、今日は6月最終日。一年のちょうど半分の日に当たる。神社では、夏越しの祓と言ってこの半年の間に憑いた様々な罪穢れを祓う浄化の行事が行われている。わたしはすでに先週、某神社において気持ちの上での夏越しの祓を済ませているため、特に今日何かをしようとは考えていなかったのだが、今朝目覚めたときに、あることが浮かんだ。

それは、通常夏越しの祓は一年の半分の穢れを祓う浄化の行事だが、わたしは年齢的に、大体人生のちょうど半分くらい(平均寿命を参考にした)にきたところであることから、前半の人生全体を愛により浄化するのにもってこいのタイミングなんじゃなかろうか?!と。つまり、ある意味今日をもって前半の人生終了の区切り的な気分で、明日2021年7月1日は、後半の人生のはじまりとするのはどうだろうか、と。

そんなこと、今朝の今朝までまったく考えてなかったけど、よく感じてみると、ひじょーに、この考えはわたし自身合点がいくというか、今日までの流れはそういうことだったんだな、と思えた。断捨離をしようと頑張ったわけでもないし、浄化!浄化!と無理したわけでもないのだけど、必然性により、人は離れ、必然性により、浄化を続けた(大祓祝詞を聞いたりお寺に連続で通った)ことには、深い意味があったのだな、と思えた。


流れに身を任せようとは思っていたけれど、何が流れに身を任せることになるのかはよくわからず、シーンとした静かな心の領域を見つめ、自然にしたいと思うことをしたり、当たり前に感謝したり、なるべく料理をちゃんとしたり、なんでもないような日々を過ごしたことなんかが、自然の流れに同調できていたのかもしれない。


わたしの今世、人生前半を振り返る。

いろいろなことがありました。

修行に費やした時間は長く険しく、幾度となく逃げ出したい日々のなかで、確かに学んだ愛という、この世界に生きる全ての生命を活かしている目には見えない源のエネルギーを糧に、なんとか生かされてここまできました。

わたしはわたしの学びを、後半の人生で活かしたい。辛く苦しい経験から得たことを歓びや楽しさに変えて、愛の力で新しい世界を創造し、この次元に具現化させたい。いつも身勝手なわたしの心に、いつまでも寄り添い続けてくれる愛する人たちがいる限り、わたしにできることをして、生命を活かしてくれた存在に恩返ししていきたい。


人生前半の終わりに、ありったけの感謝を込めて、ありがとうを捧げます。


そして、人生後半のはじまりに、ありったけの感謝を込めて、よろしくと言おう。


今までありがとう!

これからまた新たによろしく!



シュリ





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これからも自然と共に