シュリ日和

まいにちに生きる

運命の夏




今朝、目が覚めてすぐに浮かんだ言葉が''運命の夏''だった。それは確かにわたしの神様からの声だった。


運命の輪が回り始めたことを察知した7月も、あっという間に過ぎ去っていった。昨日は記事を更新するつもりが、予期せず訪れた嵐により、すべてかっさらわれてしまった。長く生きていると、時々訪れる、貝になるしかない場面で、感じる機能をオフにする必要が出てくる。自分と他者の問題を明確に区別することで、口を閉じた貝の殻のなかで静かにじっとしながら、やがては去ってゆく嵐を見送る。うっかり口を開けたが最後、荒れ狂う暴風雨は開いた口から体内へと入り込み、己を蝕んでゆく。何度もそのような経験があるがゆえに、身を守るために慎重になった。おかげで、身は守れるようになったものの、ある程度の犠牲(ブログ更新断念など)は伴うことに。致し方なし。


今日から8月だ。とても穏やかな心。すべてが大丈夫としか思えない。幻想は幻想でしかない。かならず自然に消滅することを知っている。ほんとうの自分と手を繋ぐ。その手は何があろうと自分が離さない限り繋がれている。大切に大切に大切に、愛し守り抜いてきた想いは、たとえ命が尽きようと消えてなくなりはしない。そこが魂の芯であり、故郷だからだ。


このブログを定期的に見てくれている人は、どういう記事が好きなのだろう?自分的に、ざっくりカテゴリー分けするとしたら、日記・経験記・詩・写真・シュピリチュアル系(スピリチュアルとシュリをかけ合わせて生みだした造語w)そんな感じかなぁ〜…と思うのだけど、とにかく読者とのやり取りが皆無なため、自分の気分だけを頼りに更新し続けている。今日は運命の夏記念に、シュピリチュアル記事を書いてみたい。


わたしの人生にとって最大のターニングポイントが訪れたのは、2015年のこと。年明けに、生まれてからほぼ初めて母へと自分の想いのすべてを打ち明けたことを皮切りに、春に魂が目覚めるキッカケとなった出来事が起き、夏に覚醒し、秋に父が急逝し、冬に離婚することが決まるという正に怒涛の変革の年となった。

2016年の1月には、生まれて初めて就職し、3月に離婚成立。一日10時間労働の過酷な日々が約2年半ほど続いた。

この一連の流れのなかで、それ以前の人生と大きく変化したことは、自分で決めて行動したということ。自分がどうしたいか、ほぼ直感に従って進んだ。労働はキツかったけど、いつも助けてくれる仲間ができたことで、ひとりでは乗り越えられなかったであろう苦しい日々も、なんだかんだと新しい経験をしながら笑って過ごすことができていた。

直感に従って、という部分もとても重要で、直感や閃(インスピレーション)が起きる時は、ほぼ本当の自分と繋がっていると言える。覚醒(魂の目覚め)が起きると、直感や閃が冴えてくる。そして、その声に従って決断し行動すると、どんどん新しい自分(実は本来の自分に戻ってるだけ)が出てくる。もちろん、行動するなかで傷つくようなことも起こる。ただ、傷つくたびに本来の自分(の気持ち)を知ることができる。もちろんエゴ(この物質世界を生き抜くために人間に備え付けられている装置のようなもの)は、傷つきたくない(表層意識の幻想の自分を傷つけたくない)から本当の気持ちを誤魔化したり、問題を摩り替えたり、ありとあらゆる手段をつかって、''自分は悪くない!''にもっていこうとする。エゴは傷つくことも恐れずに突き進む勇気が嫌いだ。そこには、自分の存在が薄れていく危機感を覚えているのだと思う。直感に従って、心が反応することに、傷つくことも恐れず(恐れながらでも)勇気を出してやってみると、やる前に怖がっていた気持ちは消えて無くなる。たとえ傷ついたと思っても、それは幻想の自分の傷だから、すぐに消える。これを積み重ねることで、本来の自分の魂は、長い年月の間に失った輝きを取り戻し始めるのだ。


分かりづらいだろうか。


わたしは自分の経験で得た、上記のようなシュピリチュアル理論をそれを必要とする人たちに伝えていきたい。腑に落とすまでには、ひとりひとりかかる時間は違うだろうけど、確実に生きやすくなるはず。

一度開いた扉は閉まらない。一度撒いた種は確実にその人の土壌に植えられている。だから、知るだけでも十分意味がある。


わたしが魂本来の姿で生きる日は目前まで来ている予感がしている。

目覚めのメッセージからは、『椅子は用意されている。時が来たら座るだけ。』の言葉を受け取っている。

だから、とても大事な今。


最後に、piiというミュージシャンのカキツバタという曲の歌詞より



幸せはくる

願いは叶う

幸せがくる

足音がする






ほんとうだよ。





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幸せはくるもの