シュリ日和

まいにちに生きる

12月30日




最近、生まれ育った家族と仲がいい。


わたしは家族という集合体(小宇宙)に対して、こどもの頃から密かに思う所があり、たったひとりで、言葉にできない気持ちを抱えてきた。どうしても、家族に対して無条件の愛の元の深い繋がりがあると感じられず、自分が自分に与えた役割を演じていた。そんな役割、誰も求めてなどいなかったかも知れないのに、勝手に素の自分を押し込め、生まれた場所である小宇宙の中で、半ば無意識に演じてきたところがある。おとなになり、こどもたちと向き合う日々の中で、何かを演じて生きてきたツケはしっかりと自分に返ってきて、ちゃんと苦しんだ。こどもの頃に殻を破る勇気が出せなかったことは、勇気を出して行動できる日までずっと繰り越されてきた。わたしは、38歳にしてようやくその殻を破った。破ってからの家族に対しての思いは以前と変わり、一線を引くかのように、自分と家族の関係はわたしの中では大変化を遂げた。こどもの頃は、家族という集合体に翻弄され、底知れぬ不安が常に心を覆い隠していたが、完全に自立した自分と、対、家族の人達という新たな関係性ができたことで、わたしの不安は払拭された。やっと長年の感情的癒着関係が解消されたのだ。だから、もういつ会えなくなっても構わないと、嘘偽りなく思えるようになり、わたしは孤独を孤独として自分に落とし込めるようにもなった。いつもしっかり自分を生きてる母親に対しては、『いつ死んでも悔いはないし、笑って見送れるな。』なんて、冷たい人みたいだけど、つい最近までそんな風に本気で思ってたのに、なぜだか急に、ここ数日の間に180度気持ちが変わった。理由はきっと、生まれて初めて、自分としっかり一緒にいる一年を過ごしたから。

いま私は、お母さんに長生きして欲しいし、お母さんにもっともっと優しくしてあげたいし、お母さんと笑い合って話がしたいと思っている。お母さんのいいところを継承するのは、お母さんにとてもよく似ている私だってわかったから。

そう、私はお母さんのことがとても好きだったのだ

なんという素直な気持ちとの出会い。この気持ちと出会った今、この先お母さんが死んだ時、心の底から哀しんで、心の底から大泣きできる気がしてきた。私は結局、長い間ずっと、自分によく似た大好きな母親をいつまでも丸ごと受け入れないようにすることで(一線引くことで)自分自身を受け入れることを自分に許してこなかったのだと思う。お母さんのことを大好きだと認められた今、怖いものは何も無い。無敵な氣分だ。安心感が半端ない。それはつまり、自分のことが大好きだってこと。

うちの母のような人は、この世界に必要だと思う。あの人が家にいる時と、いない時では、目に見えないけれど、場の空気感というか、色や音(聴こえない)や温度やなんかがまるで違うのだ。不思議だけど、人によって出してる波動(エネルギー)が全然違うことがよく理解できる。わたしが目指したい姿がこんなに身近にあったことに、ただただ、驚きと感嘆の想い。そして、だったらもう、そのままでなーんも過不足なんて無いじゃないか。と、なぁーんだ。って感じだ。やっぱり頑張らなくてよかったんだ。


究極に単純な今世紀最大の氣づき。私がやっとわかったような顔して、いちばん大事なところを隠していた時も、神さまはずっと笑って見てくれてたんだろうな。そんなこと思うと、ちょっと笑えて泣けてくる。



ありがとう。

しあわせでいっぱい。







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生誕祭