シュリ日和

まいにちに生きる

1月10日




夕飯にお蕎麦を作った。

具材は、長葱と蒲鉾と玉子と梅干し。ふんわり玉子とじ風に仕上げる。この作り方は、以前友人と行った美味しいお蕎麦屋さんにあった''梅とじ''というメニューを参考にしている。ここにとろろ昆布があれば完璧だったが、残念ながら家に無かった。でも、七味と、山椒と、柚子粉という薬味があったことで、良い味に仕上がる。めちゃくちゃ美味しくて満足。ご馳走様でした。


最近、思い出したように日本の神様へ想いを馳せている。全国にまだまだ行けていない重要な神社があって、その中でも今の自分が呼ばれている氣がする社がいくつかある。


昨年の夏、上野の国立博物館の特別展に行った。当初目的としていた特別展と、もうひとつ違う特別展が開催されており、私はチケットを買う時に心変わりし、違う方の展示を見ることにした。その特別展とは『 国宝聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ 』というものだった。特に仏像マニアという訳でもないが、何故かその時は案内に載っていた観音像の写真に惹かれるものがあった。

薄暗い会場の奥中央に、十一面観音は深淵なる空気を纏って鎮座していた。黙って対峙する時間はまるで瞑想のようで、何百年、何千年の時を超えた感覚を味わう。私は、暫くその場を離れ難い気持ちになり、会場を一周した後、再び十一面観音の前に戻ったのだった。この観音像は、今は奈良県桜井市にある聖林寺という寺にあるが、江戸時代までは、同市の大神神社にあったという。大神神社は、鳥居を通して山を拝む自然信仰をいまに伝えているという。そこから見える山は、三輪山と言い、神の鎮まる山と信仰されている。江戸時代までは、神と仏が一緒にまつられることは珍しくなく、大神神社の境内にも大御輪寺という寺があり、多くの仏像がまつられていたとのこと。明治時代の神仏分離(←ここについてはしっかり調べたいと思っています)により、十一面観音像が聖林寺へ移され、共にまつられていた地蔵菩薩立像は法隆寺へ移され、月光菩薩立像と日光菩薩立像は正暦寺へと移された。その三輪山信仰のみほとけが約150年ぶりに上野で再会した展覧会を、私は直感で見ることができたのだった。

そして半年が経ち、何故か大神神社三輪山の情報が続けざまにやってくる。日本のある神様(最近情報が来ている)との繋がりを感じずにはいられない。


行きたい…。大神神社奈良か…。遠い。


多分自然信仰の話は、1月3日の記事に書いた、夕陽に初詣した話に起因しているのだろう。神道や自然信仰をわたしたちの日常に取り戻すことは、いつの間にか自然と切り離されてしまったわたしたちひとりひとりの本来の生命を取り戻すことに繋がっていると思う。日本人は古来から自然を畏れ敬い、山や滝、岩、樹木などの自然物に神が宿ると信じていたのだ。昨年、沖縄に行った時にはそれを肌で感じた。太陽・月・海(龍宮)の三神を最高の神様として祈りを捧げている島がある。沖縄(琉球王国)にはまだ古来の日本が残っている。あれから沖縄の島の人々の生き方を見習っている。


昨日行ったよく行く神社で今年初のお御籤を引いた。大吉だった。大吉だったけれど、浮かれることはなかった。お御籤にこんな一文があった。『初日にも尊さが感じられ日夜心を込めてお祈りし、神様のお蔭を戴いて、今旭日昇天の大幸運に向かっていますが、信念をもってお祈りしつつ生活しなさい。』と。

神様のお蔭を戴いている。神様のお蔭を戴いて、私という命は生かされている。そのことを決して忘れることなく、謙虚な心で自然を敬い、太陽や月に日夜祈りを捧げよう。そう思えた。有り難いという感謝の気持ちが大切なことはわかっているつもりだったが、もっともっと意識していこう!うん。


明日は1月11日。大幸運日だって!

みんなに幸せが降り注ぎますよーに。






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神社と黒猫