シュリ日和

まいにちに生きる

さよなら地球




1月31日 旧暦大晦日

北九州の神社では、未だに昔の習わしの年越し行事が執り行われている。

雅楽の音が鳴り響く中、燃え盛る炎を取り囲み、鬼の面を被り舞う。

咲子ちゃんが調べていたという踊り念仏。日本人のDNAに刻まれている遠き遠き記憶。


私がこの世に生を受け、自分のルーツとなる魂の課題を悶え苦しみながら乗り越えられた時、今生この私のためだけに必要な人たちとの出逢いが始まり出した。

最大の危機の最中に出会った浜先生が教えて下さった真言光明を一縷の望みとし、心の中で唱え続けた先に、般若心経を全部覚えたという人に、私はこの世界の片隅に見つけてもらった。

自分の意思で人生を動かし始めることができたのは、この時の出逢いによる。

多分あの時、自分の力で変えたと思っていたことも、多くの私に繋がる魂や神様から力を分け与えてもらっていて、そのパワーが不動の心を産み、行動できていたことが、今ならそのことがよくわかる。

モモヨさんが言っていた、人生の一面をクリアするには、深い縁ある人たちとの出会いと別れを繰り返す中、今生のそれぞれの役割を演じながら互いに協力して、過去生から持ち越したカルマを解消する必要があった。

それは全部、ほんとうのほんとうに自分の望む人生へと進む前章で、欠かすことのできない痛みという愛の経験だった。

一面というストーリー。嫌われ役のいない物語は味気ない。大嫌いだった人たちへの感謝が大きいのは、大好きな人を、心底大好きだと思えることの歓びを味わえたから。

二面の始まりは、愛と平和そのもので、私がこの人生で向かうべき場所の指標がはっきりと定まった瞬間だ。そこからの冒険という今。

1から99じゃなく、0か100かを体験できるただ一人の存在。それは紛れもなく光と闇を内包した自分自身を投影したもう一人の自分。

先祖代々の念を一手に背負う役割は楽ではない。けれど、もしかしたらその役割に選ばれたのではなく、自分から志願したのかも知れないという想像ができてしまうことも確かだ。

なぜなら、私たちにはそれを乗り越えて見たい景色があったから。

前世の焼き増しは要らない。もう十分。

新しい写真を撮り続ける。日々新しく生まれ変わる新鮮な私の目に映し出される世界を切り取る。

自分で選んだ椅子じゃなきゃ駄目って、宇多田はいつでも先に見せてくれる。そんな先人たちに習う。



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日本

私が生まれた国


饒速日命瀬織津姫

天照大御神の荒御魂・和御魂

この世界のはじまり

太陽と水

sourceの記憶


そこには、運命以外存在しない。



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学びと成長の一面から、歓びと拡大の二面へ。数え切れないほどの痛みも傷も、全部sourceへ還す。愛から生まれたものは愛の元へただ還っていくだけ。


さよなら地球。

今まで沢山の学びを本当にありがとうございました。


私たちはしあわせになります。

しあわせになって生きてゆきます。






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新地球の光