シュリ日和

まいにちに生きる

種まき




たとえば、ある日のこと、星に願う。

お星様この願いを叶えてください!と。その瞬間、自分ではわからないが、願いは叶えられるために動きだしている。そしてそんな願いという種を自分で撒いたことも忘れた頃に、ある日ぴょこんと願いの種が芽を出す時が来る。草花の種が風に乗って運ばれ、辿り着いた地で芽を出すように、種を撒けば勝手に芽は出るのだ。それが自分の真心から出た願いであるなら、かならず。もしも芽が出ない時は、自分で種の発芽能力に、呪いのような負のエネルギーを与えてしまった時だと思う。願っておきながら、やはり叶っては困る、という相反する思いが生まれてしまうと、その思いにより芽を殺してしまう。願っておきながら叶わせない、そんな自作自演を繰り返してきている。表では、こうなりたい!と言いながら、裏では、なりたくない!と叫んでる。つまり、ひとり綱引き状態。綱を持つ二人の自分(魂とエゴ)が、お互いに必死に引っ張りあっているのだ。魂は愛の元に願いを叶えようと、エゴは恐れの元に叶えないように、と。これでは、永遠に決着がつかない。決着がつかない間は、何も変わらない。変化無し。もの凄いエネルギーを使ってるにもかかわらず、常にゼロポイント。これを大きな視点で客観的に眺めると、なんか笑えてくる。遊んでるんだなぁ〜…としか見えないが、やってる本人は真剣そのもの。ゼロを保つためにエネルギーを使い続けているわけだから、自分に優しいとは言い難い。よもや、これをわかってて、やりたくてやってます!という人間がいるとしたら、それはそれで面白いのかもね?と言えなくもないが、そんな遊び方、私はしたくないから理解はできないなぁ。私は思い切って勇気を出し、愛に全面降伏して今がある。

生まれてこの方、これほどまでに愛と切り離されて生きてきた私たちにとって、しあわせになりたいという願い=愛を信じきることは、恐ろしくもあるのはわかる。それはまるで、これまで生きてきた自分もろとも消滅してしまうのではないだろうか?という程の恐怖だろう。実際、消滅するのだ。愛ではなかった自分は消えて無くなる。無くなると言っても、死ぬ(肉体の死)わけではないし、本来の愛そのものである自分に統合されるだけだから、これほど安心なこともない。だけど、人間のそういった複雑なシステムに自分で気づくには、常に意識的に生きるしか手立てが無い。絶え間なく押し寄せる情報の波のなかで、何かがおかしい、という心センサーが発動したのなら、センサーが反応した謎を解き明かす行動(自分の意思で信じるものを決めるなど)を自ら起こすしかないのだ。誰かが自分の代わりにやってくれることはない。行動をしていない人は、もはや、その人自体が、自分が無意識に信じた情報そのもの、情報というエネルギー体でしかない。魂は眠らされたまま、情報に乗っ取られてる体が日々動き回っている状態。まるでゾンビだ。

自分という命を生きている人の目は輝いているし、声は通っている。本能で感知できる。この人を信用してみよう!と思う人を見つけて、その人に、ありがとうございます!と言うような行動を起こし始めた人は増えてきているとは思う。だけど、もう一歩先、ありがとうございます!と思えるものを誰かから受け取ったのなら、今度は自分が誰かから、ありがとうございます!と言われるような行動を起こすことが、大事だと私は考える。何故なら、それをしないと循環しないからだ。教わったことを活かすことで、循環が興る。愛の輪が拡大する。もらうばかりじゃなく、大事なことを教わったのなら、今度は自分の行いで誰かが大事なことを学べるような行動をすることで、最初に自分に大事なことを教えてくれた人と自分は同じことをした事になる。それをひとりひとりがやっていったら、気持ちのいい風が吹き抜けると思う。この考えは、先人がすでに私とは違う言葉で与えてくれている。『いい情報を得たら、ほかの人にも教えてあげなさい。』と。


最後に、今日浮かんだ言葉を遺したい。



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どんなに深い悲しみを抱えていても、それを人には微塵も感じさせずに笑う人の大きな笑顔だけがもつ偉大な力というものがある。

それは確実に存在の光として伝わる。

真っ直ぐに心へと飛び込んでくる。

動かす。

引き出す。

響き合う。

そのことで、自分もその力の種を持っていたことを知る。









ハート発見♡