シュリ日和

まいにちに生きる

わからない





昨日は、小沢健二のライブツアー初日、無事現場で自分の全身で見届けることができた。色々感じたことがあったのだが、一夜明けてしまったら、もう気の利いた感想のひとつも出てこない。頭を空っぽにして、心のなかで歌いながら、踊ったりもしちゃって、本当に楽しい時間を過ごすことができた。天使たちのシーン(いちょう並木のセレナーデも)を歌うなんて、、2022年のライブで聴けたことに個人的に感無量。それらをうまく言葉にはできないけれど、心はとてつもなく大事なものを感じたことだろう。沢山のギフトを受け取ったことだろう。そして、これから先のどこかで、その想いがまた繋がる日が来るのだろう。それだけで十分。オザケンありがとう!


からの今朝。虚無感が半端ない。『生活に帰ろう!』は、オザケンのライブの締めゼリフで有名なのだが、私には今、帰る生活が無い気がして、怖くて怖くてたまらない気持ちになってしまった。理由は分かっている。多分、浮世を捨てたからだ。これまでの世界と、自分との繋がりをどんどん断ち切ってきた結果、今の私は、この現実世界のなかで、宙に浮いている。唯一の救いは、このブログを読んでくれているあなたの存在かも知れない。

この怖さは、自分が行きたい世界に向かうには避けられない。本当にコンフォートゾーンを抜けるには、これまで自分が選んできたことの真逆に一度振り切るしかない。しかない!なんて極端なこと言い出すのも、今の状態が不安定であることの証だ。でも、そうやって自分の意思で決めない限り、現実は動かない。大丈夫。こっちで間違いない!という確信とともに、過去の思考に引っぱられ、何かを考え出すことで、一瞬で不安定に。新しい世界への移行は、きっと簡単な筈なのに、自分が難しくしてしまっている。相当根深い思考の癖なのだろう。ここで大事になってくるのが、やはり、''諦めたらおしまい''のひと言だろう。諦めたい。楽になりたい。と、四六時中囁いてくるエゴの声をどうやって消していくか。思考を自分主体で使うことが出来始めたのは、まだ最近のことなのだ。現実世界という名の幻想世界を生きながら、愛と平和の世界を常に想像することに慣れていないだけ。決めたことを貫く。それだけだけど、それだけがこれ程までに成しがたいとは。誰かに助けて欲しいと、久しぶりに痛切に願ってしまう。色々と世界の裏側を知った以上、心を平和で保つことが、自分のある意味使命なんじゃないかと、強気の姿勢でいたけれど、なんだかとにかく今日は弱気。また明日には変わるかもしれないけれど、こんな日があってもいいんだと、自分を許すことだけはしたいと思う。

弱気な時だけでズルいけど、読んでくれてありがとうございます。いつもより、あなたの存在に救われてる私がいます。


あなたに嬉しいことがいっぱい降り注ぎますよう、祈ります。






空が綺麗だった