シュリ日和

まいにちに生きる

ベイキング




最近は気持ちが不安定。梅雨だからかな。いや、ずーっと安定ってことは、まだこの環境下においてほぼ不可能だろう。だから、不安定が通常運転。最近なんてやや広範囲な括りで言っちゃったけど、ほんとは毎瞬のこと。私はマジでバカみたいに毎日真剣に生きてると思う。(全くそう見えないだろうけど。笑)

ずっと長い間、生きることは修行で挑戦だと心得てきたから、その世界線から脱線した今、新しいレールに慣れるにはある程度の時間がかかっても当たり前なんだよな、、なんて自分に言い聞かせながら、『大丈夫。大丈夫。絶対なんとかなるから。』そんな言葉を呪文のように唱える日々だ。しかも、このレールは期間限定。ひとりで歩く最後の道。

そして、いよいよお金が底をつきそうな現状までもついてきている。続いてきたラッキーもここまでか?!といった窮地の状況。落ちるとこまで落ちたら後は這い上がるか、野垂れ死ぬか、究極どっちかだけど、こんなこと書きながら、カフェで珈琲飲んでるんだから、多分私は自分が仕組んできた人生のシナリオを信じきってるんだよなぁ〜。

いち早く地球ゲームを攻略した人たちは、どんどん行動に行動を積み重ね、富を循環させている。ほんとにそういう人たちって、凄いと思う。自分を信じる気持ちが強く機能している時、恐らく高次元とか宇宙とか神さまとか、呼び方はなんでもいいけど、錬金術を発動させられるのだろう。

私もそれら宇宙の原理と呼べるような大枠は理解した。動き出す準備はできている。でも、それよりも何よりも、シナリオが大事。自分が面白くなきゃ、この時代を選んで、ここに生まれて、自分の人生を生きる甲斐がないってもんだ。毎日の気づきの波にエアサーフィン決め込んで、『今日もいい波きたな♡』なんて喜んでんだから、シアワセな人だと思う。

経験こそ財産。お金との関わり方だけが自分に馴染んでないから、未だに謎だけど、ずっとこのブログに書いてきたことはブレてない。お金が引き寄せられる前に、できるだけ経験という財産は増やしておきたい。それをこの先、生きる糧にしていくのだから。

タイトルのベイキングとは、今ハマってる、イギリスのテレビ番組.ブリティッシュベイクオフ🇬🇧からつけた。ベイキング(お菓子やパン作り)の歴史は奥が深い。私自身、趣味のお菓子作りとの出会いは小4に遡る。7つ上の姉が彼氏にお菓子を作っているところを見て、興味を持った。そして、遠足のおやつに、自分で作った手作りクッキーを持って行ったことがきっかけで、(当時好きだった男の子が『おいしい!』と食べてくれたことが最高に嬉しかったのだ)お菓子作りも好きになった。このことから、人に喜んでもらえることの喜びを体感したのだった。

最近、占星術(主に太陽と月)と人間のはじまりである男と女(陰と陽)の歴史から、私が知りたかったことの点と点が繋がった。人間という生物には本当に興味が尽きない。切ない幼少期の思い出の中に、ほんとうの自分を生きるための鍵が隠されている。健気に無邪気に真っ直ぐに愛されようと振舞った、子ども時代の自分。簡単にわかるわけなかったのだ。自分が知ろうとしない限り。学校も、本当に大事なことは何ひとつ教えてくれない場所だったし。しかも、知ったら知ったで、同時に余計に生きづらくなることがわかってしまう仕組みだったから、なおさら。

話が逸れた。軌道修正。

ベイキングは楽しい。番組に感化されて、人生初となる、キャロットケーキを作った。ニンジン🥕たっぷり、クルミやレーズンの入ったスパイスを効かせた味。クリームチーズフロスティングものせた。思い描いた通りの仕上がりに、感無量。だけど、やっぱりどんなに美味しいものが作れたとしても、それを『おいしい♡』と食べてくれる人の存在がいなければ、味気ない。もっと言えば、一緒にそのおいしさを分かち合うことで、喜びは2倍にも3倍にも大きく膨れ上がる。しあわせの相乗効果だ。

ブリティッシュベイクオフの出場者が、愛の鞭で厳しい意見の多い審査員2人から、たまに極上の賛辞を贈られた時に、本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれるのだが、見ているこちらにも気持ちが伝わってきて、ホロっとさせられる。''よかったね!よかったね!''って、心のなかで私からも『おめでとう』を贈っている。人が嬉しそうにしている姿を見るのが好きだ。それは、自分が自分に体験させてあげたいことなのかもしれない。


雨の土曜日から、晴れの日曜日へ。

夏至の魔法時間へと刻一刻と時は流れてゆく。







どうぞ召し上がれ🥕