シュリ日和

まいにちに生きる

感じる

 

 

 

9月だ。

8月のはじめは、自分史上最高の夏になる!と意気込んだものの、ほぼ動きがなく、どちらかというと誰とも会わず、淡々と過ぎていく日々を見送るような時間を送ったことから、9月は意気込むことをやめた。刻々と移りゆく心模様だけは、ちゃんと見ていようと、今そう思っている。

 

8月の終わりに熱海へと行った。日曜礼拝。子ども時代の半強制的に通った日曜学校とは違い、色んな人の話が聞けて有意義な場と時間がそこにはあった。テーマに基づく一人一人の話の内容云々はあまり関係なく、色んな人がいて、それぞれの人生を生きていて、たまたま今という時をひとつの場を通し、共有していることの不思議さに目を見張るものがあった。

こういう機会でなければ、きっと街ですれ違っても決してお互いに気づき合うことのないであろう人から、ほんの数分話しただけなのに、心が通い合った手応えを感じる人、以前は定期的に顔を合わせていた、数年ぶりの再会なのにまったくそんな気がしない昨日も会ってたかのように感じる人など、様々だった。

 

礼拝とは別の目的で来ていた、一組のカップルがいた。彼氏の方とは面識があり(とは言え一度だけ)お互いに憶えていた(思い出したw)ので話をする。その人と会ったのは、ちょうど2020年に入ったばかりの頃で、その頃は色んな人と関わる機会があり、自分も行動的な時だった。ほんの僅かな期間、私がnoteで記事を書いてた丁度その時に、あるひとつの記事を見てくれていたという話になる。忘れもしない。''3月9日 自問自答''

アップしてしばらく経った頃、猛烈に恥ずかしくなってきて、noteのアカウントごと消した。黒歴史は早々に抹消したはずだったのに、時を経て思いがけず、思い出すことに。。''3月9日 自問自答''は、音声日記のようなものだった。その日、その頃、思ったことをつらつらと話した。そのなかで私は、不可思議ワンダーボーイという、ポエトリーリーディングというジャンルで名の知れた人(故人)のことを語った。

 

『不可思議ワンダーボーイを知ったのは数ヶ月前。新宿の駅前でポエトリーリーディングをしてた。でも彼、死んじゃったんだって。死んじゃったのに、生きてる奴より生きてたよ。ずっとずっと生きてたよ。』

 

そんな話をしたのだった。

 

その音声を聴いたその人が、不可思議ワンダーボーイの存在を知り、そして触発され、自分の彼女をイメージした曲をつくったことを教えてくれた。その人は音楽をやっていて、私が会った時も自作の曲を弾き語りで演奏していた。正直どんな曲だったかの詳細は思い出せないのだが、大きな思想や世界観をその人自身からも感じたことを、時を経て伝えられた。彼は彼女の存在としての大きさを語ってくれて、私はその二人に会えたことが、ただただ嬉しく、愛おしく、喜びを感じたのだった。

教えて貰った、彼女の名前を英語で現したタイトルの曲を家に帰って聴いたら、その曲が本当に愛そのもので、朝日が昇る水平線の向こうへと、力強くどこまでも拡がりゆく無限の可能性を感じさせる入りの部分から、突如、穏やかに優しく包み込むような丸みのある女性の存在の柔らかさを感じるような、夕陽が沈む海岸を思わせる終盤への流れが神がかって美しかった。思いがけない連鎖により生まれたその曲は、地球の宝物のようだ。静かな部屋の真ん中で、何度もリピートして聴いた。

 

十人以上の人と同じ場にいることなど、どれくらいぶりだったろう。とにかく、人と会うことそのものの尊さを実感できたことが嬉しかった。私は人が好きだし、賑やかな場を見ていることが好きだ。人が集う場所をつくりたいな、と思った。私がその場所そのものになりたいな、とさえ思った。

 

礼拝の前に、山を登った。昨年の土砂災害以降、伊豆山に登るのは始めてだ。心を整えて、真摯な気持ちで山と向き合いたいと思っていた。伊豆山神社と各摂末社にご挨拶して、山へと足を踏み入れた。ものの10分ほどで息が上がる。確実に体力が落ちてることを実感せざるを得ない事態に、、。しかも、蚊だかなんだかわからない小さい虫がずーっと永遠に顔周りを飛んでいたことで落ち着かず、耳も飛行機乗ってる時みたいになるし、足元は雨上がりでぬかるんでるし、なかなかの条件の中での登山となった。だけど、やっぱり大きな自然の中に入ると、自分が山に登りたいと思って登っていることも、山に登らせてもらってるんだ、という気持ちになるから『自然の力って偉大だなぁ〜』と毎回思う。息が上がりながらずっと、ホ・オポノポノを声に出して言霊を聞いていた。

 

ありがとう

ごめんなさい

許してください

愛しています

 

いつもこのたった4つのフレーズの順番を覚えられなかったのだが、ついに覚えた。それは、''ありがとうとごめんなさい''が対になっていて、''許してくださいと愛しています''が対になっていることに気づいたから。これでもう順番を忘れることはないだろう。

ホ・オポノポノの言霊パワーにより、どんどん浄化され、どんどん力が湧いた。苦しかったけど、本宮についた時の達成感は最高だった。ゆっくりと周囲の木々に目をやる。ありがとう、と声をかける。本宮の社が立て替えられたことは2年ほど前に知っていた。なんで立て替えたんだろう?と、訝しく思っていたが、土砂崩れが起き合点がいった。伊豆山全体に対し、慎んでご挨拶をする。

すると、左手に見慣れない小さな社ができていることに気づく。立て札に水神社とある。

【昔この地には水神社(丹生川上神社)がありましたが、その後行方不明になりました。昨年の土石流の水害により多くの方々の命が失われたことで、この地に水神社(丹生川上神社)を祀り、再び水害が起こることのないよう、祈ることに致しました。】そう記されていた。

丹生川上神社には行ったことはないが、御祭神を知っていた。罔象女神(みずはめのかみ)即ち、瀬織津姫である。ここでまた、大きく合点がいく。

2020年の破壊と再生。自分の身の周りにも起きた男性性と女性性の終わりと始まり。私がこの地に導かれたのは2018年春のことである。昨年の土石流は、瀬織津姫の涙であったことを深く深く感じとった。いつの間にかおざなりにされた神=人間の心。レムリア(女性性)の復活。龍に護られる国。自分の命の使命。全てが輪となり和となすことの真意。

私は、できる限り透明な気持ちで瀬織津姫を感じたいと思った。目を閉じ一心に祈る。そして目を開けたら、社の屋根に蝶が止まっていた。ちゃんと想いは通じている。目に見えないものを感じとろうとする心に、真実は映し出される。

 

ありがとう

ごめんなさい

許してください

愛しています

 

ずっと悲しい想いをさせてきてしまったことを心から詫び、それでも共にい続けてくれたことに、心から感謝した。

 

2018年の夏に伊豆山を登った時も、私はホ・オポノポノを呟いていた。あの時、ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛していますそう繰り返しながら、

 

愛しています

愛しています

貴方だけを

愛しています

ずっと言いたかった

そのひと言を

 

そんな言葉が後に続いて浮かんだことを思い出していた。

 

たった一人の愛する貴方へ

伝えられなかったひと言を伝えるために

それだけのために

生まれてきたことを。

 

 

 

 

 

すべての愛すべき片我へ捧ぐ