シュリ日和

まいにちに生きる

Twinray

 

無料のはてなブログの様式が変わったらしく、広告が途中に組み込まれているのを見て、悲しくなる。文章ならまだしも、詩の途中に広告はありえない。悲しいけど、全てのものは変わりゆく運命にあるので、嫌なら離れるか、受け入れるか、自分も変化を促されていると捉える他ない。

どんどん時間が流れていく。12月も(今年も)もうあと10日ほど。私は安定している。心も身体も不調は無い。

だから、大切な人が困っているなら私を呼んで欲しいと思う。大切な人のために存在していたい。大切な人のための私で在りたい。

 

大きな変化の時なのか、自分の周りでも大事件が起き、空気が張り詰めている。一触即発状態。何かしてあげたくても、何もできることがない。下手に声をかけたら逆効果なことはわかるから、こういう時こそ、人と関わる上で私が最も大切にしている『信じて見守る』姿勢が後々響いてくると信じて、ただ黙っていつも通りに過ごすよう努めている。

大事件は、起こるべくして起こったのだろう。正直これまで何度も似たような局面を迎えながらも、騙し騙しやってきたことを傍で見ていた。いつかこんな風に強制リセットの波がきそう…と思っていたら、やっぱりきた。2022年冬至の強力なパワーが関係しているであろうことは、想像にかたくない。そして、この一見超ネガティブと思える出来事すら、大飛躍の足がかりとなっているだろうことも、当事者ではないからわかる。とにかく今を乗り切って、また新しい始まりを迎えて欲しい。幸運を祈るばかりだ。

 

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このブログを始めてから約2年半が経つ。その間にTwinrayに触れた記事を書いたことは一度もない。(記事ではないが、私の書く詩のほとんどは、そうとも言える。)

私自身がこのひとつの概念とも言える言葉と出会ったのが、2015年の夏になる。レムリアのソウルメイトから教えてもらった。彼女とは、お互い10代後半の頃に、イルカクジラ保護団体を通して出会った。彼女の目を見た時に、この人は過去生でイルカだったんじゃないか?と感じたことがある。イルカの目をじっくり見たことなどないのに、何故そんな風に感じたのかが不思議だが、鮮明に記憶に残っている。彼女は2011年には既にTwinrayを知っていた。(その概念と出会っていた)

20歳の頃に、私が雑誌かテレビか何かで見た逗子の一色海岸に行ってみたくて、彼女を誘い一緒に行ったことがある。それをきっかけに、以来、彼女は毎年のように一色に通うようになった。あの海には何かを感じていたのだろう。2015年の夏、一色の海の前で私は彼女からTwinrayの話を聞いた。

これら一連の話はきっと全てが繋がっている。あらかじめ決めていたシナリオ通りに事が運んでいたようにすら思えてくる。もちろんそれは始まりの始まりでしかなくて、何もかもまだわからない中で、よく言う水面下(潜在意識下)で止まっていた運命の輪がゆっくりと動き出した時だったのかも知れない。

私も最初は情報に振り回されたし、当時は自分軸なんてものからは程遠い生き方をしていたから、Twinrayの核となる部分は私の前では隠されたままだったように思う。

耳障りのいい情報が流れるのは、そこに拝金主義者の思惑があるからだろう。金になる情報を流せば、それは商売になる。言葉を巧みに操り、悩んでいる人を混乱させて、沼に陥れる。もちろん、沼に落ちることも自己責任とも言える部分はある。悪い人たちから身を守るためには、自分がしっかりしなくてはならないのだ。自分の内側に広がる内宇宙を信じずに、外側の世界に答えを求めることは、危険に身を差し出してるようなものだ。どうぞ、翻弄してください、と。

私なりにTwinrayを考察し続けて約8年。色んなTwinrayと思わしき2人(片我から話を聞いて私がそうだと思った人たち)と出会ってきた。確信している人たちが9組はいる。そのうちの1組と実は最近お会いする機会があった。その2人は出会ってから実に28年が経っている。様々な紆余曲折を経て、今はお互いに家庭がある。彼女が彼に出会った時は、すでに彼は結婚していたらしい。私はその彼の家族にまでお会いした。奥さんも子供たちも本当にいい人で、正直、''温かい家族だなぁ''という印象をもった。私の知り合いの彼女も、彼だけではなく家族の人達みんなが好きだと言う。その2人は、相手が元気で生きていてくれることが幸せで、ただその事実だけで自分は満たされて、だけど、どんなに離れていても心は繋がっていることを互いに確かめ合っているという、無償の愛に近い境地に辿り着いているようだった。

その時みんなで写真を撮ったのだが、2人が並んで微笑んでる顔がびっくりするくらい似ていて、温かな愛が伝わってきて、幸せに満たされる想いがした。これも、ひとつのTwinrayのカタチに違いないのだろうと、心から思えた。心から思いながらも、私がもし彼女だったら、と想像したら、胸が張り裂けそうなほど苦しく、純粋に相手の幸せを遠くから祈ることができたとしても、会うことはしたくないし、できないな、と思った。

私はまだまだ甘ちゃんなのだろうか?無償の愛の境地が目指すべき場所なのだろうか?色んなことを感じたし、考えさせられた。

私の知り合いの2人は、多くの転生を経験していて、2人で一緒に何かを成し遂げるとか、共にいなければならない必要性が、もはや無いのかも知れない。お互いの存在を自分のなかに感じられるだけで十分幸せで、それがお互いに感じられることで、愛が循環している状態なのだろうと勝手に推察した。その人たちが心から幸せならそれでいい。上からの意見も下からの意見も何の意味もない。すべては今世の自分の命を生きることから拓かれるだけだから。

私は、Twinrayという魂の片我という存在が本当にあるとして、多分何度も何度も生まれ変わっては、2人で色んな立場を入れ代わり立ち代わり経験してきて、また今世も出会っている(出会わされている)と今、考えている。

だとしたら、それぞれの2人のストーリーというものが100組いたら100通り違うはずで、転生の数が多ければ多いほど、経験値は高く、より無償の愛の境地に近づいていると思うことが自然だ。

また、その考えでいくと、今世で出会わない2人がいたり、出会ったとしても気づかないまま死んでいったり、そういう人たちがいてもおかしくない。出会って何らかの関係性が経験できるのは、転生におけるカルマや今世新しく作ってしまったカルマを解消し、自分の魂のまま(本来の自分らしく)に生きることができ始めてから(その流れに入ってから)なのではないか?そんな風に思う。

前にも記したけど、一説にはカルマというものは存在していず、悪い宇宙人によって、脳にネガティブインプラントというカタチで植え付けられてるだけだという話もあるから、過去生のことは正直わからないけれど、今世の因果(原因と結果)は、自分が作ったことに違いないからやはり解消する必要性はあると思う。

これは、地球の歴史や、性の封印など、様々な背景が関係しているので、魂のまま生きるということが、どれだけハードル高いかは想像するのも難しい人も多いだろう。

本当に凄い時代に私たちは生まれてきている。地球解放の一手を担っているという自覚を、どれだけの人が今現在抱けているだろうか。Twinrayの情報(真実も虚実も)がこれだけ広まったのも、硬い封印が徐々に解けてきたからに違いないだろう。光の強さが増すにつれ、影の濃さもまた同時に浮き上がってきているのだと思う。

とまあ、8年間自分なりに真剣にTwinrayというものに向き合ってきて、現時点での考えはこんな感じだ。魂がふたつに分かれたという考えがしっくりくるのは、人間には男と女がいるからだ。

この世界は陰陽の世界で、すべての概念は対(表裏一体)になっているから。魂が人間を生きるためには、元々完璧な魂が分かれる必然性があったと思うことは、とても自然なことに思う。同性同士のTwinrayがいるのは、今世はそういう設定、ストーリーなのだろうな、と私は考える。この人たちも転生の数が多い、魂が成熟している人たちだと思う。

 

書きたいことが書けて満足だ。

最後に、今世出会ってストーリーの只中を生きている全てのTwinrayに捧ぐ。

たとえ、外側の世界から邪魔されることがあったとしても、自分たちの心の中の真実だけを守り抜き、2人の愛のストーリーを完成させて欲しい。そして、この美しい青い惑星地球を、それぞれの本物の愛の光でいっぱいに満たして、本来の輝きを取り戻す使命を果たして欲しい。

 

 

 

 

海はすべてを見てきたのだろう