シュリ日和

まいにちに生きる

2013年4月15日(月)

 

 

私のポケットには今ミントとローズマリーとラベンダーが入っている。

さっき公園からすこし頂戴してきたから。時々ポケットに手を入れてこれらの植物を揉んでは香りを愉む。一瞬で幸福な気分になる。

最近また去年に引き続き、桃を5個100円で買う(東京で!)というミラクルを起こした。なんかほんとにこういう小さなミラクルは起きるんだけど、なかなかビッグなミラクルは起きないものだ。

桃の皮と種の部分を一晩水につけておいて作る桃水にハマっている。これがほんとの桃の天然水だ。ほのかな桃の香りと優しい甘みが水に溶けだしておいしい。氷をたくさん入れたコップに注いで桃を存分に楽しんでいる。

去年、枇杷の種を塩漬けにすると杏仁豆腐の香りがするという情報を見かけ、さっそく鳥越神社で拾ってきた枇杷の種を塩漬けにして何週間かした頃にほんとにフレッシュな杏仁豆腐(杏仁霜)の香りがしてきて、よく瓶の蓋を開けて香りを楽しんでいる。私は、杏仁の香りや金木犀の香りやクチナシの香りなんかがとても好きだ。

最近可愛い自分のためにアロマスプレーを手作りした。表参道の生活の木で買ったアロマオイルの香りがとても良かったから。天然の植物(ハーブ)などの香りがする人ってとても素敵だと思うので、自分もそうなれたらなって思ってる。

あと最近のマイブームは、酒粕で作ったパックをお風呂の度に顔から全身に塗りたくって美白ケアをすること。材料は酒粕とハチミツと精製水。洗い流したあととてもツルスベ肌になって気持ちがいいのだ。手作り熱が高いいま。きっとそのうち飽きる日が来るだろう。それでも今はそんないまを生きている。

 

先日久しぶりに娘と江ノ島に行った。彼女と江ノ島に行くのは8年ぶりのことで、2016年の8月8日に行った日のツーショットの写真がまだ携帯のアルバムに残っている。

その頃彼女はまだ小学生で、その日の写真は完全に親子だ。私が親で彼女が子ども。2人とも可愛くないwあまりにも突っ込みどころが多い写真のため、同じ場所で成長した私たちの写真を撮ろう!と気合いをいれて行った。結果、だいぶ可愛く(自己評価)成長した私たちの記念写真を撮ることができ、満足。

私は彼女の美に対する努力に比べたら特に頑張ったこともないけど、私の場合は内面を整えることは頑張ったのかも。とにかく昔は自分の笑ってる顔を見るのは気持ち悪くて自分を可愛いなんて思えなかったから、どうしたら自分の笑顔を好きになれるだろう?と考えてたな。自意識過剰だったのだろう。自然な笑顔の人たちに憧れていた。自分もそうなりたいと強く願っていた。

人相は顔に出る。昔の写真はキツい顔をしている。不自然に感じる。心の状態が顔に出ていたのだろう。いつも不安だった。安心がなかった。誰かや何かに合わせている方が楽に感じてそうしていたけど、本当は苦しかった。自分がそこにいないのだから当たり前だ。

今の私はあの頃と比べるとものすごく自由になった。子どもたちという素晴らしい人生の先生に教え育ててもらった恩恵は計り知れない。もうずっと、物質的には満たされているとは到底言い難い状況ではあるが、心は満たされている。安心している。年々不安がどんどん薄まってきている。このままの私でいく覚悟ができているからだ。ずっとこのままで。このままの私じゃなきゃ意味が無い。私はこの私を自分の意思で選んでいる。そのことにどれほどの価値があるかは私にしかわからないだろう。だけど、それでいいのだ。私がわかっていればいい。

 

一昨日は満月の日曜日だった。あまり意識はしていなかったけど、かぐや姫の物語をみて、フジ子・ヘミングの月の光を聴いた。かぐや姫の物語をみながら、…もういいかな、とも思ったりして、もうこの世に執着がなくなってきているのを感じたりしていたんだけど、中国のサイトでみてたからか、最後のかぐや姫が月に帰るシーンの前で動画は止まってしまい最後までみることができなかった。最後までみることができなかったことにより、…まだ早いよ、そんなメッセージがどこからか、誰かから聴こえた気がした。

月の光はフジ子・ヘミング(以下フジコさん)しか聴かない。私はフジコさんの月の光が好きなのだ。10年以上前、とても心が不安定だった頃、フジコさんのCDを買ってよく聴いていた。心か魂が求めていた音だったのだろう。それまでCDを買ったことなんてほんの数回しかなかったのに、。フジコさんの音は唯一無二だ。あの音は人間(自分)を生きた人にしか演奏できない音だと思う。フジコさんの絵もまた素晴らしいんだよなぁ〜。とてもとても可愛らしくて、フジコさんの独特のファッションセンスとの親和性も感じる。ずっと心の一部は少女のままだったのだろう。

星野富弘さんへの哀悼の意を込めた文章を書いた時、フジコさんへの文章も書こうと思ってた。私の好きだった人たちがほぼ同時期にこの世を去ったのだ。十分に自分の命を生ききった人たちが。彼らと同じ時代に生きれたことを誇りに思う。

 

私は私を生ききるだろう。この命の使い方にはもうとっくに気づいてる。

 

……2013年の4月15日(月)から6月3日(月)まで毎日詩を書いた日々がある。その時強い衝動で『今日から毎日このノートの最後のページまで詩を書く!』という強い意志をもって臨んだことだった。

最初の詩はこのブログのどこかにも載せたことがある。今思えばあの日は確かな未来への始まりの日だったと思う。

 

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生きることを選んだ

生きてくことを選んでいた

僕のなかの僕が

 

より美しく羽ばたくことを選ぶ

僕が僕のために

 

 

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私はあのとき、私を生きることを選んだ。

 

 

 

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