この2~3日、死ぬほど辛い体調不良に悩まされていた。やっとさっき峠を超えたところ。頭痛と腹痛。これまで頭痛薬が効かなかったことなどほぼないのに今回は効かず…腹痛も、大抵一日で回復することがほとんどなのに、胃腸が丈夫な私にしてはめずらしく数日食べれない日が続いた。
昨日食べれたのはりんごジュースとSEVENTEENアイスのいちご味のみ。仕事だったから本当にしんどくて、だけどそんな中神様はちゃんと助けてくれて、昨日行った家のキッチンには奇跡的に折りたたみ椅子があり、お客さんが買い物に行ってた30分ほどの間椅子に座って寝ることができたw
ほんとにあの椅子がなかったらマジでやばかったから、助かった。
昨日のお客さんはシングルマザーで、小4の息子くんと仲良く2人暮らしをしている人だった。去年出会ったHさんのようにエネルギーが強く大きい人で、お料理中も色々話しかけられたりした。お料理が終わって片付け作業をしている時に息子くんが何やら奇声を発して喜び出して、お母さんも一緒に大騒ぎし出した。話を聞くと、6月から映らなくなって完全に壊れたと思っていたテレビが数ヶ月ぶりに映ったという。『よかったですね〜!奇跡の現場に立ち会えて私も嬉しいです。』なんて言ったけど、多分あたしがいるからじゃない?って心の中では思ってた。ヒーリングは人だけじゃなく、空間や物質にも起こせるのだ。
Nさん親子はコミュニケーションを沢山とっていて、いい子育てしてるなぁ〜って感心した。そんな感想を伝えると、色々話も弾み『趣味はなんですか?』なんて聞かれる。趣味って…料理かな。ヒーラーは存在だし趣味とはちがう。「趣味ですか、、」とすぐ答えられずにいたら『着物着たりしません?』と唐突に言われびっくり。確かに私は着物が着れる。「ああ、着ます。え?でも何でそう思ったんですか?」と聞くと『なんとなく着物似合いそうな気がしたから。』と。すると息子くんが『お母さんは着物の大会に出てるんだよ』なんて言う。着物はNさんが着ていたのだ。…なるほどw
しかも、Nさんは柔道家で名前で検索したら情報出てくる人だった。著名人やん。
私は気に入られてまた来て欲しいって言われたけど、まあ、一期一会を信条として働いているので出会えたことは良かったけど、また会えるかはわからない。とにかくあの体調の悪さで仕事が無事終えられてほっとした。帰ってからが地獄だったけど。。
今日のお昼頃にふらっふらになりながら大好きな玉子おかゆを作って食べたら、弱りきっていた身体がちょっとだけ命を吹き返した。玉子おかゆは小さい頃から好きだった。日本人らしい。欧米だとオートミールとか食べるのかな?私は玉子おかゆがいい。
今日から9月だ。思いがけず体調不良スタートとなってしまったが、気持ちは前を向いている。これから(これまでも)私が大事にしていきたいこと。
それは、誰のことも(何事も)見上げず、誰のことも(何事も)見下さない。
これに集約されるな、と。
私は無名だ。世の中には、著名人(名の知れた人)と無名の人がいる。人口比率でいったら圧倒的に名の知れた人の方が数が少ない。発信者と受信者。数が少ない方が優位。与える人(発信者)と受けとる人(受信者)という関係性になりがち。
だけど、本当にそうなのかな?
発信する人が発信する人でいられるのは、受けとる人がいるからだ。受けとる人がいなかったらそもそもが成り立たない。名が知れた人は名が知られた人として見られるようになってしまう。同じ人と人なのに、平等な関係性が築けなくなっていく。
私のように無名な人が誰のことも(何事も)見上げず、名の知れた人が誰のことも(何事も)見下さないことを念頭に生きることで、すべてはひとつである世界になっていくんじゃないかな?
それぞれがそれぞれの役割を担っているだけだと思えれば平和だと思う。
だから、頑張ってこの世で成功しよう!とか人類はもうそういう段階にいない気がする。名が知れようが、知られなかろうが、自分にとっての真の幸福を掴むことの価値に気づき始めていい頃だと思う。全ての魂に経験したいことが決まっているのなら、それに気づいていくはずだし、どんなに長い間、燻ってると思っていた時だって、本当に大切なことに気づくための大事な時間だったとあとからわかることもあるだろう。
自分は世界で、相手は自分。
だから人生では、波動が合う同士(同じステージにいる同士)が出会うのだろう。自分が変わるとステージも変わる。学びは終わらなくても、学ぶフィールドは変わっていく。
私はこの私のまま、人間のふるさとになると決めている。そのためのこれまでだったし、今だし、これからだ。
多くの子どもたちから学び続けるのだろう。
人間のふるさとになる発言は覚悟が必要だった。だって、それは私のすべてだから。
この記事は消しちゃうかもな…
だって私は恥ずかしがり屋だから。
おいしいご飯を食べさせたい