今日は、青山にあるドイツ文化会館で行われた、「dancing pina」というドキュメンタリー映画の上映会を鑑賞した。
感想。
出演者の人たちの命の躍動感に感化され、涙が込み上げてきたり、息をするのを忘れたり、今すぐ走り出したいような、踊り出したいような衝動にかられたりして、鮮やかで生々しい感情が身体の奥底から突き上げ、全体を揺さぶるかのような体感のなか、111分の間、完全に映像に集中していた。
来週実際にこの映画に出演されたアフリカのダンサーたちが踊る舞踊演劇の舞台が東京で開催される。
本当はそれも見に行きたいけれどチケット代が高すぎた(私にとって)ため、ドキュメンタリー映画だけでも…と思い来てみたのだが、想像以上に素晴らしかった。
私らしく感じたことは沢山あるんだけど、語彙力が着いてこれる自信がなく、想いを的確に表現できないのが悔しい。
ただただ、とんでもない人間芸術だった。
私が生きてる間に自分の目で見たいもののお手本?がそこにあった。
人間の醜さと美しさ
ひとりひとりの人生で体験してきたリアルが身体表現を通して作品の中で躍動する。国境を越えて、それぞれの真実がひとつに重なり、人間という生き物の輪郭を浮かび上がらせる。傷や痛みもリアルな表現には欠かせない。その体験こそ、その人たらしめるものであるから。
なんかもっとこう、うまく伝える術があればいいのに、、これが限界。
上映後、ピナ・バウシュの実の息子さんであるサロモン・バウシュさんが登壇され、来場者からの質問に答えてくれることに。
最後の質問者が「今回の作品の指導者の方々は、ピナと直接関わりがあった人たちですが、そういう人たち亡き後、実際にピナを知らない人だけになった時にどのようにピナの作品を残していこうとお考えですか?」
と、なかなかいい質問をしてくれた。確かにそこは気になるところだ。
するとバウシュさんは『良い質問をありがとうございます。作品は演者(ダンサー)と共に変化していくものだと考えています。ただの模倣であるならそんなもの最初からやらない方がよほどマシだとすら思っています。』簡潔にすると、そのように答えていた。
ピナが作品に吹き込んだ息吹はおそらく振りの中に永遠に生き続けていて、あとはそれぞれの時代をそれぞれの場所で生きるダンサー独自の人生経験や体験に基づく、解釈や表現力などによって作品の新たな可能性が広がっていくのだろう。そして、それこそが真のスピリットの継承であるのだろうと、私は小さな感動を憶える想いで胸を震わせた。
実は今朝まで頭痛があり、頭痛薬を飲んで会場に向かったのだが、映画が開演してからすっかり頭痛は消えていた。ほんとにもうあれほどひつこかった連日の頭痛が嘘のように霧が晴れたようにスッキリと。
映画が終わり、晴れ晴れとした気持ちで夕方の青山の街を歩き出したら、見事な夕日に遭遇した。あまりに綺麗でしばらく夕日を直視して、夕日とコンタクトをとる。正確には、コンタクトをとる気分で美しい夕日を拝んでいた。
そこでふと思い出した、3年前の夏に連れて行ってもらった、その場所から近い不思議な本屋に立ち寄ることに。
相変わらず素敵空間だった。
店内をゆっくり一周する間に目に止まった、osho(インドの哲学者)のオラクルカードみたいなのを手に取り、直感で引いてみることに。私が引いたカードは112番だった。すると、カードの後ろに隠れていた解説書の表紙に''112の瞑想カード''とある。112枚のカードの112番目を引いていたのだ。解説書の内容はなんか深くて今の私が受け取るには大きすぎるメッセージのように感じた。
最後の一行
自分の内側の空間に死ぬことができれば、決して死ぬことのない生に到達する。それがアムリット「不死」だ。
アムリットが不死という意味だということだけは今の私でもわかった(笑)
oshoカードから離れ、クリスタルなどの鉱石が並べられたショーケースを眺めていたら、お店の人から声をかけられた。その人はあまりそのお店の雰囲気とはマッチしていない感じのいい意味で気さくな雰囲気の女性だった。
「気になる石ありましたか?よかったら、お出ししますよ。ぜひ手にとってみて下さい。」と言われ、私はちょっと遠慮してる感じを出しながらも『え、よろしいんですか?じゃあ、あのクリスタルを…』と、ひとつのクリスタルを指差す。女性は「いいのをお選びになりますね?!(流石わかってらっしゃる)」といった感じで答えてくれ、ケースから取り出してくれた。私がそれを選んだ理由は、そのショーケースの中にあったクリスタルの中で一番値段が高かったからだった(笑)
椅子に座らせてもらい、目の前に置かれた大きなクリスタルを実際に触らせてもらった。すると女性が、『石が喜んでますね。いま手にとられた瞬間、パァーっとエネルギーが広がってこっちにまで伝わってきましたよ。』なんて言われる。
私はいつもよく分からない。石と話したり交信できる人もいるみたいだけど、特に何も感じられない。綺麗だなぁ〜、としか。
だけど、そうやって感想?を伝えてもらったお陰で、私がわからなくても、クリスタルは喜んでくれてたのか…よかった♡と思えたから嬉しい。
伝えてくれた女性に感謝だ。
それからもうひとつ気になった、隠岐島(沖ノ島?)産の黒曜石を触らせてもらい、石からパワーをいただく。なんかとてもすっきりとした綺麗な石だった。
案内してくれた女性は、石は生きてるって言ってた。
確かに生きてるのかも。。だから、人が手にしたり愛でたりすると石もそれに応えてくれて輝きを増していったり、石のなかにある虹を増やしたりしてくれることもあるのかも。
できれば自分でも何か感じられるようになれたらいいなって思うけど、わからないのも私らしくて悪くないな、なんて思ったりした。
とてもいい一日になった。
夕日綺麗だった