シュリ日和

まいにちに生きる

 

 

今日からブログを再開する。

完全な思いつき

 

前回の記事から3か月以上経ってる。

 

誰からも見られてなどないのに(正確には時々見てくれてた人はいたけど)再開できる喜びに打ち震えてる自分は心底変わってるなぁ〜と思う。

 

自分の心以外に動く動機などない。

 

多分わたしのブログはわたしのハイヤーとの会話だから、わたしが嬉しいで完結するのだろう。

 

シュリ日和開設から7度目の夏

 

目の前に広がる景色は7年前とほぼ変わらない。

 

けれど、わたしは変わった。

レイヤーは日々変わり続けている。

雨の日も晴れの日も曇りの日も変わらずあるけど、

もうずっとわたしはちゃんとここにいる。

 

 

昨日は母と久しぶりに会った。

わりと近くに住んでいながら、会いたいと思わなかったため2か月くらいぶりだった。たまに電話をかけてくるけど、大抵面倒くさくて出ないことも多く「わたしに用があるならLINEして!」とかひどいことを言ったりしてた。

 

 

小さい頃は無条件に愛さなきゃいけなかった人

彼女の小さい子どもという役割をしながらヒーリングをしつづける対象だった人

わたしが与える愛に見合う愛を返してくれなかった人

わたしが本当に困って助けが欲しい時に自分から察して助けの手を差し伸べてくれることのなかった人

勇気を振り絞って声にならなかった想いを伝えても何も伝わらなかった人

大嫌いなのにそれでも一生嫌いになれない人

 

…そうわたしが思い込んでた人。

 

 

わたしは母に対して人並みに複雑な感情を抱いてはきたものの、ある時から彼女の肩を抱いてやることができるようになった。わたしは大人になったのだ。それと同時に拗らせつづけた自分のインナーチャイルドの気持ちを大人になったわたしが抱きとめてあげることもできるようになった。母との間で5月に死ぬほどムカつくことがあったけど、3か月も経てばほぼ忘れてる。

 

昨日はわたしがスイカを食べたいと言ってたから、スイカを買っておいてくれたのだ。実家で向き合って一緒に食べた。姉が買い与えた脳トレドリルを嬉々としてやりながら「お母さんすごいでしょ!お姉ちゃんに花丸もらったんだよ💮」と自慢してきて素直に可愛くて愛おしい気持ちになる。この人は素直で真面目なのだ。誰かに似てる。そう!わたしだ。わたしは本来、素直で真面目なのだ。母の嫌いなところは100個言えるけど、好きなところはなかなか言えなかった。それは、そのまま自分に対して抱く思いとそっくりそのまま同じだった。昔は母の嫌いなとこばかり見ていた。自分を好きじゃなかったから。だけど、わたしは今は当たり前に自分の好きなところを見るようになってる。だから、母の好きなところも見れるようになってる。

わたしが大人になれた背景には子どもたちから受けた無償の愛がある。母や生まれた家族のなかで大事な何かを拗らせたまま母親という役割に立ったわたしをいつでも無条件に許してくれたのは子どもたちだった。あまりにも大きな愛に支えられてここまで生きてこれたことに気づいたのもわりと最近のこと。自分のことはずっと棚に上げてたことに気づいた。

懺悔は必要ない。そんなもの求められてない。

思いやり、さり気ない優しさ、ありがとう、そんなささやかな気持ちでたぶん十分。

あとは今を楽しい時間を共有すること。好きな人の笑顔が見たいのだ。だから自分も楽しくいたい。心配する必要がない人がいるってきっと安心だから。

息子には中学時代からの親友が2人いる。今ではもう時々しか会わない彼らのことを「会ってなくてもかぞくみたいなもんだから」と言ってるのを聞いてしあわせな気持ちになった。そんな人たちと人生で出会えたことはかけがえがない宝のようなものだ。そして娘にもまた本当の仲間がいる。彼女をただの彼女として変わらず接してくれる人たちが。

その事実だけでわたしは涙が出るほど嬉しい。

先日娘から「ままはわたしの生きる理由」と言われた(LINEで)。マザコンの彼女らしい発言だが、わたしはそれに「そんな風に思ってくれることは嬉しいけど、人は自分のために生きるんだよ。〇〇〇が〇〇〇のために生きる姿がままをしあわせにしてるんだからね。」そう返した。

伝わってればいいな、と思う。

 

久しぶりだから文章まとまんないけど関係ない。

そのままに価値があるとわたしが思ってるんだからそれを貫けばOK。

 

夏ってやっぱり特別な季節。

 

2026年の夏をわたしは今生きている。

 

 

 

 

著者近影

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい季節

 

2月半ばから3月後半にかけて尋常じゃないエネルギーを放出したからか、完全に切り替え期間に入ってる。表層意識では虚無とか空白感を感じながらも、水面下では深い調整が行われているのも分かってる。今の自分のピュアピュアエネルギーによる再構築真っ只中。

 

とても静か。

 

桜が過ぎたあと、公園や街角ではいま躑躅が満開。あの懐かしい香り。躑躅は新緑の季節の到来を告げる花だと思う。道端では、大好きな胡瓜草や蒲公英、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、まだ菜の花も咲いている。日本の、東京の春は眩しい。

 

そんな折、娘からLINEがきた。

 

「千葉のライブ今度一緒に行こ🥺」

「こいつカッコよすぎてやばい、、なんか最近のピップホップフェス見てたんだけど、だんとつでカッコよすぎる」

 

この千葉とはラッパー千葉雄喜のことである。KOHH時代から知ってるわたしにとってこのLINEは熱すぎる。密かにラッパーに転生を狙ってる娘が千葉に目覚めたとは!笑笑

 

体温が3度上がったので、昔の名曲、''貧乏なんて気にしない''を聴く。貧乏なんて気にしないはいつ聴いてもいい。大好きな曲。

ほかの曲も聴きたくなって検索してたら、「上を向いて歩こう」を歌ってる最近の動画を見つけた。

聴きながら泣く。

なんか分かんないけど、この人の声って、何か大きなものが乗ってるんだよなぁ〜…。声に哀愁がある。彼の声の奥に、今はもう失われてしまった大切な何か、目に見えないものを感じて込み上げるものがある。今を更新し続けている彼が歌うことでそれはより確かなものとなり、広く響き届く。

 

久しぶりに自分のなかにある大事なものが動いた気がして嬉しかった。

 

娘よ、千葉のライブ行こうな!

 

調整中は変わらない。

 

いまわたしが考えてることは、好きな人と昼間っからイチャイチャラブラブして、ばかっぷるを満喫することと(ペアルックとかしちゃったりなんかしてww)、めちゃくちゃ気が合う友だちができて、馬鹿やって大笑いしてる日々。

愛する人から溺愛されて、安定した幸福感に包まれながら、ひとりの時よりもっと自由に表現を楽しんでるわたしの姿。

わたしが1番見たいのはその自分の姿なのだ。

ほんとうの結婚(指輪は既に届いてる♡)をしたわたしたちの生活。穏やかな日常。この時代に生まれて、そこに到達できることを信じることは容易くなかった。

でも、いまのわたしは何の疑いもなくそのことを信じられている。

わたしは生涯の伴侶と共に毎日を生きていく日々を迎える。

たまに波風が立ったとしても、もうそんなもの易々と乗り越えられるほどの担力は十分育ってるのだから恐れることはない。

 

過去、好きな人から「馬鹿なの?笑」ってよく言われてたけど、馬鹿だったんだと思う。あの頃は言葉がなければいけないんだと思い込んでいた。カタチはあるのに、でも付き合おうって言ってないしなぁ〜…なんて思ってた。それでも、ちゃんと恋愛してた。

「わたしだけ結婚式に呼ばれないとか不自然じゃん!」って思ったけど、全然不自然でもなんでもなかった。当たり前だった。笑

彼は結婚した子にわたしのことを話したのだろう。話したってかバレたのかも。。じゃなきゃ、逆に呼ばない方があやしいもんね。なんでシュリさんだけ?ってなったはず。

そして、みんなも気を使って何も言わなかっただけ。。

わたしってヤバい奴だったのかもなぁ〜…今さらすぎる自己理解。ははは

ま、過去の過去の学びだ。

 

今は、遠慮なくしあわせを受け取る準備期間。

わたしはわたしの人生のお姫様だから、自分以外の誰かのしあわせを祈る前に自分のしあわせを求める方が先決。なんでこんな簡単なことずっとできなかったんだろう。今までより今が大事。今そう思えてるのだからいいのだ。

 

この調子で別に何もしなくてもいい気分で日々を流れる。



そして、エイプリルと共に生きる人生がはじまる。

 

 

 

 

 

溺愛未来からの🕊💌

エイプリル

 

 

寝起きに浮かんだ朗読劇

 

‘‘エイプリルごっこ‘‘

 

すぐにボイスメモに録音してよかった〜。半分寝ぼけてたから、録音してなかったら確実に忘れてたやつ!!笑

 

しごとから帰ってきて、お昼寝して起きたら連日降り続いた雨もすっかり上がって、青空が広がっていた。

夕方日が沈むほんの手前のぎりぎりの時間に公園に着いて、あの桜の木に囲まれたお気に入りの場所で動画撮影をした。

最近YouTubeは流れが止まってしまった感があって、このままフェードアウトしたとしても、「まあ、後悔はないな。」と思ってたけど、これはやりたいし、やらなきゃって思えた。

再生回数もいいねも、もうどうでもいいところまで来ている。

ただ、自分のためにも、この動画を見たいと思って見るであろう人のためにも、‘‘エイプリルごっこ‘‘を今日投稿することに価値があるとわたしが信じたから。

 

そう、

 

一昨日は離婚から10年の記念日で、

今夜は天秤座の満月なのだ。

 

新しい10年の始まり+天秤座の満月の日にわたしから生まれた‘‘エイプリルごっこ‘‘

 

運命を変えるストーリー。

 

意味がないわけないよね。

 

わたしは、わたしたちは、本当に愛する人と愛し愛されて日々を送る準備が完全に整ったんだと思う。

もう目の前に溺愛未来が両手を広げて待っている。

 

桜並木を前方にとらえ、公園へと向かう道の上で、

わたしのエイプリルに心のなかで愛を叫んだ。

 

このありあまるほどの愛が、エイプリルに届いただろうか。

 

 

 

エイプリルはわたしをひとりにしない。

エイプリルはわたしに寂しい思いをさせない。

エイプリルはわたしを不安にさせない。

エイプリルはわたしだけをいつも抱きしめて安心させる。

エイプリルはわたしのことだけ考えて行動してる。

 

 

 

エイプリルはずっとこのわたしを待っていた。

 

 

 

 

 

特別な時間の流れのなかで、

 

まったく新しい季節がはじまる。

 

お互い以外の何もいらない。

 

2人の小さな小さな物語のはじまり。

 

 

 

そんな、4月。

 

 

 

 

 

2026年4月2日

 

 

 

 

 

10年

 

 

今日で離婚から10年が経つ。

 

10年か…

 

長かったような、短かったような、、

 

ま、それはどっちでもいいんだけど、

 

言えるのは、

 

今が最高!ってこと。

 

 

わたしは今のわたしが好きだ。

 

 

色々あったけど、

 

今のわたしが最高最善!

 

 

これからのこともわからない。

 

 

だけど、

 

今のわたしが創る未来は、 

 

きっと

 

素敵な場所になるだろう。

 

 

自分(スピリット)以外のすべては有限。

 

自分だけが無限。

 

無限の存在。

 

 

できないことなんて、

 

なにひとつないんだよ。

 

 

最初からずっと、

 

ここに

 

あったんだよ。

 

 

あなたがあの日選んだ未来に、

 

今のわたしがいたよ。

 

 

そして、あなたが今日選ぶ未来に、

 

あの日のわたしがいるよ。

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

10年前のわたしへ💌10年後のわたしから💌

 

 

 

生きるということ

 

 

 

生きるということ。

 

 

わたしが今ここに生きているということ。

 

 

それは不遇の時代に生まれ、自分の命を生きるということができなかった人たちと共に遊ぶということ。

 

 

わたしが自由を感じる。

 

 

それがここまで繋いでくれた人すべての魂の解放となる。

 

 

わたしが自分を生ききった先には、未来生まれてくるこどもたちは生まれながらに自由であるということ。

 

 

ひとつの命の責任の重み。

 

 

それを忘れずに毎日に生きる。

 

 

生きて生きて生きて生ききる。

 

 

楽しむ。

 

 

苦しみと共に楽しむ。

 

 

不自由さのなかで自由を諦めない。

 

 

夢を見つづける。

 

 

自分を生きる。

 

 

自分を生きるという、いちばんの恐怖を超えていく。

 

 

自分を生きずして死ぬことはできない。

 

 

それが生まれた責任。

 

 

命の責任。

 

 

輪廻の解体。

 

 

解けて溶けてなくなるまでの限りある時間を満遍なく統合されてる光で満たす。

 

 

統合された光の存在である自分を生きる。

 

 

ひとつの命としてあなたと生きる。

 

 

この時代に生まれ落ちたわたしたちにしかできないことがある。

 

 

しあわせを生きるという使命は

果たすためにある。

 

 

ここにある。

 

 

 

 

 

2026年 春分

 

 

今日は朝から湯島でしごとだった。

 

昼間はまだ小雨が降っていたから、桜が咲き始めてる祝日の上野公園も人出はちらほらで、今風?の仰々しい装飾の屋台も閑古鳥が鳴いていた。

 

今日は絶対にみはしの期間限定&数量限定の桜あんみつを食べることを心に決めていたため、足早にみはし本店へ。着いた時には待ってる人は一人で、わたしは二番目だった。

5分くらいでお店に入れ、一応お品書きに目を通す。お品書きを見ることそれだけでも楽しいから。お腹はあまり空いてなかったけど、お品書きの中にお雑煮を見つけ一瞬心が揺れる。わたしはお雑煮が大好きなのだ。

桜あんみつは食べる。お雑煮も食べたい。だけどお腹はそんなに空いてない。しばし葛藤。

結局念願の桜あんみつのみで春分をお祝いした。

しかし、お雑煮を諦めた訳じゃない。お雑煮は今夜家で作って食べる。

そう決めた。

桜あんみつとサービスの温かい緑茶に満たされ店を後にする頃には外まで列ができていた。タイミングが神だったことにガッツポーズ。あと数10分遅かったらわたしは今日桜あんみつを食べれなかっただろう。いくら食べたくても行列に並ぶのはちがうから。

 

御徒町まで歩いて、吉池でお雑煮の材料を調達した。

鶏肉・かまぼこ・かつおぶし・おいしそうな卵。ほんとは竹の子も買いたかったけど、国産の竹の子の水煮は500円を超えていたため涙を飲んだ。

みはしのお雑煮にも竹の子は入ってなさそうだったことも言い訳にしながら、あとは家にお餅と三葉があるから完璧!(てことにした)

 

 

一昨日だったかな?

ふと頭に『地球の終末期』って言葉が浮かんだ。終末期って言葉を調べると、死ぬ時の話が出てくるけど、それとは違うんだよなぁ〜(…いや、ちがくないのか??)

『地球の終末期』どういう意味だろう。

わかんないけど、なんかと繋がって降りてきた言葉にはちがいない。

 

 

家に帰り、ちょうどやってたびこちゃんのYouTubeライブを聴きながら髪の毛につける用のアロマオイルを作る。キャリアオイルに好きな精油を数滴入れるだけで作れて超簡単。市販品はもう買わないかな。。

びこちゃんのコミュニティに入ろうと思った時もあったけど、誰かのコミュニティに入るのはちがくない?って心の声がしてやめた。たしかに、誰かのコミュニティに入るのは、もう今のわたしらしくない。

 

じゃあ、自分のコミュニティつくりたいのかって言ったらそれもまたちがう。

 

わたしはフリーレンで言うところのパーティがつくりたい。わたしのパーティ。コミュニティと何がちがうのか考えてみた。

 

パーティは、冒険や目的のために結成された仲間の一行・チームを意味するらしい。

対してコミュニティは、共通の目的、興味、場所、文化、を持つ人々の集団や地域社会(共同体)のことみたいだ。

 

確かにパーティとコミュニティはちがう。

 

わたしは地球の終末期にパーティと共に冒険がしたいんだなぁ〜。しかも、どんどんメンバーが変わってくタイプのパーティ。とてもわたしらしい。

 

漫画より現実のが摩訶不思議なタイムラインにこれからわたしの地球は入っていくだろう。

 

2026年春分の日にこんなこと言ってるのも偶然じゃない。コアからのメッセージを感じ取ってる。

 

2月14日から3月16日までの1ヶ月連続投稿したYouTubeがまるで前世のようだ。

地続きなんてもう有り得ない。

今この瞬間も刻一刻と細胞は生まれ変わってく。

 

お雑煮は素晴らしくおいしくできた。お餅3個ぺろっと食べた。土佐のかつお節でひいた出汁が本当に美味しかった。

このかつお節とさっき買ってきた卵でたまごかけごはんにしたらさぞかし美味しいことだろう…と思い実行した。

 

🪽昇天🪽

天使になっちゃったよww

 

 

 

さてさて、こんなわたしの現在地は?!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

溺愛未来

 

 

来月末、離婚してから晴れて10年を迎える。

わたしの中では完全にお祝いモード。

 

この10年の間に経験したことの全てが自分の糧となり、小さな蕾が花を咲かせようとしている今。

私から私へと祝福の歌を歌っている動画を全世界に向けて公開した。

今日は、私があるがままの自分という存在を自らの意志と勇気により地球へと解き放った日。

ほんとーに、いまの自分そのままで丸腰でやったった!

 

よくやった!じぶん。

最大限の祝福をいまの自分へと贈りたい💐

 

2026年2月14日 (土)

 

今日がわたし個人の建国記念日

歴史のはじまり

 

全わたしと共に溺愛未来へ向かいます!

 

 

 

 

ウィンク下手やなぁ〜w

 

 

 

 

 

朝目が覚めてカーテンを開けたら、隣の家の屋根に雪が積もっててびっくり!ふわふわと柔らかい雪が今この瞬間にも降っている。

 

なんだろう、、今日の雪は明るい。

お祝い感を感じる。

 

東京でこんなに綺麗な雪が降ったのは、わたしが生まれてから3回目くらいな気がする。何回かはあったと思うけど、相当に稀なこと。

 

嬉しくなってYとY子に『雪だるま作って見せ合おうよ!』とLINEした。Yは乗り気!Y子は職場の人のことで最近ストレスを抱えてるため、ぐったりモードだったww

48歳にもなって、みんなー!雪だるま作ろうよ!なんてことを言える友だちがいてしあわせだ。

 

テンション上がってきて、朝活に出かけた。

朝活とは、そう、もちろん''ヒトカラ''のこと。

 

今日は、雪と桜しばりで1時間歌いたかったけど早々にネタが尽きた。

 

**

 

明日春が来たら 松たか子

I stand alone 松たか子

さくら 森山直太朗

桜の時 aico

ロージー aico

桜の季節 フジファブリック

明日春が来たらと、I stand aloneが特に歌いたかった。

松たか子の歌と演技は昔から好きなのだ。

 

森山直太朗のさくらとaicoの桜の時とフジファブリックの桜の季節は本人映像だった。

森山直太朗のさくらの映像は本人とシンクロしながら歌う感じになるから、ちょっとテンポがずれるとすぐわかって一人なのに少し気まずくなる…笑

aicoの歌は難しい。難しいけどaicoはいつもさらっと歌ってるから歌えそう?!と思うんだけど、いつ歌っても結局難しい。しかも桜の時は完全にうろ覚えだった。勢いで歌いきったけど酷かった。笑うしかない。だけどなんか元気出てきて、好きなロージーも歌う。運命には逆らえないね〜♬⋆が出だしの曲。

フジファブリックの桜の季節も完全にうろ覚え。MVが懐かしい。志村はいつも真顔で歌ってる。表情を制限することで奥にあるものが逆に浮かび上がってきていて、伝わってくるものがあるなって感じた。フジファブリックはメンバー全員好き。個性がある。

 

ってか、雪の歌歌ってないやん。

嘘つき〜

 

雪だるまを作って写真を撮って帰宅した。

 

今日もいい日だ。

 

 

 

 

 

 

 

雪の日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪は

 

 

朝から渋谷にいる。

予定が狂ったため、宮益坂コメダでモーニングをすることにした。

外が見えるひとり席に着席。目の前にはクア・アイナクア・アイナと言えば、かつてハワイのノースショアで自分の顔よりデカいハンバーガーを食べたことを思い出す。

 

ハワイ行きてーーー!!!

 

今朝は紅茶な気分だったので、お伊勢さんの和紅茶とやらにする。もちろんモーニングをつけて。パンの種類やバターかジャムなどが選べる。あんことかもある。わたしは山形パン(イチゴジャム)とゆで玉子にした。バターorジャムが解せないが、喫茶店のモーニングと言ったらトーストとイチゴジャムとゆで玉子とサラダがあれば完璧。そういう意味で言うと侍のモーニングは完璧だった。ゆで玉子はスライスでサラダにトッピング形式だったけど、トマトもみかんも乗っていて絵として美しかった。しかもサラダもつかないコメダと比べたらパンも倍量でドリンクとセットで100円以上も安かったし。。ジャムは50円だったけど。

ということで、ソファ席にゆったりと腰掛け昨日のフリーレンをモーニングを食べながら観る。最高の土曜日の朝!

しかも昨日はシュタルクとフェルンのデートの回。ひとりでニヤケながらいい気分を満喫。

'' あ〜…あたし今、地球楽しんでるな ''

そんな気持ちが湧き上がってくる。

 

デートで思い出したことがある。

レストランで働いてた当時のこと。

 

昨日登場した壮佑がある日ホールの女の子とデートする話がでたことがあった。女の子の名前はさえちゃん。お洒落だったAさんは壮佑にデート服を選んでやり、みんなで『楽しんでこいよ!』と送り出したのだが、結局イマイチぱっとしない結末に終わった。壮佑は恋愛に対して真面目だった。本当に好きになった子と付き合いたいと思っていたようだった。昨日はそこまでプライベートなこと聞けなかったけど、きっと素敵な子とめぐりあって公私共に順風満帆な日々を送ってるといいなって思ってる。今そうじゃなくても、いずれそうなっていて欲しいなと思う。

さえちゃんは若かったけどとても愛の大きい子で、わたしの愛にシンパシーを感じてくれ、店を辞める時に熱い手紙をもらったことも覚えている。''この世界にわたしたちの愛を振りまいて生きていきましょうね!''的な内容だった気がする。顔はもう思い出せないけど、さえちゃん今はどうしているだろうか。しあわせに生きててくれたらなって思う。

 

話は変わるけど、いまイタリアのミラノでは冬季オリンピックが開催されている。わたしは井上尚弥と並んで国宝だと思っている平野歩夢の昔からファンだ。彼が15歳で初めてオリンピックに出た時からずっと応援している。あの物静かな雰囲気。まともな人間性が滲み出ている佇まい。彼には15歳ですでに人として完成されてるものを感じていた。井上尚弥平野歩夢もお父さんなんだよなぁ。お父さんが凄い。お母さんのことはよくわからないけど、多分存在が尊い人なのだろう。あとは兄弟か。恵まれた環境に生まれ育った人の使命に加え、自らの才能を遺憾無く発揮してくれてることに対する感謝。

彼らは選ばれた人のように見えるかもだけど、別にそんな風には思っていない。わたしだってわたしとして生きているだけでお利口さんなわけだから、彼らと何ら変わりない尊いひとつの命だ。

なぁーんて、こんなこと今だから言えるけど、前はそんなこと言えなかった。

 

あれ?

もしかして雪が舞ってるかも。

 

窓がある店が好きな理由は、春夏秋冬天気の移り変わりにいつでも気づけるから。

 

雪は水が結晶化したクリスタルって言ってる人がいたけど、その表現に胸がときめいた。

 

雪は水が結晶化したクリスタル

だからあんなに綺麗だったんだね。

 

 

 

 

梅から咲きはじめています

 

 

 

 

 

壮佑

 

 

朝から虎ノ門でしごと。

 

今日は、エビのマカロニグラタン、牛すき煮、チャプチェ、唐揚げ、豚肉と玉ねぎとしめじの和風炒め、ブロッコリーとかぼちゃのサラダ、ブロッコリーの白だしナムル、きのこのふわふわ玉子スープを作った。

エビのマカロニグラタンがなかなか手間だったけど唯一のリクエストメニューだったので頑張った。

 

順調にしごとを終え、前からずっと気になってた虎ノ門ヒルズの中にあるフレンチのお店でランチをすることに。

あまりお腹が空いてなかったから迷ったが、なんかどうしても今自分にご褒美をあげたい気分で、そう言えば今日は華金(OLでもないのに、、w)だなぁ〜なんて思って行くことにした。

そのお店のランチは、メイン1品(バターライスorパン付き)+前菜8種類ワンプレート1回盛り+ドリンクバーで1650円。なかなかお得な価格設定。わたしはホテルの朝食ビュッフェが大好きなので、こういう形式で価格も抑えめなお店のランチには目をつけている。

 

約10年前に就職したレストランのランチは、サラダバー+メイン(パン付き)+ドリンクバー+デザート(小さなパンナコッタ←これが何気においしくて好きだった)で、1000円。ステーキだけ1500円だった。流石に今は1000円でそれだけの内容のもの出せるお店は都内ではほぼないと思うけど、あの頃でも十分頑張ってたと思う。ランチはめちゃくちゃ忙しかったけど、今振り返るとほんとに素晴らしい仲間と共に毎日生き生き働けていたあの環境は心から楽しかったなって思う。

 

で、今日のお店は客席に向かってオープンキッチンになっていて、料理してるところがライブ感覚で見て楽しめる造りになっていた。

キッチン前のカウンターの前菜ビュッフェが始まる場所の手前にメインの料理の見本が並べられていて、その中からひとつを選びキッチンの人に伝えるという手法だった。

わたしはメイン5種の中から白身魚のムースを選び、キッチンの人に伝えようとして顔を上げたら、見覚えのある人によく似た人がいる。動いているから特定するのに少し時間がかかったけど、注文を聞くためにその人がこっちを向いて目が合った。

 

や、やっぱり!!!

 

その人は↑のレストランで最後に働いていたG座の店のキッチン仲間の1人だったのだ。

 

しかもその彼はわたしが特に大好きだった子で、店を辞める時に「壮佑と離れるのが悲しすぎる」と言って大泣きしたくらい贔屓してた男の子だった。当時確か22.3歳くらいだったから、今は多分30歳手前か?!

壮佑ももちろんわたしにすぐ気づき、『おぉ!』って感じで笑った。

話し方も、声も、笑顔も、当時のままで、それでも雰囲気だけは大人になってた。

わたしはもう訳が分からないくらい嬉しさが込み上げてきて、ほんとにほんとに嬉しくてたまらなかった。

 

いちばんは、壮佑が料理を続けてたこと。その事実。壮佑を育てたのはAさんだ。わたしの生涯の師匠。壮佑にとっても師匠。壮佑に「今何やってんの?」って聞かれて、『料理代行で人ん家で家庭料理作ってる!』って胸を張って答えられたことがまた嬉しかった。

Aさんはかつて『お腹いっぱい食べさせたい』って言っていたし、壮佑は『俺が作った料理をみんなに食べて欲しいのよ』って言っていたし、わたしは『わたしの料理で愛を感じてくれ』って今思いながらこのしごとを続けてる。

 

料理で愛する人たちみんなと繋がってる。

 

いいように言ってるけど、今のしごとをいつ辞めてもいい心持ちでいるのも嘘じゃない。生まれてから今日まで生きてきたこの世界でわたしは家庭料理というスキルを手に入れた。そしてそれを使って仕事ができている。当たり前にやり続けてきたことが仕事になった。それは10年前離婚した時には考えられないことだった。

Aさんと出会って、料理が好きな気持ちが特別なものではなく、当たり前に自分にあることに気づけた。紆余曲折したし、収入は下がったけど、あの頃わたしの心に吹き込んだ新鮮な息吹がカタチになったことを今更ながら凄いことじゃないか、と感動もしている。

だけどそれでもいつ辞めてもいいと思うのは、これからの世界はまた新たな自分が生まれてくる可能性があるから。

 

料理はこれまでの世界の中でわたし自身が楽しく生きてくために必要だったし、わたしが自然に愛を使えたのが料理だったってこと。そう思うと料理に対して一番志があったのは壮佑だったのかもしれない。(Aさんは元々他の道を志していたから)

 

壮佑はなんと、前のレストランで料理長にまで上り詰め、今のお店でも料理長をやっていると言う。か、感動!30歳で料理長はだいぶ早い出世だと思う。得意げにわたしに自慢してきてかわいかった。やはりわたしの目に狂いはなかった。壮佑はいい男に育っていた。

料理長の特権か、可愛いデザートをサービスしてくれて、自分で自分にご褒美と思ってきたのに、プレゼントしてもらえて、しあわせを噛み締めながらガトーショコラのデザートプレートを味わった。

 

今日わたしは8年ぶりに壮佑に会えた。

最高な気分だ。

 

「会えて嬉しかった!またね!」と言ってお店を出て日比谷神社へ。これも前から気になってた奇跡の御守を購入し、太陽に掲げて写真を撮った。

 

 

予期せぬ偶然の出来事に、これまでとこれからを繋ぐ奇跡の時代が幕を開けたことを実感している。

 

 

 

 

 

奇跡の御守✨️

 

 

しあわせ🩷

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

昨日はYとY子と新年会と明治神宮へ。

去年年女だったこともあり、わたしが2人を初めて明治神宮に連れて行ったことでこれからは明治神宮に初詣行こうって話になった。

2年目。

天気が良すぎるほど良くて、記念写真にはわたしたち目がけて太陽の光が燦々と降り注いでいた。

また新しい一年の始まり。

 

色んな話をするなかで、最近わたしが興味あるソロ緊縛について2人に話してた時、隣に座ってたY子は緊縛にピンと来ないため検索し出したら『え?ゴールデンボンバー出てきたけど…』と携帯の画面を見せてきた。

そう、Y子が検索したのは金爆だった。

キンバクちがいwww

流石にほんまにおもろいて!みんなで大笑い。緊縛の話は2人にはまったく伝わらないであろうことはわかってたけど、話してよかった。一緒に笑い合えたから。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰ったら急に気持ち悪くなって久しぶりに吐いた。もつ鍋の油と酒がどうもダメだったらしい。外食ほぼしなくなって久しいことや、身体が求めるものが年々あっさり嗜好になってる気がする。ラーメンとかたまに無性に食べたくなるけど、二郎系はもう無理だろうなぁ..かなしい。

昨年末体調崩した時に思ったけど、食べたいものをおいしく食べれるってことも奇跡なんだよね。食はよろこび要素強いから、食べたいもの(食べれるもの)があんまりなくなると、つまんなくなるだろう。

 

これ、めちゃくちゃ普通の日記だね。

今日は金爆の話ができて満足したので寝ます。

 

おやすみなさい😴🐑

 

 

 

表参道のおしゃれカフェ🥪

スピードアップ

 

天体の影響か、とんでもないスピードで内的変容が起きてる。前回の記事で神社行って縁結びとか言っててビックリ。

『…まだそんなこと言ってんだ。』て感じ。

自分がたった3日前の自分を懐かしんでる。

けど、今日の、今の自分があたしは好きだし楽しい。''この自分楽しいな''って自分で自分を楽しんでいる。

 

今年は、たのしい♡すき♡ときめき♡の3点セットでぜんぶ決める!恋もお金も前のめりで手に入れてく。

 

お金は好きなことで入る

 

ずっと思ってきたことだけど、これまでのこととか、どうやって?とか、思考でブロッキングして信じきることができてなかったのか、時が来てなかっただけで、お金は好きなことで入る時代がきたのだ。小さな人間のわたしひとりがどう思うとか関係なく、そういう流れやうねりがきてるだけ。そしてそれがわかってて今ここに生まれてきてる。

疑うなよ、そんな当たり前のこと。わかってたからここを狙ってきたくせに!とか自分と会話してる。

親とか先祖がやってきたやり方なんてどうでもいいんだよ。もっと言ったら前世や前前前世の自分が生きた時のことだって感謝したらおしまい。その時はそういう時だったってだけで、その人たち(前世の自分だった人)がどんな意思でその時代に生まれて生きたかはわからないけど、わたしはここを目がけてやってきた。それだけはわかってること。そしてそれにはこのわたしに命を繋いでくれた人たちの存在があった。だから感謝。

 

お金は好きなことで入るの歌を即興で作った。ボイスメモに即録音。その瞬間の沸き立つエネルギーを逃さない。フレッシュさが肝心。

フレッシュっていい響きだわぁ〜

フレッシュ!フレッシュ!フレッシュ!

フレッシュな気分が広がる。

 

恋も、たのしい♡すき♡ときめき♡それに加えて対等でいく。そう、この対等というのがめちゃくちゃ大事。横に並ぶ。横に並べる人のすくなさよ。これまでは人との繋がりって常に少し前後してて、真横(対等)ではなかった。男女は対等なんだよ。お互いの良さを生かし合うには横に並ばないと。それにはまず自己信頼。そして相手を信頼する。好きになった時点で嫌いになることはないから、少なくともわたしは。関係性が対等なんだとしたら、相手も必然的にそうなるだろう。常に心を、たのしい♡すき♡ときめきで満たす。寂しい気持ちが死に絶えるわけじゃない。ちゃんと寂しくもなれる。それは命は有限だから。死ぬまでの間なのだ。このわたしとあなたで楽しめるのは。生きてる間にしかできないことは生きてる間にするしかないんだから。それはきっと思ってる以上に短いよ。あっという間だよ。それでもまだ時間はあるから。

 

って心のひとりごとが止まらない。

 

すごい衝動が起きてるのに冷静。とても客観的にいまの自分を感じられてるもうひとりの自分がいる。

 

やっぱりちょっと、おとなになっちゃったかな、、

 

 

 

 

薄紅だよ

 

 

 

縁結び

 

 

昨日は無事、玉前神社へと初詣に行ってきた。一日中雲ひとつない青空で春へ向かう太陽のパワーを全身で浴びて細胞が活性化されていくのを体感できた。

 

約30数年ぶりの田舎。

 

母の生まれ育った千葉のド田舎の山に囲まれた平屋の一軒家には子どもの頃はしょっちゅう行っていた。わたしは田舎が大好きでほんとにかぐや姫の物語の冒頭のシーンのようなその辺の子どもたちと走り回ってあそんだ記憶が今もはっきりある。

 

春先には田んぼの斜面に筑紫がいーっぱい生えて、都会にはない植物との遭遇に胸をときめかしていたことや、おとながやるたけのこ掘りを眺めてたこと、歩いて何十分かかかる村の商店におかしを買いに行った時のドキドキわくわくした気持ちに、河童が出そうな池の釣り堀りの看板の模様や、おばあちゃんが作るできすぎたキュウリのお味噌汁の味、庭の百日紅の木の前で撮った家族写真と、裏庭にある秘密の小屋にあった蟻地獄に蟻を運んでは行く末をじーっと見つめてた小さい自分の後ろ姿まで、、、

 

何もかも鮮明に思い出せる。

 

田舎へは小学校中学年になる頃にはもう行かなくなった。なぜなら、わたしは10人以上いる従兄弟たちの中で一番最後に生まれていて、わたしが小学校中学年の頃にはみんなもう高校生とか大学生とかなんかそれくらい歳が離れてたから。自然とみんなで集まることは減っていき、おばあちゃんは老人ホームへ入居し、田舎の家はもぬけの殻になった。人が行かなくなったことであの家はただの木の箱に戻り、今では周囲の植物と一体化しているらしく、母は「もうお化け屋敷だよ」なんて言ってる。それはとても自然なことで、わたしの記憶に、幼かった自分が自分の目で見た鮮やかな世界だけが残った。それで十分だ。

 

玉前神社の御祭神である玉依姫は、やっぱり縁結びの女神様で、縁結びは当たり前にわたしの使命としてあることを再認識することに。これまでは、その使命をどうやって生かしたらいいんだろう?ってことばかり考えてたけど、別に何かをしようとしなくてもいいってことにやっと気づいた。わたしに縁結びの使命があるなら、わたしと関わった人に勝手に必要な縁が起こるだけなんだと思い至った。

前にリーディングでも言われたけど、わたしと会うと(会った人が)勝手に整うって。

ほんとにそうなんだと思う。

勝手に整ってしまった結果、もしかしたら人によっては、裸の素の自分に戻ったことで、怖いと感じることもあるかもしれないし、そこは何とも言えないけど、裸の状態に戻すことをわたしの存在が起こしてしまうってだけで、わたしが何かするわけじゃないんだな、て。多分それも、相手がエゴで裸の自分を厳重ガードしてる人には作用しなくて(できない)、逆に丸腰の人には効きすぎるってことが起きたりするのかもしれない。…っていう想像。

 

だから、これも前から思ってたことだけど、ワンネスが大元にあるとしても、地球の中の日本という国(土地)に生まれたひとりひとりにそれぞれの分霊の存在の神様がいて(複数人いる場合も)、神様ひとりひとりに色んな特性があるから、それが個性として生かされるってことなんじゃないかと。

例えば、AさんとPさんの分霊がほぼ同じって場合もあるだろうし、そんなことは当たり前で、ただ人間として生きてきた背景はAさんとPさんとではまるで違うわけだから、生かされ方は全く一緒にはなり得ない。だから人と比べることは意味が無いし、特別な魂なんてない。

 

わたし自身のことで例えると、多分瀬織津姫は日本に生まれた全ての女性(性)に縁があると思っているのだけど、特に浄化。浄化はわたし自身レムリアの時にもやってたみたいだし、何かが視えるタイプじゃないから、最近わたしは浄化が得意なんだって自覚している。存在としてのヒーラーの得意分野は浄化。だから入りの部分。人間としてのわたしはその人が裸に戻ったところからどう変わっていくのか、そこを見守ることがしたいし、人間意識はそれでいいと思ってる。人間は、自分がどうしたいかが全てだから。

 

存在給で稼ぎたいって前から言ってるけど、既に存在給によってある程度生かされてるとも言えるし、料理のしごとは給料は安いけど、わたしにとっては簡単でも、誰にでもできるわけじゃないことと、4大元素(火=火・水=水・土=食材・風=エネルギー)を使ってわたしが作った料理の味はわたしオリジナルだと思うと、自分が今回の人生で培った力を活かして収入を得ることができてることは、たとえ給料は高くても自分の代わりがいる仕事をしてる人よりも満足度は高い気がする。前世ではできなかったことをやれてる。魂としての存在と人間としての存在のどっちもがひとつとして機能することで、存在給は上がっていくんだろう。

 

なんか話が広がりすぎてまとめる気力が失せたからとりあえずここまででおしまい。また続きは、元気が戻ったらやります!

 

 

 

ここに神様いた

 

 

 

 

 

起点

 

・・・寝れない。

 

あした、母親の生まれ故郷の町の神社に行くからちょっと興奮している。

 

みつろうさんの動画で、あなたが初めてこの地球に来たのはおばあちゃんのお腹の中ですって話をしていて(おばあちゃんのお腹にお母さんができた時にそのこどもであるわたしの元となった卵子ができたからってことらしい…)だから、おばあちゃんが妊娠している時にいた町の神社に御参りすると、人生が激変するのだと言う。(有名な話って言ってたから他でも言われてるのかも)

この話にわたしの中の何かが反応したため、これは行くしか!ってことになった。

2018年の1月に伊勢神宮に行った時、Mさんから節分までに行った方がいいって言われたことを思い出し(理由はよくわからなかったけど)今回も節分前に行こうと思って明日にした。

実はこの話を知る前から母親の生まれ育った町近くの一の宮の神社にはずっと行ってみたかったのだ。

 

千葉県上総一ノ宮にある玉前神社

御祭神は玉依姫命

玉依姫命にはご縁を感じている。

 

余談だけど、わたしの名前にはシュリ以外に候補があり、それが珠江だった。父親の知り合いにちゃんと姓名判断に基づいた名付けができる人がいてその人に提案されたらしいのだが、シュリとタマエを提案された母が、シュリという名の響きを聞いた瞬間にビビっときて、即決したと聞いている。わたしも昔その話を聞いた時は、『タマエはダサすぎんだろ』って思ったから(全国のたまちゃんゴメンちゃい)母によくやった!と思ったのだが、まあ多分あたしが母親に''シュリにしろ''ってテレパシー送ってたんだろうなって。。

で、珠江なんだけど、大人になり神様とか色々知り始めてから結構高貴な名前な気がしてるんだよね。龍が持ってる宝珠ってあるでしょ、あれのイメージ。玉依姫とも何か通づるものも感じる。だから珠江もあながち何の意味もなかったわけじゃないのかもなぁ〜…

でも、名前はシュリでよかった。笑

 

あと、うちの母親の生年月日は昭和20年8月10日で、そのことはずっと前から知ってたけど、今回急に気づいたことがあって、それは、昭和20年8月と言えば、8日に広島、9日に長崎、10日千葉の村に東海子(とみこ)誕生、15日終戦というとんでもない並びだったってこと。東海子が戦争を終わらせたのか(笑)はたまた、終戦のお祝いの誕生だったのか、母はひとつの時代の節目に生まれた。その娘であるわたしの種もある意味一緒にこの世に誕生した。新しい時代の始まりの刻に。

 

話を戻す。

今調べてみたら(いま!w)玉前神社レイラインの東の起点らしい。

 

やばば

 

玉前神社▶︎寒川神社▶︎富士山山頂▶︎七面山▶︎竹生島(琵琶湖)▶︎元伊勢(皇大神宮)▶︎大神山神社▶︎出雲大社

 

レイラインの起点の神社だってだけでめちゃくちゃパワースポットな上に、自分の人生激変させる可能性まである神社ってちょっとやばない?

 

どーりで寝れないはずだ。

 

しかもしかも!

昨日とんでもなくいい夢見たんだった。

 

それは、レムリアのような柔らかい薄ピンクと水色とゴールドのような色の海辺を、何十体ものユニコーンが走ってるのを見てる夢。

もちろん夢占いでも大吉夢って出た。体感的に今年の初夢はこれにちがいない!(勝手に初夢の日程変えてますがww)

 

だんだんマジで暦関係なくなってきてんな。体感第一!

 

明日(今日)がわたしにとって何かしらのはじまり=起点になるのは間違いないだろう。

 

2026年 始動

 

 

 

ダイヤモンド太陽💎☀️再び!

 

 

 

 

話がしたいな

 

 

昨日はストレスフルMAXの一日を過したため今日は疲弊している。気がつくと不安と恐れの波が襲ってくるので、波にのまれないために呼吸を意識して、言霊を唱えて、色々手を尽くしたが、全然だめで、泣きそうに心細くて一晩中抱きぐるみをぎゅーっと抱きしめて布団にくるまっていた。

助けて〜ってずっと心のなかで呟いていた。

理由は携帯。

携帯を変えたことにより、データの移行に自分でチャレンジしたが失敗して、全部消えちゃったかもって思ったら怖くなっちゃったって話。もしかしたら携帯依存症になってたのかもな。。

 

危ない、危ない。

 

結果的にはお店でデータ移行の費用を払い一応全部ちゃんと上手くいった。またわたしは苦手なことにチャレンジしようとしていた。お金もかかるから、自分でできるようになったらいいと思ったけど、苦手なことは金で解決するのが1番だな!って考えに着地した。

結構高かったけど、めちゃくちゃ気持ちよく払えた。だって自分にできないことをやって貰ったのだ。しかも、対応してくれた店員さんがまたこないだのカフェの人みたいな自然体な人で、すごく感謝が湧き上がってきて『ほんとうにありがとうございました!!!』って目をキラキラさせてお礼を言って帰ってきた。

今回いろんなことを学んだ。

わたしが余計なことをしたせいで、途中LINEは復旧できないかもって言われて、覚悟はしてたし、元々友だちなんてほとんどいないから連絡先わかんなくなってもしょうがないか、って思ったけど、やっぱりほんとにダメになってたらすごくすごく悲しかったと思うし、好きな人の連絡先はめったに連絡しなくてもあることだけでも安心だから、ほんとによかった🥹

だけど、携帯がなかった時代もあったわけだから、あるを知るとないに戻るのは大変なんだな。それに携帯、コンピューター、AIで今の世の中は回ってるから、そもそも昔と比べることはできないか。

 

今の仕事を始めてから日常的に特定の人々と関わる頻度が極端に減ったことにより、ストレスも減ったけど、日常ストレスフリーでいると、たまになんか問題が起きると死にたくなるほど喰らっちゃうことがわかった。

こんなことで死にたくなるなんて、人間生活ままならなくなってきてはいないか?って、冷静に自分を観察してみたけど、狂った世界に適応できないことは正常の証だと思うし、逆に言えば、狂った世界に適応できることは狂ってるとも言えないかな、なんて。だけど、この世界では正常であっても適応障害者扱いされるし、めちゃくちゃだ。

 

とにかく今わたしは猛烈にほっとしている。

 

好きな人に会いたいし、話がしたい。

 

話がしたいな。

 

 

 

夕方の三日月