今日からブログを再開する。
完全な思いつき
前回の記事から3か月以上経ってる。
誰からも見られてなどないのに(正確には時々見てくれてた人はいたけど)再開できる喜びに打ち震えてる自分は心底変わってるなぁ〜と思う。
自分の心以外に動く動機などない。
多分わたしのブログはわたしのハイヤーとの会話だから、わたしが嬉しいで完結するのだろう。
シュリ日和開設から7度目の夏
目の前に広がる景色は7年前とほぼ変わらない。
けれど、わたしは変わった。
レイヤーは日々変わり続けている。
雨の日も晴れの日も曇りの日も変わらずあるけど、
もうずっとわたしはちゃんとここにいる。
昨日は母と久しぶりに会った。
わりと近くに住んでいながら、会いたいと思わなかったため2か月くらいぶりだった。たまに電話をかけてくるけど、大抵面倒くさくて出ないことも多く「わたしに用があるならLINEして!」とかひどいことを言ったりしてた。
小さい頃は無条件に愛さなきゃいけなかった人
彼女の小さい子どもという役割をしながらヒーリングをしつづける対象だった人
わたしが与える愛に見合う愛を返してくれなかった人
わたしが本当に困って助けが欲しい時に自分から察して助けの手を差し伸べてくれることのなかった人
勇気を振り絞って声にならなかった想いを伝えても何も伝わらなかった人
大嫌いなのにそれでも一生嫌いになれない人
…そうわたしが思い込んでた人。
わたしは母に対して人並みに複雑な感情を抱いてはきたものの、ある時から彼女の肩を抱いてやることができるようになった。わたしは大人になったのだ。それと同時に拗らせつづけた自分のインナーチャイルドの気持ちを大人になったわたしが抱きとめてあげることもできるようになった。母との間で5月に死ぬほどムカつくことがあったけど、3か月も経てばほぼ忘れてる。
昨日はわたしがスイカを食べたいと言ってたから、スイカを買っておいてくれたのだ。実家で向き合って一緒に食べた。姉が買い与えた脳トレドリルを嬉々としてやりながら「お母さんすごいでしょ!お姉ちゃんに花丸もらったんだよ💮」と自慢してきて素直に可愛くて愛おしい気持ちになる。この人は素直で真面目なのだ。誰かに似てる。そう!わたしだ。わたしは本来、素直で真面目なのだ。母の嫌いなところは100個言えるけど、好きなところはなかなか言えなかった。それは、そのまま自分に対して抱く思いとそっくりそのまま同じだった。昔は母の嫌いなとこばかり見ていた。自分を好きじゃなかったから。だけど、わたしは今は当たり前に自分の好きなところを見るようになってる。だから、母の好きなところも見れるようになってる。
わたしが大人になれた背景には子どもたちから受けた無償の愛がある。母や生まれた家族のなかで大事な何かを拗らせたまま母親という役割に立ったわたしをいつでも無条件に許してくれたのは子どもたちだった。あまりにも大きな愛に支えられてここまで生きてこれたことに気づいたのもわりと最近のこと。自分のことはずっと棚に上げてたことに気づいた。
懺悔は必要ない。そんなもの求められてない。
思いやり、さり気ない優しさ、ありがとう、そんなささやかな気持ちでたぶん十分。
あとは今を楽しい時間を共有すること。好きな人の笑顔が見たいのだ。だから自分も楽しくいたい。心配する必要がない人がいるってきっと安心だから。
息子には中学時代からの親友が2人いる。今ではもう時々しか会わない彼らのことを「会ってなくてもかぞくみたいなもんだから」と言ってるのを聞いてしあわせな気持ちになった。そんな人たちと人生で出会えたことはかけがえがない宝のようなものだ。そして娘にもまた本当の仲間がいる。彼女をただの彼女として変わらず接してくれる人たちが。
その事実だけでわたしは涙が出るほど嬉しい。
先日娘から「ままはわたしの生きる理由」と言われた(LINEで)。マザコンの彼女らしい発言だが、わたしはそれに「そんな風に思ってくれることは嬉しいけど、人は自分のために生きるんだよ。〇〇〇が〇〇〇のために生きる姿がままをしあわせにしてるんだからね。」そう返した。
伝わってればいいな、と思う。
久しぶりだから文章まとまんないけど関係ない。
そのままに価値があるとわたしが思ってるんだからそれを貫けばOK。
夏ってやっぱり特別な季節。
2026年の夏をわたしは今生きている。

著者近影


















