シュリ日和

まいにちに生きる

スピリットの継承

 

今日は、青山にあるドイツ文化会館で行われた、「dancing pina」というドキュメンタリー映画の上映会を鑑賞した。

感想。

出演者の人たちの命の躍動感に感化され、涙が込み上げてきたり、息をするのを忘れたり、今すぐ走り出したいような、踊り出したいような衝動にかられたりして、鮮やかで生々しい感情が身体の奥底から突き上げ、全体を揺さぶるかのような体感のなか、111分の間、完全に映像に集中していた。

来週実際にこの映画に出演されたアフリカのダンサーたちが踊る舞踊演劇の舞台が東京で開催される。

本当はそれも見に行きたいけれどチケット代が高すぎた(私にとって)ため、ドキュメンタリー映画だけでも…と思い来てみたのだが、想像以上に素晴らしかった。

私らしく感じたことは沢山あるんだけど、語彙力が着いてこれる自信がなく、想いを的確に表現できないのが悔しい。

ただただ、とんでもない人間芸術だった。

私が生きてる間に自分の目で見たいもののお手本?がそこにあった。

人間の醜さと美しさ。

ひとりひとりの人生で体験してきたリアルが身体表現を通して作品の中で躍動する。国境を越えて、それぞれの真実がひとつに重なり、人間という生き物の輪郭を浮かび上がらせる。傷や痛みもリアルな表現には欠かせない。その体験こそ、その人たらしめるものであるから。

なんかもっとこう、うまく伝える術があればいいのに、、これが限界。

上映後、ピナ・バウシュの実の息子さんであるサロモン・バウシュさんが登壇され、来場者からの質問に答えてくれることに。

最後の質問者が「今回の作品の指導者の方々は、ピナと直接関わりがあった人たちですが、そういう人たち亡き後、実際にピナを知らない人だけになった時にどのようにピナの作品を残していこうとお考えですか?」

と、なかなかいい質問をしてくれた。確かにそこは気になるところだ。

するとバウシュさんは『良い質問をありがとうございます。作品は演者(ダンサー)と共に変化していくものだと考えています。ただの模倣であるならそんなもの最初からやらない方がよほどマシだとすら思っています。』簡潔にすると、そのように答えていた。

ピナが作品に吹き込んだ息吹はおそらく振りの中に永遠に生き続けていて、あとはそれぞれの時代をそれぞれの場所で生きるダンサー独自の人生経験や体験に基づく、解釈や表現力などによって作品の新しい可能性が広がっていくのだろう。そして、それこそが真のスピリットの継承であるのだろうと、私は小さな感動を憶える想いで胸を震わせた。

実は今朝まで頭痛があり、頭痛薬を飲んで会場に向かったのだが、映画が開演してからすっかり頭痛は消えていた。ほんとにもうあれほどひつこかった連日の頭痛が嘘のように霧が晴れたようにスッキリと。

映画が終わり、晴れ晴れとした気持ちで夕方の青山の街を歩き出したら、見事な夕日に遭遇した。あまりに綺麗でしばらく夕日を直視して、夕日とコンタクトをとる。正確には、コンタクトをとる気分で美しい夕日を拝んでいた。

そこでふと思い出した、3年前の夏に連れて行ってもらった、その場所から近い不思議な本屋に立ち寄ることに。

相変わらず素敵空間だった。

店内をゆっくり一周する間に目に止まった、osho(インドの哲学者)のオラクルカードみたいなのを手に取り、直感で引いてみることに。私が引いたカードは112番だった。すると、カードの後ろに隠れていた解説書の表紙に''112の瞑想カード''とある。112枚のカードの112番目を引いていたのだ。解説書の内容はなんか深くて今の私が受け取るには大きすぎるメッセージのように感じた。

 

最後の一行

自分の内側の空間に死ぬことができれば、決して死ぬことのない生に到達する。それがアムリット「不死」だ。

 

アムリットが不死という意味だということだけは今の私でもわかった(笑)

 

oshoカードから離れ、クリスタルなどの鉱石が並べられたショーケースを眺めていたら、お店の人から声をかけられた。その人はあまりそのお店の雰囲気とはマッチしていない感じのとてもいい意味で気さくな雰囲気の女性だった。

「気になる石ありましたか?よかったら、お出ししますよ。ぜひ手にとってみて下さい。」と言われ、私はちょっと遠慮してる感じを出しながらも『え、よろしいんですか?じゃあ、あのクリスタルを…』と、ひとつのクリスタルを指差す。女性は「いいのをお選びになりますね?!(流石わかってらっしゃる)」といった感じで答えてくれ、ケースから取り出してくれた。私がそれを選んだ理由は、そのショーケースの中にあったクリスタルの中で一番値段が高かったからだった(笑)

椅子に座らせてもらい、目の前に置かれた大きなクリスタルを実際に触らせてもらった。すると女性が、『石が喜んでますね。いま手にとられた瞬間、パァーっとエネルギーが広がってこっちにまで伝わってきましたよ。』なんて言われる。

私はいつもよく分からない。石と話したり交信できる人もいるみたいだけど、特に何も感じられない。綺麗だなぁ〜、としか。

だけど、そうやって感想?を伝えてもらったお陰で、私がわからなくても、クリスタルは喜んでくれてたのか…よかった♡と思えたから嬉しい。

伝えてくれた女性に感謝だ。

それからもうひとつ気になった、隠岐島(沖ノ島?)産の黒曜石を触らせてもらい、石からパワーをいただく。なんかとてもすっきりとした綺麗な石だった。

案内してくれた女性は、石は生きてるって言ってた。

確かに生きてるのかも。。だから、人が手にしたり愛でたりすると石もそれに応えてくれて輝きを増していったり、石のなかにある虹を増やしたりしてくれることもあるのかも。

できれば自分でも何か感じられるようになれたらいいなって思うけど、わからないのも私らしくて悪くないな、なんて思ったりした。

 

とてもいい一日になった。

 

 

夕日綺麗だった

 

 

 

 

 

ハイヤーセルフ

 

 

しんどい。

峠は超えたと思ってたのに、お腹の調子は依然元に戻っておらず、まだまだ頭はフラフラするし、身体も食べれないから体力落ちてるし、ぐんぐんやる気が出てきていたところで、強制ストップをかけられている。(ゆえに9月3日は死んでいた…泣)

ただ、最近面白いことが起きていた。それはこのブログがこの数日の間にめちゃくちゃ見られていたこと。

……なぜ?笑

全然理由がわからない。

私はSNSで発信しているのはYouTubeのみだが、そのYouTubeも最後に更新してから何ヶ月も経っている。YouTubeの方も不思議なことにいまだに一日一回はどこかの神さまが見てくれてたりして、理由はわからないけど必要で見てくれてるのだとしたら、自分が存在してることにもささやかな希望を見いだせる気がして、ひじょーに有り難い。

たったひとりの本物の存在に命は生かされることがある。

8月の終わりは元気だったので行動意欲が高まっており、ある占星術師の方が9月のひと月限定で立ち上げてくれたLINEのオープンチャットに参加してみた。

テーマは''スピリチュアル''

最近ほかの人たちがスピリチュアルに対してどんなことを思っているのかにも興味があり、有意義なコミュニケーションがとれるのでは?!と結構前のめりに期待して入ってみたところ、12人中約1/3の人は見てるだけ。3人くらいはテーマはスピリチュアルだけど現実問題(主に親子関係)に悩みを持っていて発言の内容がスピリチュアルじゃない人たち。何度も発言する人が3~4人。ひとりだけ完全に生きてる波動域が違う軽い人がいるって感じ。。

私は、よく発言するうちの1人の人と気が合うような気がしていたが、今日主催者のHさんが投げたみなさんの好きな本は何ですか?のくだり辺りから、やっぱちょっとちがうかも…と思い始め、さっきほかの人の話に出てきた藤井風の話に共鳴して発言されてるのを見て、完全に違うと確信した。

違うことの確認センサーとして、何気に藤井風がいい仕事をしてるw

私は藤井風に恨みがあるわけでもなんでもないのだが、なぜ、こんなにもスピリチュアル界隈の人間が揃いも揃って彼に惹かれるのかが分からないし気に入らない。

風さん(この呼び方も無理)のなんとかって曲はハイヤーセルフ目線の歌だと知って、時代だなぁ〜って感動しました✨️

……だったらなんやねん!

ここでいつも特大のつっこみをいれたくなる。

藤井風のハイヤーセルフの声聴いて感動してるお前らは一生自分のハイヤーセルフの声を聴く日はこねーだろーよ!けっ!!

とか思ってしまう。(私は私のハイヤーセルフの声にしか興味ない。)

そういうやりとりをしてる人たちが紹介してる本て時点で興味も湧かない。

占星術師の人が紹介してくれた『オープニング・トゥ・チャネル』と、波動域ちがう人が教えてくれた『宇宙生物学者プラテス』という漫画だけは、面白そうだな、と思った。読んでみたいと思う。(宇宙生物学者プラテス面白かった!)

私が興味あるのは、自分の人生のなかでスピリチュアルとリアルが交差したり調和したり融合することだ。奇跡のように感じた出来事も3次元から見れば奇跡と感じただけで、意識が変わればそれらは当たり前に起き続けるのだろう。

それをかならず体験する!という強い意志と同じくらいある強い恐れとしあわせに対する抵抗などの複雑な感情をぜんぶ丸ごと抱えながら今を生きる。

魂はいつだって今までの最高を目ざして地球にやってきてると思う。その時々の地球の状態に左右されながらも、その時の最善を尽くそうとしてきたと思う。自分の魂がバーチャルやマトリックスの罠に簡単にひっかかるほどやわな経験してきてるとは思えない。(今でこそ言えるんだけども〜w)地獄も散々見てきただろう。

そろそろ地上に天国つくってもいい頃だよな。それができるからそう思ってるんだよな。それが私のハイヤーの声なんだよな!!

ってことは、もう自分じゃない誰か(今回は占星術師の人)の創造の世界に参加者として参入したことがそもそもズレてたってこと。私は私の創造の世界に人を巻き込んでいきたい。

11月に大阪に講演会に来てくれるハワイ島に住むKさんが言っていた『この世界には新しいデザインをもって生まれてきてる人が0.02%いる』という話を聞いた時、私のなかの何かが強く反応した。『虹の戦士』の話とも繋がる。0.02%が目覚めないとその0.02%のそれぞれにいるフォロワーたちが動き出さないという。私が動き出さなきゃ始まるものも始まらないんだよな。

ちゃんと自覚しよう。私は新しいデザインをもって生まれてきた。新しいデザインをもっている。好きなようにやればいいんだよ、自分を信じて。

 

全然話変わるけど、ローランドショーというYouTube番組を以前よく見ていた。多くのホストや内勤の中でたったひとり私の目に留まった男がいる。それがエイト君(ホストの時の源氏名は篁エイト)だった。エイト君は売上という結果を出し、今年新店舗を任されることも決まった矢先、パニック障害でダウンした。そして、新店舗の話も白紙になり、ローランドグループを抜け海外で心身回復に努めていたところ、ローランドショーの番組をつくってるソンさんに見つかり、エイト君の当時の心境を聞くインタビュー動画が最近アップされていた。

その内容は、ローランドは自分のことをどう思っていたんだろう?ローランドさん(ひとりの人としての)と本音で話がしたかった。2人でごはん食べたかった。など、大好きなローランドのために頑張ってグループや店を盛り上げてきたのに、ローランドからは愛情が感じられず寂しかった。そういったシンプルな内容だった。

これって、完全に親子(父と息子)関係の縮図ではないか?子が仕事に忙しい父に愛されたいと頑張ってテストでいい点を取り、親の期待に沿った進学を決め、ただただ父の望む理想の息子であるために頑張って頑張ってついには心が折れてしまったという、、

動画でも、店を任されることになった時点でエイトとしては経営に専任できると思っていたらローランドから経営者としての仕事と同時にプレイヤーとして数字出すことも必要だよ、と言われたことがパニック障害の引き金になったというようなことを話していた。

ホストとして名が売れたことや稼がせてもらったことに対する恩は返したと思ったのに、終わらない、終わらせてもらえないことの苦しみ。愛より数字という現実。自分は一体何なのだろう…。

エイト君は母子家庭で育ち、ほとんど父という存在を知らずに育っている。だから、彼にとってローランドという父親代わりのような存在と出会ったことにはきっと大きな意味があっただろう。ローランドとの関わりを通して人として成長し、自立したんだと思う。

だけど、ローランドの方は気づいていなかった。彼がどんなに大切なひとりであるかに。

ローランドは孤独な人だ、とソンさんが言ったことに対し、エイトは即座に『自分から孤独になりにいってるじゃないですか!』そう答えた。

エイトはローランドの心が見たかったんだと思う。お父さん(例えとして)が心を開いてくれる日をずっと少し離れたところから黙って見ていたんだと思う。そう思ったらその健気な本当の愛に泣けてきた。いつだって子どもの方が大きな大きな本物の愛を知っている。それを大人になってしまった親に受け取って欲しいと願っているのに、親はそのことに気づかない。哀しみの循環は終わらない。

私はおかしいのだろうか?

動画のコメント欄は概ね私のようにエイトはローランドが大好きだったんだね、寂しかったんだよね、などの感想をもった人も多かったようではあったが、中にはホストという業種や会社の社長と部下の関係という表面的なことだけを見てコメントしている人たちもいた。私自身はホストという職業に対し、肯定も否定もしないが(要はホストと客は一種の表裏一体のあらわれだから)ローランドというひとりの魅力的な人間と、エイトというひとりの魅力的な人間の関係に興味があったことで、こんな考察がうまれた。

 

これが私の人生となんの関係があるかって?


私は人間のふるさとになるんだよ。人間のことをわからなくてふるさとになんてなれないじゃないか。それだけだよ。

だから、大切なことを学ばせてくれたローランドにもエイトにも感謝している。

 

 

 

ハイヤーセルフ多分こういうのじゃないw

 

 

 

 

 

 

ひとつ

 

 

この2~3日、死ぬほど辛い体調不良に悩まされていた。やっとさっき峠を超えたところ。頭痛と腹痛。これまで頭痛薬が効かなかったことなどほぼないのに今回は効かず…腹痛も、大抵一日で回復することがほとんどなのに、胃腸が丈夫な私にしてはめずらしく数日食べれない日が続いた。

昨日食べれたのはりんごジュースとSEVENTEENアイスのいちご味のみ。仕事だったから本当にしんどくて、だけどそんな中神様はちゃんと助けてくれて、昨日行った家のキッチンには奇跡的に折りたたみ椅子があり、お客さんが買い物に行ってた30分ほどの間椅子に座って寝ることができたw

ほんとにあの椅子がなかったらマジでやばかったから、助かった。

昨日のお客さんはシングルマザーで、小4の息子くんと仲良く2人暮らしをしている人だった。去年出会ったHさんのようにエネルギーが強く大きい人で、お料理中も色々話しかけられたりした。お料理が終わって片付け作業をしている時に息子くんが何やら奇声を発して喜び出して、お母さんも一緒に大騒ぎし出した。話を聞くと、6月から映らなくなって完全に壊れたと思っていたテレビが数ヶ月ぶりに映ったという。『よかったですね〜!奇跡の現場に立ち会えて私も嬉しいです。』なんて言ったけど、多分あたしがいるからじゃない?って心の中では思ってた。ヒーリングは人だけじゃなく、空間や物質にも起こせるのだ。

Nさん親子はコミュニケーションを沢山とっていて、いい子育てしてるなぁ〜って感心した。そんな感想を伝えると、色々話も弾み『趣味はなんですか?』なんて聞かれる。趣味って…料理かな。ヒーラーは存在だし趣味とはちがう。「趣味ですか、、」とすぐ答えられずにいたら『着物着たりしません?』と唐突に言われびっくり。確かに私は着物が着れる。「ああ、着ます。え?でも何でそう思ったんですか?」と聞くと『なんとなく着物似合いそうな気がしたから。』と。すると息子くんが『お母さんは着物の大会に出てるんだよ』なんて言う。着物はNさんが着ていたのだ。…なるほどw

しかも、Nさんは柔道家で名前で検索したら情報出てくる人だった。著名人やん。

私は気に入られてまた来て欲しいって言われたけど、まあ、一期一会を信条として働いているので出会えたことは良かったけど、また会えるかはわからない。とにかくあの体調の悪さで仕事が無事終えられてほっとした。帰ってからが地獄だったけど。。

今日のお昼頃にふらっふらになりながら大好きな玉子おかゆを作って食べたら、弱りきっていた身体がちょっとだけ命を吹き返した。玉子おかゆは小さい頃から好きだった。日本人らしい。欧米だとオートミールとか食べるのかな?私は玉子おかゆがいい。

今日から9月だ。思いがけず体調不良スタートとなってしまったが、気持ちは前を向いている。これから(これまでも)私が大事にしていきたいこと。

それは、誰のことも(何事も)見上げず、誰のことも(何事も)見下さない

これに集約されるな、と。

私は無名だ。世の中には、著名人(名の知れた人)と無名の人がいる。人口比率でいったら圧倒的に名の知れた人の方が数が少ない。発信者と受信者。数が少ない方が優位。与える人(発信者)と受けとる人(受信者)という関係性になりがち。

だけど、本当にそうなのかな?

発信する人が発信する人でいられるのは、受けとる人がいるからだ。受けとる人がいなかったらそもそもが成り立たない。名が知れた人は名が知られた人として見られるようになってしまう。同じ人と人なのに、平等な関係性が築けなくなっていく。

私のように無名な人が誰のことも(何事も)見上げず、名の知れた人が誰のことも(何事も)見下さないことを念頭に生きることで、すべてはひとつである世界になっていくんじゃないかな?

それぞれがそれぞれの役割を担っているだけだと思えれば平和だと思う。

だから、頑張ってこの世で成功しよう!とか人類はもうそういう段階にいない気がする。名が知れようが、知られなかろうが、自分にとっての真の幸福を掴むことの価値に気づき始めていい頃だと思う。全ての魂に経験したいことが決まっているのなら、それに気づいていくはずだし、どんなに長い間、燻ってると思っていた時だって、本当に大切なことに気づくための大事な時間だったとあとからわかることもあるだろう。

自分は世界で、相手は自分。

だから人生では、波動が合う同士(同じステージにいる同士)が出会うのだろう。自分が変わるとステージも変わる。学びは終わらなくても、学ぶフィールドは変わっていく。

私はこの私のまま、人間のふるさとになると決めている。そのためのこれまでだったし、今だし、これからだ。

多くの子どもたちから学び続けるのだろう。

人間のふるさとになる発言は覚悟が必要だった。だって、それは私のすべてだから。

この記事は消しちゃうかもな…

だって私は恥ずかしがり屋だから。

 

 

 

おいしいご飯を食べさせたい

 

 

 

金星からの贈り物

 

 

今日、金星が天秤座入りしたタイミングでスーパーセブンの女神巻(ネックレス)が私の元に届いた。

作り手のLさんのセンスが光る綺麗な梱包をわくわくしながら開けていき、対面したスーパーセブンの女神巻きは息を飲むほど美しかった。想像以上だ。

タイミングってほんと凄い。

金星が天秤座入りした今日、これを手にしたことに意味がないとは思えず、これはひょっとしたら金星からの贈り物なんじゃないだろうか?そんな想像が頭をよぎった。

金星は、愛と美の象徴の星。

こんなに美しいジュエリーが金星から届くなんて!ファンタジーだとしてもいいじゃない。私がしあわせなんだもん♡

大量生産されてるものではないから、どんなに欲しかったとしても、縁がなければ手にとることはできなかった。ギリギリのギリギリ、2回払いをお願いして購入を決断した自分を褒めたい。というか未来の私が決断させたのだろう。この子はわたしのところに来てくれた。相思相愛。決まっていたことだった。

だってこれからこの石と私のパワーが掛け合わさって沢山の奇跡を起こすことを私はすでに知っていたから。

嬉しい。嬉しい。スーパー嬉しい♡♡♡

いぇーい

 

あー!!!

ここまで書いて忘れてたことがあった。

実はポストを見る前に、ある南の島に住んでいるMさんが夕方に金星瞑想という動画を上げていて15分金星と繋がる瞑想をしていたのだった。その瞑想の体感がなんか凄くて、金星との繋がりを実感したところからの、スーパーセブンだったから、余計にただの妄想ではないなって、今あらためて思っている。

もしかしたら、これがパイナポンが歌う、ふしぎな豊かさ運んでくるよっ♩なのかも知れない。笑笑

南の島在住のMさんが12月に浅草でお話会をやってくれる情報も入ってきた。この人にもずっと会ってみたかったから、確実に流れがきてる。

この約半年の間に遂にひとりの寂しさに打ち勝った私は、不二子ちゃん(峰不二子)のようにカッコいいイカした女にアップグレードできただろうか?


これからの自分に大いに期待したいと思う。

 

 

金星エナジー充電

 

 

 

オリジナルワーク

 

 

正直言うと料理のしごとに飽きてきている。

料理は好きだし毎日やることも苦痛ではない。今の仕事の形態がとにかく過去一楽なことは事実で、会社の人と会うことはまず無いし、直行直帰、お客さん家に行って挨拶して料理して挨拶して帰る、以上。シンプルすぎるほどシンプル。しかも、日数も曜日も固定ではないことが私にとって本当にいい。気乗りしなかったり、やる気が起きない時は働かないし、逆に元気な時は週5でも苦じゃない。直前に自分で決められるからストレスフリーだ。

だけど、1年半も経つとさすがに同じことの繰り返しだし飽きてきていることも否めない。本心はもっとふざけたことで稼ぎたい。

一昨日、以前に100均で買ってきていた小さな無地の金縁の色紙にパイナポンの絵を描いた。なかなかいい出来だったので『これ300円くらいで売れないかなぁ〜…』なんてぼんやり思った。知名度がないから300円が妥当かな、って思ったってだけで、多分300円以上の価値はある。3000円でも30000円でも私に知名度があれば売れるだろう。

昨日電車の乗り換えでJRの秋葉原の駅構内を歩いていたらガチャガチャのコーナーがあって眺めてみた。名の知れたおもちゃ会社が作っていても、まったく可愛くもなければ魅力を感じることもないものばかり。パイナポンの方がよほど愛嬌があって魅力的だ。(自己評価です)

パイナポンを広めたい。チャンネル名にすればいいのかな?VTuberみたく、自分がパイナポンの中の人として活動すればいいのかしら?そういうセンスは皆無なため、誰かアドバイスしてほしい。人のプロデュースには興味があるが、自己プロデュースには興味が持てない。う〜ん…パイナポンに活躍してほしいんだけどな。

話は前後するが、料理に行く家を毎回なんとなくだけど直感で選んでいるのだが、時々料理に行く名目で、実はヒーリングに行ってる時がある。センシティブな人はひと目見た瞬間にわかる。今日はこの人をヒーリングするために呼ばれたんだな、そんな風に感じる時がたまにあり、実際そういう人からは任意の感想(コメント)をもらうことが多く、存在としての仕事をしている時がある。商業ヒーラーは私にはできないし、やりたくもないけど、存在としてのヒーラーの仕事ができた時は充実感がある。

行く街なんかも、一定期間どういうわけか集中して行くことになる土地というのがあり、最近は赤坂。麻布十番も多い。台東区や文京区も浄化が必要な土地だと思う。まあ、浄化の必要ない土地なんてきっとないんだけど。。

最近は街を歩く時、自分が光そのものというイメージをもち、歩いた場所を浄化している感覚をもつことにしている。ありがとうを心の中で唱えながら。

ふざけたい気持ちと真面目に使命を果たすことのどっちもやりたい。どっちもやることが大事だと考えている。

 

 

ね、パイナポンて可愛いくない?

 

 

 

 

身体の物語

 

昨日は予告していた''身体の声を聴く・身体の物語を表現する''ワークショップに参加した。5月に声のヒーリング・アートオブボイスのワークショップで一緒だったYさんとも再会する。参加者は6人。それぞれ個性の違う大人の女性たちが集まった。

すみれ先生のワークの進め方は前回同様とてもテンポがよく、想像を超えた展開を体験させてもらう結果に。

 

それぞれの身体のストーリー

 

最初、ヨガマットに寝転び身体中の各箇所をゆっくりと感じる時間(誘導瞑想のような)をとり、その後、いま感じた身体の絵を描いてみましょう、とイメージ画を描かされた。それから自分が描いた絵と対話してみましょう、と対話の時間を与えられ、さらに絵と自分との会話を紙に書いてみることに。絵から聞こえるコトバは左手で書き、自分の意識の方は右手で。これはスラスラと出てきた。最初からストーリーが決まってたかのようにスムーズに書けた。それは、絵を描いたときに出てきていたコトバがすでにあったから。

 

離れ離れ

一体感がない

 

瞑想中、頭や顔(主に目)の辺りは鮮やかな色が見えていたのに対し、胸から下に行くにつれて感覚の輪郭はぼんやりとなっていき、上半身と下半身がひとつに繋がっているように感じられなかった。

その感覚から身体との対話はスムーズに行われた。


※以下 身体の声『』私の声「」

 

『どうしてこうなったと思う?』

「理由があるってこと?」

『どう思う?』

「…理由あると思う」

『そうだね』

(哀しいことが沢山あったから (人に言えない))

『こころとカラダが離れ離れになってしまった。元はひとつだったのに。』

「上の方と下の方が離れ離れに感じる理由?」

『そう』

「誰のせいだろう」

『もうわからない。忘れてる。』

「思い出したら何かが変わるかな?」

『…変わりたい。戻りたい。』

「私に何ができるだろう?」

『あなたが本当にしたいことをして。そうしてほしい。』

 

といった会話だった。

 

次にすみれ先生は、今描いた絵のどこか1箇所を取り上げてそこだけの絵を描くように言う。暫く固まっていたら声をかけてくれた。そして私の内なる声を引き出してくれたことにより、一番印象の薄かった胸の部分と下腹部(女体)をクローズアップした絵を描くことに。

色は最初ピンクで描きたかったのに、どうしてもピンクが使えず、グレーを選んだ。描き終えた人からその絵を画用紙から切り抜いて、絵とあそんでみて、と言われる。周りの人のところに行ってもいいわよ、と言われたが、私は自分で描いた女体の絵を誰かに見られることが猛烈に恥ずかしく胸に抱きしめていた。すみれ先生は私のその様子を見て、それにも意味あるね、と言った。

そしてここからが本題。

今描いた絵(切り抜いたやつ)を主人公にした物語を書いてと言う。起承転結のあるストーリーを即興で作れと。

ひぇー!女体が主人公のストーリーなんてどうやって作ればいいんだ?!しかも私は今この絵を誰にも見られたくない恥ずかしいものだと思っているのに、、

という心の声は誰にも伝わることなく、とにかく書くしかない状況に追い込まれていく。

そんな必死の想いのなかで私の頭に浮かんだのは、昔昔、大胆不敵で怖いもの知らずの女体のパイ子ちゃんがいました。

だけだった。笑笑

すみれ先生にそれを伝えると、パイ子ちゃんにそのあと何が起きたか、というアドバイスのような一言をもらったらどういうわけかそのあとの展開は一気に書けた。

そうして、女体のパイ子ちゃんの物語は完成した。笑

みんなが書き終えたところで、それぞれが作った物語の一場面を、色とりどりの綺麗なスカーフや小物(民族楽器のような)などを用いて順番に演じることに。

 

内容が濃い。濃すぎて着いていくのがやっとだったが、ドキドキ恥ずかしくもあり、ワクワクとした面白さもある。すみれ先生のワークショップは素晴らしい。今回も想像を余裕で超えてきた。やらせてもらえる喜び。しかもひとりでは絶対にできないことを人と共に協力して作り上げられるなんて、地球に体験しにきた甲斐しかない。私もこんな体験型ワークショップを主催したい!

 

**

昔昔あるところに、とても大胆不敵で怖いもの知らずの女体のパイ子ちゃんがいました。

パイ子ちゃんはいつも裸で外を歩いていましたが、ほかの女体たちはみな衣を纏っていて、パイ子ちゃんのことを「変わり者」だと思いながらも誰も口には出しませんでした。

ところがそんなある日、ひとりの同じ女体から「パイ子、あなたはなぜ衣を身につけないの?前からずっと思ってたんだけど、私はあなたを見かけるたびにひどく恥ずかしい気持ちにさせられるのよ。みんなもきっとそう思ってるわ。あなたのせいで私たち女体がみんな恥ずかしい思いをしてるのよ!」

パイ子ちゃんは考えたこともなかったことを突然言われ、心底びっくりしてしまいました。そして次の瞬間、裸で歩き回ることはとても恥ずかしいことだと言う感情が胸の内から湧き上がってきたのです。

それからというもの、パイ子ちゃんは衣を人より多く身につけ、人の目を気にし、背中は丸くなり、下ばかり向いて歩くようになりました。あんなに堂々としていたパイ子ちゃんは今ではもう見る影もありません。

パイ子ちゃんは悲しくひとりぼっちの気分で毎日を過ごしていましたが、ある星の綺麗な夜、お星様に「助けて!」と願ったのです。

すると翌日、となり街から来ていた一人の青年と出会いました。その人はパイ子ちゃんをいつの日か見かけたことがあり覚えていました。

「あなたは以前、裸で堂々と歩いていましたよね?なぜ衣を纏うようになったのです?私はあの時声をかけられなかったけど、あなたの裸(女体)はとても美しいと思っていました。裸の時のあなたは全身から輝きを放っていましたよ。今のあなたはあなたではないようだ。」

それを聞いたパイ子ちゃんは、目が覚めたかのように生きる気力が甦ってきました。

『そうだ!私には裸がお似合いだったのよ。誰かのことばや視線なんか気にする必要ないわ。前のように裸で生きていきましょう!!』

そうしてパイ子ちゃんはまた裸に戻り、元気いっぱいに生きていきましたとさ。


おしまい。

 

**

 

私の物語はパイ子ちゃんは私が演じ、いじわるを言う女体役の人、となり街の男性役の人を決め、あとの人は最後の甦ったパイ子ちゃんの喜びを共に祝う役をやってもらった。前回のワークショップで出会ったYさんが男性役をやってくださることになり、すみれ先生の提案で基本全て台詞は無い劇のなか、私の芝居に出てくる男性だけ「あなたの女性の身体は美しい。」という台詞を言ってもらうことになった。

Yさんは長いこと劇団でお芝居をやってきている人だったので、みんなの即興の芝居のなかでも確かな演技力を発揮されていていちいち感動していたのだが、パイ子ちゃんに向かって「あなたの女性の身体は美しい。」と言って抱きしめてくれた時には泣きそうになった。そして、私は予定になかった「ありがとう」という台詞(心の声)を男性にだけ聞こえる小さな声で発していた。

ほかのみんなのお芝居もすごく良かった。うまく言えないけど、それぞれのストーリーを自分という枠を超えてみんなで共有しているような気持ちになった。女に生まれた私たち。女のなかにいる私たちを支える目に見えない存在を感じる体験。

離れ離れになっていたと感じていた存在が本当はずっとそばにいたことに気づいた時、私たち女は本来の輝きを取り戻す。

不思議だけど、昨日あの場に集ったみんなから生まれた物語に共通してそのテーマが隠れていたように思う。

ワークショップが開催された鶯谷という土地の浄化に一役かった気分。ラブホテルに囲まれた一角に元三島神社という神社があり最後にお参りをした。

 

''すべてが本来の姿に還りますように''

小さな祈りは天に届いただろうか。

 

不忍池に封印されてる白龍の解放は、私たちひとりひとりの解放と共に起きるだろう。

 

もう大丈夫。

 

パイ子ちゃんと共に私の自信も甦ってきていた。

 

 

 

それぞれの道の上

 

 

 

スーパームーン

 

 

そうか。明日はスーパームーンだったんだ。だからこんなに高まってきているんだ。(昨日のブログのつづきのノリです)

昨日記事をアップしてから、5月に声のヒーリング~アートオブボイス~というワークショップを開催してくれたすみれ先生からメールがきていることに気づいた。今週末に上野のスタジオでやるワークショップのお誘いだった。''カラダの声を聴く・カラダの物語を表現する''というなんとも魅力的な言葉が添えられている。開催日1週間切っての告知なんて、、

『これ、今のあたしの身体が求めてたから起きたんじゃないだろうか?』『今のあたしのためにこのワークショップは開催されるんじゃなかろうか?』って真剣に思ったりした。自分が世界で創造主ならこの考えは当然だ。

もちろん参加する。

 

カラダの物語を表現する…

イメージしただけでドキドキしてくる。何が内側から現れてくるだろう?これはきっと、私の知らない私に出会うチャンスだ。0から自分を立ち上げることができるだろうか?頭を空っぽにして、全てをカラダに委ねる他ない。できるかな?わからないけどきっとできてしまうのだろう。解放が終わって新しい命が生まれる瞬間をあたし自身が目撃する。なんというエクスタシー。まさに統合だ。

さっき見かけたVTuberのみこちの発言。質問者からの「みこちはトップVTuberの自覚はあるの?」に対して『ないね。トップという概念がわからない。オンリーワンでいたいという気持ちは大事。こうありたいな、もっともっとこうありたいな、って思いつづけていたいんだよね。』と。

わかるよ、みこち。

そうなの。もっともっとこうありたいなって思いつづけていたいんだよ。誰とも比べずに、じぶんて存在を誰よりも自分自身が肯定できるように、ただただこうありたいって思いに純粋に生きていたいだけなんだよ。トップとか成功とか知らねーよ。ファンとかいらないから、一緒にあそんで欲しいだけ。横に並ぶ友だちになりたいだけ。あたしはそう思ってる。

…ってまたひとりごとを言っている。。

 

2024年8月19日 10:00更新中

 

ただいま、8月20日19:07

今日は朝から問いかけのメソッドに出会った。やり方は簡単

『どうして私は○○なのだろう?』この○○に叶えたいことを当てはめて唱えるだけ。

たとえば、『どうして私はこんなにお金に恵まれているのだろう?』とか、『どうして私はこんなに人に恵まれているのだろう?』みたいに今現在リアルな現実に叶ってないことでもすでに当たり前に叶ってる状況を想定して自分に問いかけることにより、潜在意識が答えを見つけ出すように現実に引き寄せ始めるらしい。なるほどね〜。私は、ばか素直なのですぐ実践する。飽きることも想定内なので、とりあえずやってみてなんか結果ついてきたらやる気も持続するだろうと、軽い気持ちで取り組んでみた。

すると、なんと早速結果が!

それは、仕事が直前の直前でキャンセルになり仕事しないでお金だけもらえることに。これは完全に臨時収入だ。小さいことの積み重ねがやがて大きな結果に繋がる。つづけてみよ〜っと(単純ちゃん♡)

こないだブックオフで80円で買ってきたハワイ島のガイドブック(2015年のものwふるっ!)を毎日眺めている。マウナケアに意識を向ける。マウナケアで夕日と星空を眺めてる気持ちを十分に感じる。

問いかけメソッドにも適用

「どうしてマウナケアは私を呼んでいるのだろう?」

さあ、あたしの潜在意識よ、答えを見つけてごらんなさい。

これから毎日唱えるぞ。

 

 

スーパーサン

 

 

源流

 

前回のブログを書いてから今日までの間にパラレルシフトしたかも。内的に。目には見えないし、カタチが変わったわけではないため、一体どこが源流なのかを確かめたくてノートに時系列に並べて書き連ねてみたらなんとなく浮かび上がってきたものがある。

ついでに過去のノートの整理をしながら目にとまった一文があった。

 

創造エネルギーは『感情を込めて意識を向けること』を具現化する。

 

大きな流れが起き始めた最初のきっかけとなった行動は、7月16日(火)に娘と行った江ノ島だと思う。あの日はたまたま乙巳の日で弁財天様と縁の日取りだった。しかもいつも龍がいっぱい飛び交っていると噂される江ノ島で、何度も雨が強く降っては止んで、を繰り返したのは、晴れ女のはずの私たちにしてはかなり珍しいことで、「龍からも呼ばれてたな…」なぁーんて真面目に思っている。

そのあとも何故かいつも忙しい娘と25日(木)の夜には神楽坂のお祭りにも行っていて、歩きながら踊るスタイルの盆踊りに私は参加した。楽しくて嬉しくて動画まで撮ってもらったりして。

7月最後の日曜日には、ずっと前からこの人の作る(女神巻という特殊な技術を用いている)天然石アクセサリーが欲しい!と願ってきた人から奇跡的にタイミングが合いスーパーセブンという石のネックレスを購入する運びとなった。本当は透明なピンクのアンダラクリスタルに憧れてたけど、多分あのスーパーセブンは私を呼んでいた。だっていつもほぼ一瞬でSOLD OUTになってしまう彼女のアクセサリーなのに、私が2日間悩んでる間に売れてしまわなかったのだから。きっと私のところに来ることが決まっていたのだ。なぁーんて(2回目w)

天然石のこととか正直よくわかんないけど(私がもってる天然石はすべて人からの贈り物)スーパーセブンてネーミングがいい。スーパーなセブン。超7!wラッキーナンバーが7の私にもってこいだ。作り手の人いわく、実物はすごくプルプルでレインボーもある素敵なこです♡とのこと。身につける日が楽しみだ。

そんな7月を経て8月に入り、4日の獅子座新月(前の日にブログ書いてた)の翌日5日(月)にめちゃくちゃ落ちて、苦しみながらノートに書いた''ある''の羅列を見返したら、どうやらここがエネルギーのターニングポイントだった気がしてくる。原宿の駅上の猿田彦珈琲椎名林檎の''ありあまる富''を聴きながら、更には泣きながら書いた、ある。

私にはお金を稼ぐのが下手という才能がある!

と出だしに書いている。このあるは、完全に苦しみから生み出した、あるだ。現世を浮世を人間として生きている私だから生み出せた、ある。下手も才能の一種だと自分が決めた。誰のためでもない、ただ今ここを苦しみと共に生きる自分のためだけに苦し紛れに生み出したある。

 

**

 

私にはお金を稼ぐのが下手という才能がある

私には人に助けてもらえる才能がある

私にはどんな状況でもしあわせを感じることができる才能がある

私には大きな夢を見れる才能がある

私には今(日常)を楽しむ事ができる才能がある

私には愛する才能がある

私には愛される才能がある

私には夢を叶える才能がある

私には人に恵まれる才能がある

私にはこれから新しい生き方を始められる才能がある

私には唯一無二の才能がある

私には才能を活かして物質的にも豊かな生活が送れる日々を手にできる才能がある

 

ある!!!

(力強いある!で〆ていたww)

 

※あとから、最初のお金のことだけ稼ぐのが下手というレッテルを自分で貼ってたことに気づく。私は自分で自分はお金を稼ぐのが下手と決めつけていたのか!まして、それを才能だと言ってしまうなんて😱ひ〜!これはマズイぞ。今日から私はお金を稼ぐのが上手い才能がある!に潜在意識を書き換えよう_✍よし!笑

 

**

前々回のブログで9月3日の新月神津島に行って海に入って星空を見たいと書いた。あれから今日までの間に色々小さな点と点が繋がり気づいたことがある。私が本当に行きたいのはハワイ島のマウナケアだった。第1希望はマウナケアで星空を見ることだったのだ。もうだいぶ前からハワイ島にはかならず行くと決まっている。それが今回自分の内側から具体的な希望が出てきて、おぉ〜✨️となっている。

この気づきの流れから、ずっとこの人と会うことは必然、と感じていた人の講演会が11月1日に大阪で行なわれることが決まり、信じられないスピードで願いが叶っていくことを実感している。それに伴い、やっと京都の鞍馬寺貴船神社にも行ける。そのタイミングが来た。2024年の間にやるべきことを全部やるだろう。おわりはじまりの集大成。

私は2019年の11月に熊野と大阪に行っている。その時サムハラ神社にお参りした。あれは、壮大なおわりのはじまりだった。おわりのはじまりの地に5年ぶりに行く。大いなる流れが見えてくる気がする。(源流はここだった!笑)

 

2025年は大陸大移動の年となるだろう。…ってなんか流れで出てきた言葉が大陸大移動か、、

 

新しい未踏の未開の土地が、新しい私たちを待っている。

 

 

向日葵

 

 

夏だった

 

 

どうしても海に入りたくて、東京近郊の海に入りに行った。これまでも時々は海に行くことはあっても入ることはなかったので、入ったのはいつぶりか思い出せないくらい久しぶりのことだった。

 

家から水着を着て行ったので、ビーチでワンピースを脱いでそのまま海に入れるというコンパクト仕様をシュミレーションしていったのだが、その通りに。イメージングは大事。

ひとりで海に入って波が来る度に「ふー!」とか「いぇーい!」とか呟きながら楽しんでいたら、ものの10分経つか経たないかのうちに、左手首にチクッと激しい痛みが走った。「何事?!」と思い海面に腕を上げると、変な赤いゲジゲジみたいなのが2匹?手首にくっついていたので、すぐさま手ではらったが時すでに遅し。どんどんチクチクしてきて、明らかにゲジゲジに刺されたのが原因のようだった。初めてのことだったのでそのまま放置して悪化したら嫌だと思い、泣く泣く海から上がり海の家でシャワーを借りて真水で患部をよく洗う。あんなに海に入るの楽しみに来たのに、10分ほどで終了するとは😭トホホ。

仕方ないので気持ちを切り替えて、オシャレな海の家でオシャレなドリンクを飲んで気を取り直した。クランベリーフローズンドリンク。ドラゴンフルーツがトッピングされていて南国気分で一気にごきげんに♡コンビニで買ってきてた大好きなかたぶつ(塩揚げおかき)をポーチに入れてたので、さり気なくポーチに手を突っ込んで周りに気づかれないように食べながら、ひとときのんびりと過した。

その後ビーチにパラソル代わりの日傘を挿して日をよけながら高校生くらいの男の子たちのグループがはしゃいでるのを見たりして過ごす。砂浜から猛ダッシュで海に飛び込んで泳ぎ出す子とかがいて、なんかよかった。男の子って高校生くらいの頃はまだこんなに無邪気なのに、社会に出るといきなり責任ある仕事を任されたりなんかするようになるって、地獄だな、なんて思ったりして。

できることならずっとこのままでいて欲しい。ずっと馬鹿みたいなことやってはしゃいでいて欲しい。そう願っていた。

砂浜でじっとしてるのも暑くなってきたので、さらに岩場の方にまで足を伸ばし、カニを見つけたので捕まえてやろうと思ったが、かなり動きが早くて逃げられた。まあ、捕まえたところで、どうすんのって話だったんだけど、、。

とにかく海に入っていた時間が短かすぎたため、夕日が沈む時間までまだ大分ある。どうしよう?一旦考えようと思い、日陰のある松林のところでぼーっとしていたら、男の人に声をかけられた。

「○○(そこの海)は初めてですか?」とかなんとか。「いえ、何度か。」「サップやりました?」「ああ、サップ楽しそうですよね!やってみたいと思ってました。今日は海に入りたくてきたんです。」「海入ったんですか?!」「はい!家から水着着てきたんで!」「…え?そうだったんですね。」

(なんとなくだけどここで、水着着てたんだぁ〜…見たかったな…という心の声が聞こえた気がした。笑笑)

「……さっきビーチの方で見かけてヨーロッパを感じさせる雰囲気の素敵な人だなと思って。」なんてキザなことを言われる。「ありがとうございます。」とニコッとしたが、お茶でもどうですか?とは聞かれず、、(笑)中途半端なナンパだった。

でもその人はいい大人って感じの人だったので、「今度会えたらサップやりましょう!お金取らないんで笑」なんて明るく笑ってバイクで去って行った。

悪い気はしなかったけど、キザなセリフより「一緒にビール一杯飲みませんか?」って軽くストレートに言われた方が「いいですよ。」って応えやすいのになぁ〜…せっかく声かけたんだから、ダメ元で聞きゃあいいのに、なーんて思ったりなんかして。。

運良く楽しいひと時過ごせたらラッキーじゃんかって思うけど、やっぱりいい大人になると断られて嫌な思いするのもあれなんだろうな。だから、これはいけそう!という確証がないと誘ったりはしないのだろう。

大人になるとどうしてこうつまらなくなるのだろう。

さっきの馬鹿みたいにはしゃいで海にダイブしてた男の子たちを思い出したら、爽やかな気持ちになった。

 

結局夕日が沈むのを待てず帰ることに。

 

時間は短かったけど、今日私は海に入った。

それはとてもよいことだった。

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

無題

 

結果は奪われることがあっても

過程は誰にも奪えない

 

 

 

うれし泣きとくやし泣きが同時に起きて

もう笑えないと思った次の瞬間

消えかけてた君の笑顔が揺れた

 

 

 

僕はまた

きっと笑える

 

 

誰かが今日も騙されていて

そのことに気づいていない

 

僕は誰のこともだまさないでいられるかな


君のように

そのままで

 

 

見上げれば夏

 

 

 

夏が

 

夏だけが

 

 

 

こんなにも不確かな僕らを

永遠に記憶し続けていく

 

 

 

 

消えてゆく今