シュリ日和

まいにちに生きる

桜と月

 

 

 

先月、たまたまTwitterでその存在を知った、京都の桜守(桜を守る人)十六代目佐野藤右衛門氏が出演したNHKのBSの番組の再放送が、実家に立ち寄ったらちょうどやっていた。超嬉しくなってテレビの前に正座する。BSなんて自分では見る機会などないから、母に感謝した。母はまるで興味無さそう。私の趣味嗜好に一切の関心がない彼女には、今の私の嬉しさは1ミリも伝わってなさそう。それがまた気楽でよかったりもする。

藤右衛門氏から語られる話は、その価値の重みに相反して、とても軽やかで、力みがなく、真っ直ぐに私の心に響いてきた。瀕死の桜の木を再生させる過程で、枝をくわえてみたり、幹に耳をあて、桜から聞こえてくる声のようなものを聴きとったりと、藤右衛門氏にしか感じ取れないであろう、繊細な感覚の植物との交流。自分は動物で、相手は植物。同じ生き物だから通じ合える、と言う。

隣に座る出演者が、『愛情をかけていらっしゃるんでしょうか?』みたいな言葉を投げかけたら、『愛情?いや、そんなもんじゃなくて、ただ状態を聞いてるっちゅう感じかな。』なんて答えていて粋だった。ただ、感じること。受け取ること。愛情とはちがうもの。

徳川家と関係のあるどっかの寺の桜の屏風の話では、古木の風格に対して、花は艶やかで和みの要素がある。そんな桜の絵には、緊張感の中にもふっと肩の力が抜け、心を和ませる効果がある。というようなことを話されていて、テレビを前に、''なるほどなぁ〜''と、頷く。

コロナ騒動の最中、始めてリモートで桜の植樹の指導をした時は、『そうじゃない!そうじゃない!それはやっちゃダメだ!』と、大層やりにくそうで、本人曰く、やっぱり、見て聞いて触れるから分かることがあると仰っていて、''そうなんだろうなぁ〜''''そりゃあそうだよなぁ〜''と、桜のことは分からないが、子育てをした経験がある私は、この話を子守に重ね合わせて親身に聞き入った。

桜が一年に一度、花を咲かせる間の360日が桜守の仕事だという。ほぼすべてが仕事期間。桜が花を咲かせるほんの僅かなひと時だけが、桜と共に愉しむ時間らしい。おいで、おいで、という声が聴こえると。360日お世話してる人にその声が聞こえないわけがない。

思いがけず、素晴らしい教えを得た気分。

 

ここで、桜守十六代目佐野藤右衛門氏の著書、【桜のいのち 庭のこころ】より抜粋した文章を載せたい。

 

『  桜は月に引かれるというか、自然の営みには月が大きく関わっているみたいですな。

ですから桜がいつ頃咲くかは暦を見ていたら分かります。

満月に向かって咲きよるんです。

北の方へ行くとまた変わりますけど、京都あたりだとだいたい満月に向かって咲いていきますわね。

わしは月が咲かせるんやと思いますわ。』

 

月が桜を咲かせている。

桜守と子守。植物と動物である人間。

月が咲かせるのは、果たして桜だけなのだろうか。目を閉じ、心を鎮め、見えないものに想いを馳せる。

 

藤右衛門氏が桜と向き合う時のような力みのない心で、17日の満月には、ただ真更になって春の月を愛でたいと思った。

 

 

 

 

 

 

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満月に向かう