シュリ日和

まいにちに生きる

立春


春が立つと書いて、立春

そう、今日からエネルギーは春に。

(正確には今日の23:59~だそうです。)

もう春か。

うれしいなぁ〜。



そんな今を生きるわたしは、連日、シュピリチュアルの文献まとめに勤しんでいる。

表現や使う言葉の違いはあれど、わたしが尊敬する先生方の仰られていることと、わたしがオリジナルで纏めている''本来の自分を生きるとは?''の根底の考えは共通している。

大地に根を張る土台が固まりつつある。

あとは、世界観をしっかりと構築し、冷静と情熱のあいだを、思い切り引いた弓矢を飛ばすかのように、自分も飛び出していきたいと考えている。


冬の寒い時期に、しっかりと冬眠しながらエネルギーを溜め込んだので、とにかく放出したくてたまらない。

個人的にやりたいことと、共通する理念をもつ魂の仲間と一緒にやりたいことがある。

もう全部始めたい。

3次元世界からは、半ば離脱している身のため、身が軽い。よくここまで削ぎ落として来たなぁ〜と、ひとつずつ重ねてきた自分のことを褒めている。

一朝一夕とはいかなかったが、2021年のいま、森羅万象の流れに沿った自分のペースで、''いまを生きる''ということが落とし込めたことは、よかったと思う。


今日は本当は、こどもの頃好きだったことの話がしたかったのだけど、立春の瞬間をちゃんと心して迎えたいので、また、別の機会に。


この心の平安に今日も感謝。



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春色



世界


仕事について考えている。


仕事の定義は調べれば山ほど出てくるが、わたしが着目したのは、広辞苑に載っている①する事。しなくてはならない事。という考え。

仕事がただ、する事で、しなくてはならない事ならば、自分の心が赴くままにやりたいことをやることは、すべて仕事だ。


最近、外に働きに出ない日は、家でシュピリチュアル(スピリチュアルとシュリを掛け合わせた造語)文献のまとめをしている。

わたしは、学問に興味があるわけではないので、シュピリチュアルに関係する、哲学であったり、心理学であったり、量子力学であったり、占星術であったり、日本の本当の歴史であったり、それらの専門書を読むこともなければ、特に知識を身につけるための努力はしていない。(まったく調べないということではなく、気になったことは自分から信頼できる情報を探したり、好きな人の動画を見たりはします)


けれど、不思議なことに、自分が毎日を生きる中で、出会う人との交流や、目にするものや、インスピレーションとして感じるものなど、自分が体感(体験)することから、確かに上記学問に通ずる何かを学んでいる気がしているのだ。


本から学べることには限りがある。

けれど、自分が感じることや想像するものには限りがない。

その点が大きな違いだと思っている。


スピリチュアルという言葉はすでに汚されまくってきてるから、わたしは、シュピリチュアルという新しい言葉で、この分野の純粋性を取り戻したいと考えている。


シュピリチュアルのモットーは、誰にでもわかりやすく!である。


わたしは、ただ単に、この分野に対して興味関心が高く、飽きずにずーっと考えていられるから、特別苦労を感じていないが、もしかしたら、ほかの人にとっては、こんなこと日がな一日ずっと考えるなんて、拷問以外のなんでもないのかも知れない。

そう考えた時、わたしがやってることにも誰でもにはできないという点では、一定の価値を見い出せる。それは、そのまま、わたしという人間の価値になる


変態やおたくとして極めることは、誰でもできる。


そこには競争もなければ、評価を気にする必要もない。ただただ自己満足の世界。

自分を喜ばすためだけの安全な世界。誰の目も気にせず、自由に振る舞える。

それを続けた先に、もしかしたら、自分でも信じられないくらい何かを極めてることに気づく日が来るのかもしれない。''いつの間にか覚醒してたわ、''なんてことになるような気もする。

そして、やがては、その道の先で、自分の好きをやり続けた(考え続けた)ことが、誰かのためになることも起きるかもしれない。


わたしはこの考えにロマンを感じている。



**



あなたの世界観はあなただけが表現できる。

その道のプロフェッショナルになれるのは、あなただけだ。

そんな純度の高い世界が、小さくとも、たくさんたくさん溢れたら、きっと世界は華やかで賑やかだ。


善も悪も、

闇も光も、

喜びも悲しみも、

強さと弱さも、

美と醜さも、

表と裏も、

陰と陽も、


なんでもありの世界。


わたしはそんな世界をこの目で見たい。

この心で感じたい。

これからの地球で、あなたと共に、生まれてきたことの全てを抱きしめたい。


熱くなった時に最後に湧き上がる想いは、やっぱり、『生きていてくれてありがとう。』しかない。



みんなありがとうね。

愛してるよー!!!






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らぶ♡



わーい


童心にかえり、こどもの頃に心ときめいたおもちゃを買いに行く。

とっても可愛くてしあわせ♡

……数ヶ月前のことだが、ある日突然ぬいぐるみが欲しくてたまらなくなり、毎日毎日、あるぬいぐるみ販売サイトを食い入るように見ていたのだが、なんとか買わずに踏みとどまった時がある。

欲しかったが、買いたくはなかった。

なんとなくだが、買う瞬間(ワンクリックした瞬間)がゴールで、手元に来た時にはすでに必要無い気がしたから。

心が弱っていたのか、はたまた、愛情をかける存在を欲していたのか、すでにその時の気持ちはわからないのだが、踏みとどまってよかったと思っている。

衝動的なときは、自分を疑うのが正解。

実はわたしには、10年ほど前に病みまくってたとき、近所の300円ショップの店頭に並んでいた、廃盤になったと思わしきアメリカ生まれのハムスターの動くおもちゃを、衝動に身を任せ、全買いした過去がある。
そのおもちゃは、プラスチックのレールのパーツをつないで、フィールドをつくり、電池で動く小さなハムスターたちを走らせて遊ぶのだが、それをひとり楽しげに家でやってたわたしを当時見ていた娘は、ぬいぐるみの件を相談した際に思い出したようで『あの時のママ病んでたよね。』と言ってくれた。
まさに!あの時わたしは病んでいたのだ。笑

いやぁ〜、人の心とは恐ろしい。
病んでいる時は、外側に救いを求める。
けれど、行動した結果、救われないことを知る。誰も何も自分を救ってなどくれない。そんな経験を経て、自分と向き合うことからは逃げらないことを自覚する。
向き合い続けて今がある。
わたしの話。

あのハムスターを全部捨てた時の爽快さだけははっきりと覚えている。今ではなんであれを買いたいと思ったのか、さっぱりわからない。
ただ、あの時のわたしにはほんのいっ時でも、あのハムスターたちの存在が必要だったのかもしれない。
そういうことって、誰しもにある気もする。
とにかく、ぬいぐるみを買わなくて済んだとこにはほっとしている。
過去の教訓が生かせてよかった。
(なんのこっちゃ笑笑)


**


またごはんの写真いきます!


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トースト

ほうれん草とベーコンのソテー

ジャム

野菜スープ






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淡雪チャーハン

中華スープ





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りんごとアボカドのサンドイッチ

ほうれん草のクリームスープ

カフェオレ





明日から2月!






勤め先の純喫茶の日めくりカレンダーの日付の下には、毎日ひとつ、ことわざが記されている。
わたしは、それを見るのを日々の楽しみとしており、昨年から心に響いたものを抜粋し、メモ帳に書き溜めてきた。

最近、自分が日本に生まれたことの意味を独自に考察しており(以前からですが更に!)元来、日本らしいものに興味関心が深いことから、ことわざというものの習わしを調べてみることにした。

以下ことわざの説明文の抜粋
↓↓↓
ことわざは、ごく短い言語表現だが、その意味は味わい深いものがあり、表現技法は比喩や誇張、反語、掛けことばなど、じつに多様で、聞く者の理性だけではなく感性に訴え、大きな説得力を持っている。また、古くから伝えられてきた口承文芸だが、現代の生活のなかでもしばしば使われ、長い経験にもとづく社会生活の規範や生活の知恵を伝えるほか、状況を把握し、判断をくだす際などに重要な役割をはたし、時には鋭い批評となり、また、コミュニケーションに笑いやユーモアをもたらすこともある。
ことわざは、口承ゆえに学問的には軽くみられがちであったが、過去の庶民生活を知るうえで貴重な資料の宝庫であり、同時に現代に生きる重要な言語文化といってよいだろう。

とのことである。(簡単な説明)
口承文芸とは、口伝えに伝承された文字を用いない文芸とのこと。
ことわざは重要な言語文化らしい。

この文面にもあるように、ことわざは、理性だけでなく感性に訴え、さらに大きな説得力をもっている。納得。
わたしが気に入ったことわざは全て感性に訴えかけてきたし、丹田に力が入るような説得力も併せ持っている。
ということで、ここにも載せてみたい。

武士道
日本再来

これからの時代に大事になってくるキーワードだと考えている。


**


千載一遇
(千年に一度しか訪れないめったに無いよい機会)
歳月人を待たず
(年月は人の都合にかかわりなく、刻々と過ぎていき、すこしも留まらない)
人間一人は世の宝
(人の命は尊いものであり大切だということ)
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
(身を捨ててかかれば、成らぬことはない)
日に三度我が身を省みる
(一日に何度も自分の言動を振り返ってみて、反省すること)
玉磨かざれば器を成さず
(才能や素質に恵まれていても、努力しなければ立派な人間になることはできないという例え)
果報は寝て待て
(良いことは自然にやってくるので、静かに待っているのがいい)
光あるものは光あるものを友とす
(同じ性質の者同士は、自然と寄り集まる)
馬には乗ってみよ、人には添うてみよ
(馬の善し悪しは乗ってみなければわからない。人柄のよしあしは付き合ってみなければわからないことから、何事も自分で直接経験してみよという教え)

出勤した日のみで見ているので、多分見逃した数々の素晴らしいことわざは他にも沢山あると思うが、わたしが目にしたものなので、特別に意味があると思うことにしている。

2021年、最初に目にしたのが、千載一遇であった。
千載一遇の年になるであろうことを念頭に、果報は寝て待ての如く、毎日を生きたいと思う。


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光の道を

ここ最近のこと




最近は、出先でどんなにお腹が空いていても、簡単にお店で食事をすることは選ばず、家で自分で料理をして食べている。

もちろんその方が時間も手間もかかるが、食べ終えた時の満足度というものが、外食より、明らかに高い。

『食べたい!』という意欲により、料理にも自然と気持ちが入り、しっかりお腹が空いてからやっと食べれるという喜びも、自分で作ってこそである。


わたしの得意料理は、洋食。

たとえば、ハンバーグとか、オムライスとか、コロッケとか、ロールキャベツとか、ナポリタンとか、街の洋食屋さんメニュー。

先日、立派なズワイ蟹を頂いたので、鍋でも良かったが、ひと手間かけたくて、カニクリームコロッケに手を出した。

YouTubeで検索した、どこぞのシェフが作る本格的なカニクリームコロッケの作り方を真似したのだが、手間暇かけた分、最高に美味しく出来上がった。

いやぁ〜、満足。


わたしは性格的にせっかちなので、料理も走るようにパパパっとやりがちなのだが、最近はゆっくり丁寧に作ることを心がけている。

材料を丁寧に切り揃えたり、調味料を計ったり、煮込む時間をちゃんと守ったり、、。

ちゃんと守ることで仕上がりに安定感が出ることを学んでいる。これまで、待てないことがわたしの最大の弱点だったが、弱点も心がけ次第で克服はできる。

自分的にも、最近の料理の出来は以前よりグレードアップしているように思う。適当から丁寧に進化したことが大きい。

わたしは、おいしいものを作って食べることが好きなんだと思う。


以前から想像しているのだが、もしもわたしに料理をするある程度大きなスペースが与えられるとしたら、毎日当たり前に自炊する延長で、自分が食べたい献立で多めに料理をし、近所に住んでる食べることに困ってる子どもとかが、ふらっと食べに来るようになったらいいなぁーなんて思う。


なんでこんなこと言い出したかと言うと、最近よく目や耳にする『子ども食堂』に思うところがあったからだ。

子ども食堂』が善意の取り組みであることはわかるが、これは感覚的な話なのだが、わたしがもし子どもだったら、『子ども食堂』に行きたいと思わない気がするのだ。

それは、幼少期にキリスト教の日曜学校で食べさせられていた(200円払っていたが…)あの食事とどこか似たものを感じるから。

今だからこそ言えるが、あの食事はくそ不味かった。作ってた人(おとな)に問題があった気がする。子どもにだって選ぶ権利はあるはずなのに、おとな側のやってやってる感が否めない。何故だろう?

哀れみの情が入った料理なんて、おいしいわけない。子どもは敏感に察知すると思う。

今度実際に近くの子ども食堂に行ってみようと思っている。

何を感じるかは、実際行かなきゃわからない。今回は自分の幼少期の経験を元に推察したまでなので、批判ではないので、叱らないでくださいね。


料理の写真載せます!



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スコーンと紅玉のコンポート

ミネストローネ




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噂の!カニクリームコロッケ




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油淋豚定食




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ドライカレー





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ライ麦パンのホットサンド

ココア




👑丁寧に作ること









追憶



ここから先の人生から








覚悟を問われる日々を過してた








ひとりで決めた気でいたことなんて








あっという間に崩れ去る








こんなにも強く脆い








何もかもが








わからなくなって








手に負えなくて








空が見たくて








窓を開けたら








夜に雨の匂いがした








確かなものに








救われて








また








わかった気になって








明日を夢見て








目が覚めたら








やっと








雨が降ってきて








匂いだけ先に








届けてくれた








やさしさに








教わる








雨の匂い








朝が来ると








夜を思い出す





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束の間に浮かぶ











朝日の下






わかってる











きっとこれも











すぐに過ぎ去る











それでも











それでも











この











胸の痛みは











ここにある











ガンバレ











ガンバレって











何度も










あなたの声がするから










マスクに隠れて











思いっきり泣いた











冬の朝日が











あったかくて











やさしくて











立ち止まって











気がすむまで











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上を向いて