シュリ日和

まいにちに生きる

May Day

 

 

 

今日は朝から一日中ハワイの日🌺

最近また独学でフラを学び始めた。あの喜びの踊りを身につけたい。週に一度の習い事のようなものではなく、日常に溶け込む祈りのように文化としてのフラに身も心も染まりたい。

恐らく日本とハワイは大昔は大陸もひとつだったと思う。レムリアやムーの記憶。これだけハワイ好きの日本人が多いことにはちゃんと理由があるのだろう。

ハワイと日本は、私たちの心に精通する文化や、自然を崇拝する精神がとてもよく似ている。

昨今日本では、自然と共に神聖な精神もどんどん破壊されてきているようにも見えるが、例えカタチを失っても、心ある人間が死に絶えない限り、全てを失うことはないだろう。ほんとうに大事なものは神によって継承されていく。その意志を受け取ることが、今を生きる人間の使命だとすら思う。

自然の声を聴く。私たちに語りかけている愛を感じる。笑顔に感謝の想いを込める。数年かけて、最期のインディゴの魂は愛の元へと送り返した。これから私たちが歌う愛と喜びのレクイエムが、地球を世界を癒すだろう。もう正義のために戦う必要はないのだ。先祖から受け継いだこれまでの使命は終えている。胸を張って、顔をあげて、自分の信じる道を進めばいい。

 

今月に入り、フラとはまったく違うルートでハワイとの繋がりができた。以前YouTubeにアップした''南の島に暮らしてる私''が引き寄せたのかもしれない。そして、生まれて初めて、過去世リーディングなるものを受ける機会に恵まれ、数多い過去世の中でも、今世に最も影響を与えていると思われるひとつの過去世を知った。

 

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時は中世ヨーロッパ。10歳くらいの金髪の縦ロールの髪型のドレスを着ている女の子。絵に書いたようなお城に暮らしてる、ザ、お姫様。英才教育(ピアノや勉強やなんやかや)などには、これっぽっちも興味がなく、気がつくと、庭で仔犬と転げ回って遊んでいて、いつも執事や侍女?を困らせている。『お嬢様!お部屋にお戻りください!』が彼らの口癖だ。無邪気でお転婆ないたずらっ子。そんな明るくて元気な子だが、広いお城に父と母はいない。夜になると、淋しさで、ベッドでお人形を抱きしめて泣いている。いつもひとりぼっちで常にぬくもりを求めていた…。

そんな彼女も成長していくにつれ、家のために期待に応え、いつの間にか本来持ち合わせている純粋さや無邪気さを封印。政略結婚などを経て(ここはあまり鮮明には語られなかったが大体の流れで)中高年期には、ダイアナ妃のような(別にダイアナさんを出すことないけど笑)慈善活動をしたらしい。自分で貧しい人を助けたり、恵まれない子供たちのために、教育の場を提供したりして、人の役に立つことで、子供の頃の自分の寂しさを癒していたという。

 

……もう、''やっぱりね。''としか思えない。だって知ってるもんその子。そして、その子が今の自分に影響を与えていることも何もかも分かりみが深すぎる。ただ、リーダーさん曰く、今の私(この文章を書いてる私)のオーラと、過去世の子供の頃の無邪気でお転婆なあの子のオーラがリンクしているらしく、楽しさやワクワクで物事を動かしていく(カタチじゃない曖昧な…)パワフルな女性性のパワーやエネルギーを感じるとのこと。(よっしゃー!)

 

なるほどなぁ〜。

一見そんなに悪い人生には思えないかもしれないけど、ひとりぼっちというのが大きなポイントだと思った。誰かのために生きた人生だった。それは、家系の問題が大きいだろう。あの時代は、国のため、家のために生きることを余儀なくされたのだ。

女なんて、子どもを産むのが使命のようなもので、ひとりの人間としての尊厳なんて、あってないようなものだったのだろうな。中世ヨーロッパは(日本の戦国時代も)、階級社会の全盛期と言ってもいいだろう。この過去世を元に話を拡げるとするなら、市民は上流階級の裕福な暮らしぶりだけを見て、憎しみや嫉妬を募らせたことだろう。そこに生まれた人間の影になど想いを巡らすことはきっとない。マリー・アントワネットが言ったとされてきた、『パンが食べられないならケーキを食べればいいじゃない?』というあの言葉は、政治に利用するために捏造されたであろうことは容易に分かる。市民の怒りを煽るためだろう。邪魔な人間を消すことを画策した悪い人達は自分たちの手を汚さずとも、そういった民衆の集団心理や、集合意識をうまく利用していたのだろうな。その手法は、より複雑に高度に進化し、現代にもまだ残っている。もちろん、星の影響で(ちょうど土の時代の始まりの頃だった)時代が変わるタイミングにあったことが、何より大きい。

結局、どこにどんな風に生まれたかで、人生が決まってしまった時代。地球の闇の歴史(それも必要な流れにあったとは思っています)自分の意思なんてあったところでどうにもならない。籠の中の鳥と同じ。どんな人にも光と影はあったと思う。なのに、いつでも目に映るのは片面だけ。支配世界では、目に見える世界には光と闇という二元を生きる人々という構図。本当はそんなもの無いのに。

支配の概念が、いつ、どのように、誰の手により、この地球に持ち込まれたかはわからないが、本来の血統というものは、単に役割であり、平和な時代の王族は、すべての民のしあわせのために、粛々と仕事をしていたであろうと私は想像している。

わかりやすいから芝居で例えるが、どの役にも優劣など無い。ひとつの芝居を完成させるには様々な役どころがあって、ひとりひとりが自分に一番ハマる役をやれば、その芝居の完成度は高いだろう。主役ばかりにスポットライトが当たりがちなのは、支配社会、身分制度なんてものが、この世界で長く続いてきたからに他ならない。もっとこの先の深い話がしたい気もするけど、もう必要なくなることを深追いしてもあまり意味はないから割愛する。

今とこれから先のことを考えたい。リーディングで視てもらった今の自分と、過去世の子ども時代の私のパワフルな女性性とやらを発揮したい。準備は万端(ずっと言ってるww)私たちはきっと、真新しいものを創造するために生まれてきたのだ。過去のすべてを踏襲し、今ここから始まる未来へ向かう強い意志を持つ。人間としての尊厳を失うことなく、自信を保ちつづける。自然と同調していれば間違いない。

 

大丈夫。もうはじまっている。

大丈夫。気分よく流れよう。

大丈夫。あなたが笑っていれば。

 

大丈夫。きっとうまくいく。

 

 

 

 

 

 

 

クリームオレンジの過去世