シュリ日和

まいにちに生きる

あふれる

 

 

 

一週間ほど前から、ラジオアプリでラジオ番組を始めた。毎日更新している。

内容は完全に思いつき。その時話したいと思ったことを気ままに話す。だいたい一回の放送は10分。『たった一人の愛する人』という回だけは熱が入りすぎて30分も話してしまった。思い入れの強いものほど、まとまりの無い、若干支離滅裂な内容に留まってしまった気がしたが、一人だけいいね!してくれた人がいて救われた想いがした。

今のところ、7フォロワー、7フォロー中。77でラッキー感あるからこのままずっとこの数字を保っていけたら満足だ。

 

こないだ知った過去生が頭から離れない。あとからあとから、色んな点と点が繋がりだして、驚いている。自分が感じてきたことは、ただの妄想でもなんでもなく、魂の記憶に基づいたものだったことがわかり、それは、何にも替え難い貴重な宝石のように胸のなかで輝いている。

迷い苦しみ悩みながらも、自分のコアに還りつづけてきたことの証明。今この瞬間も、どこまで純度高く自分の命を生きることができるかの挑戦。後悔なんてひとつもない。今世は全部自分で選んで今があるのだ。

 

夏に、ジャンケンで買って、ドリンク一杯奢ってもらったことと、プラス千円もらった時の爆発的な嬉しさが忘れられない。その時私はほんとうに、ほんとうに、嬉しかったのだ。ジャンケンに勝ったことも、千円もらったことも、奇跡でしかなかった。宝くじが一等当たった時の喜びを想像した時の、軽く5億倍は嬉しかった。自分にとっての奇跡。自分にとっての価値。それは誰とも何とも比べることはできない。

 

先日、気まぐれに柴又の帝釈天へと行った。柴又って町を訪れたのは初めてのことで、時が止まったままそこに在り続けてる帝釈天や立ち並ぶお店には正直心惹かれるものは無く、ただ、帰りの電車を待っている間に、駅のホームに寅さんの名シーンの写真と台詞が飾られていて、それだけが目に止まった。

 

「人間は、何のために生きてんのかな?」

『うん?難しいこと聞くなぁ、え?うーん、何て言うかな、ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、ねえ。そのために、人間生きてんじゃないのか。』

 

寅さんの言うことが真理なら、私には、もう何度もそう思えることが人生に起きてきた。今日死ねるなら最高だって思える瞬間も人生に訪れた。そのことを想うと、私がほんとうに欲しかったものは、形のあるものではなかったことがよくわかる。予期せぬ出会いや、予期せぬ出来事が、自分を心の底から喜ばせてくれた。決して忘れたくない大切な思い出が残っている。大切な思い出のひとつひとつがこの人生を彩っている。それが実は、過去世からずっと続いてきた愛のストーリーだとしたら、そんなロマンティックなことってあるだろうか?

小説や漫画やアニメやドラマや映画で感動した、ある種の有り得ない奇跡体験は、実は、自分のコアな輝きを思い出すために神さまが散りばめたメッセージだったとしたら、人生は簡単にひっくり返るだろう。

一番多感だった10代後半、''恋する惑星''という香港映画に夢中になった。恋する惑星を、まるでラブソングのような映画だと誰かが評していた。ラブソングのような映画、ラブソングのような人生。ラブソングのような何かは、決して値段のつけられない、ときめきだけが知っている未来に他ならない。

 

 

愛する人がいる。

それ以上の奇跡はない。

ああ、生まれてきてよかったな、を感じたいから、私はこれからも生きていく。

 

 

 

追憶からはじまる