シュリ日和

まいにちに生きる

けろっこデメタン

 

ひょんなことから、けろっこデメタンを思い出す。けろっこデメタンは、昭和の時代のタツノコプロの子ども向けアニメ番組で、私はアニメを見て育ったわけではないのだが、なぜか、昔うちにあったレジャーシートの絵柄がけろっこデメタンだったことを鮮明に記憶しており、あるものを見たことにより、あるもの→カエル→けろっこデメタンといった連鎖で思い出した。

気になって検索してみると(よくやるパターン)デメタンのストーリー概要が激アツだったので、載せてみる。

 

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アマガエルの子デメタンと、ガールフレンドのラナタンは大の仲良し。ところが周りの大人たちはなにかと理由をつけてふたりを引き離そうとする。虹の池を平和で住みよい場所に変えるために奮闘する、純真なふたりの愛の物語。

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めっちゃ気になる!アニメが見たい。

すると、簡単に見れた。1970年代のアニメなので、放映権が時効なのだろうか。とにかく有り難く視聴した。

1話だけでも秀悦すぎる。悪役が悪役を極めてて笑う。ラナタンの親父(トノサマガエルの権力者)が自分の立場や権威を優先した結果、可愛い娘であるラナタンの反抗が気に入らず思いっきり引っぱたいて『パパなんて大嫌い!』と言われるシーンは見応えがあった。これは、昔の人間界をそのままカエル界に落とし込んだ作品とみた。

デメタンの吹く草笛の音に合わせて、ラナタンが踊るシーンもよかった。ふたりの世界が美しくて、虹の池がキラキラと輝いている。

私はこの作品を見て、昔ってこんなにもわかりやすく物語に引き込むスパイスとして悪役を多用してたんだなぁ〜と、なんだか妙に感心してしまった。陰と陽のコントラストが濃すぎる。だけど、それが面白さでもあった。

松ちゃん(松本人志)が言ってたことでよく覚えてるのが、子どもの頃好きだった遊びのシチュエーションが、ヒーローと敵(ソフビ人形)を戦わせて、ヒーローが滅茶苦茶やられて負けそうになったところで、起死回生の一撃で逆転勝ちさせるというもの。死にかけたところでの復活劇に夢中になる男の子の心理って、わかるような、わからないような、、。ロッキーは試合には負けたけど人生の勝利を得たしなぁ。戦いの要素って、人間界を生きる上でやっぱり重要な気がするんだよな。

そして、時は令和、風の時代。

ここから先は、愛と平和を生きるってよりも、愛と平和を勝ち取るために闘うんじゃないかな?自分にとっての純粋な正義のためとか、人間の尊厳を守り抜くためとか、仲間のために自分の命を差し出すことに歓びを見出すとか、、なんかそんなイメージ。刷新進化しながらも、積み重ねてきたものがモノを云う時代になっていく気がする。

心を育てずして、魂など磨かれるはずもない。

答えを作品にされても心は動かない。真理を表現として打ち出されてもそんなもん誰がやっても変わらない。すごくもなんともない。寧ろ当たり前かよって、ツッコミたくなる。だけど、そういうものが流行る流れにある。自分の命を生きてない奴ばっかだからだ。つまんねー風潮に流されないよう、グラウンディングをしっかりしよう。

要は、そこに自分がいるかどうか、そこに人間の自分をちゃんと打ち出せてるかどうかだ。誰かや何かに陶酔しきってる輩を見ると、バケツの水ぶっかけて、『いい加減目覚ませよ!』とか言いたくなる。『お前の命はお前で咲かせろ、バカヤロー!』とかね。

私が根源的に抱えている怒りはそういうものなんだと思う。

 

しゅりちゃんの教室をやりたい。

 

 

 

蓮の花の上で🪷