シュリ日和

まいにちに生きる

私の歌

 

 

 

15日の土曜日に、多摩川の河川敷で行われた''もみじ市''へと出かけた。もみじ市とは、クラフト作家や、デザイナー、アーティスト、カフェ(パティシエやシェフ)などが集う、おとなのための文化祭のようなイベントだ。

コトリンゴ高野寛のライブが気持ちのいい秋空の元、フリーで見れるという有り難さ。時間になったら、芝生に自由に座り、自由に楽しむという、いちばん気楽なスタイルだった。

コトリンゴが、まさかの、『悲しくてやりきれない』を歌い出したので、泣いた。強い日差しを避けるために被ってた、パーカーの帽子に隠れて思い切り泣いた。

 

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その日の朝、再び過去生リーディングを受ける機会に恵まれた。私が地球で人間として生きた過去生のなかで、最も私という魂の本質のままに生きた時代のことを。

過去生の私の魂がいたその国は、これまで、そこに居たんじゃないだろうか?とふと頭によぎったいくつかの国のひとつだった。そして、話を聞きながら、その人生の記憶のようなものが、手に取るようにまざまざと脳裏をかすめていく。

その時、魂は輝いていた。本質を生きていたのだ。だから、魂は喜んでいた。けれど、人間だった、さらには女性だったその人は、満たされる想いと共にある、ずっと消えない虚しさを胸の奥に感じながら生きて死んでいった。自分の存在に対する無価値感。愛する人と沢山の人々に大切にされ、愛されていたのに、自分だけが自分のことを、何の能力もなくとも、ただそこにいるだけで存在として役割を果たしているということを信じきれず、愛を受け取りきれずに思いを遺して死んでいった。

リーダーさんは『自分には何もできないと思っている、物悲しい表情が見える。』と言っていた。過去生の自分は(今の私と同じ魂)そのままでいいことを、そのままで自分という存在にあまりある価値があるということを信じきれなかったのだ、と。

このリーディングを通して、私は私のなかにある、ずっと消えない虚しさのような想いが何であったのかが、ようやくわかった気がした。

求めてやまなかった願いの理由も、すべての人に存在価値があることを伝えたいと願ってきたことも、それらの想いの源流に辿り着いた気がして、力が抜けた。

悲しくてやりきれなかった過去生の私がずっと訴えていたのだ、今を生きる私へと。だからあのとき、祈りのような私の踊りが生まれたのだろう。

あんなにも、悲しくてやりきれなかったのは、人間(女)が経験してきた悲しみの深さが物語っている。自分がずっと長く感じてきたことは、本当だった。

 

今日は私の誕生日だ。

今を生きる私という存在がこの世に生まれ落ちた瞬間、すべての記憶はリセットされた。与えられたまっさらなキャンバスには、自分が好きなようにやりたいことをやり、好きなものを好きだと言える世界を描く、無限の可能性が初めからあった。

それが、悲しいことに、地球に残り続けて拡がり続けた、人生を謳歌でききれなかった人々(特に家系や先祖)の無念の想念を、関わった人や土地や様々なものを通し、受け取りながら人生を進めてきた。無自覚に、無意識に。

更には、前へと進もうとする度に、潜在的に残り続けていた魂の記憶(思い出してしまった)の引力に引き戻され、一歩進んでは、三歩下がることを繰り返した。

月を求める心は、そこにあったのだろう。

私は、過去生の私という魂の存在がとても愛おしく思える。愛おしいからこそ、手を離すことが惜しかったのかもしれない。

けれど、その人の想いを昇華できるのは、今ここに生きる私しかいないのだ。虹の戦士として生まれた私たちが、真の愛とは何かを知り、愛そのものとして生きていくことが、私たちへと託された命のリレーの最終走者の役目であることを今日、自覚した。

まっさらなキャンバスは取り戻せる。今ここから。

 

新しい命がいま、生まれようとしている。

 

 

 

誇らしく咲け!