シュリ日和

まいにちに生きる

宝石



最近特に宝石が気になっていた。

宝石。宝の石。

地球に存在するどんなに美しい宝石も、磨かなければ見出される(見つけられる)ことはない。けれど、磨かずともその宝石の中心は常に純度の高い輝きを放っている。

 

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今年(2022年)の夏に、金曜ロードショー天空の城ラピュタをみた。(だいぶ時差があります…)

私はジブリの作品に興味があるのかないのか、こどもの頃から何度も観る機会があったはずなのに、驚くことに今回初めて最初から最後まで通しでみれた。パズーとシータが滅びの呪文(バルス)を言うシーンをはじめて感知することができた。笑

なんか、それ自体意味があったような気がする。いま、いまのために大切に隠されてきたような気がしてくる。もしかしたら、そのシーンを以前にも観ていたのかも知れないけど、忘れるようになっていたのかも。それか記憶に残らないように魔法にかけられていたとか、、。それくらい今の私にとって、あのシーンは、大切なシーンだった。

さらに、ラピュタの中枢機関、言わば心臓部が巨大な飛行石だったことが、あの映画の最大のメッセージのような気がした。あの飛行石の持つ神秘的な力によって、様々な均衡が保たれ、ラピュタは存在しつづけた。

 

ラピュタを現代の日本の神社(神社庁絡みの)に喩えると、拝殿に神様(飛行石)がいると思い(思わされ)私たちは参拝しているが、あれは御神体を隠すためのフェイクで、更には、拝殿にいる(であろう)神様への貢物としてお賽銭をさせられていたのだろうなぁ〜と、なんか自分的にやっと腑に落ちた。フェイクに向かって手を合わせ、一心に神頼みしていたということは、神ではない偽物の力を大きくするために人々のエネルギーは集められていたということにならないだろうか?嘘は嘘のエネルギーを呼び、本物は本物のエネルギーと引き合う。

 

昔は神社と寺はひとつで、神仏仲良くやってたところに、明治時代に神仏は別離させられた。さらには、戦後、神社庁なんてものが設立され、神社は会社組織へと変えられていったのだと思うと、八百万の神があらゆるものに宿っていると考えられてきた国の民として、本当にやるせない気持ちになる。

 

何もわからずにお賽銭をしていた人は悪くないだろう。お金が必要な世界で生き抜くために、神様の力を借りたいと、藁をも掴む想いで神様へ願いを叶えてもらうために、お賽銭をする気持ちを責めることなんてできない。それを私利私欲のためは悪いことなんて、どの口が言えんだよ!と、怒りも湧く。それくらい、ギリギリのところでみんな生きてんだよ、生きてきたんだよ!弱者を食いものにして、この地球を破壊してきた者に向かってそう叫びたい。

 

神社にある巨大な御神木や、岩や、滝や、そういう自然そのものに、本当は神様の何かが宿っていたのだろう。それは、神道という、日本の古代から続く民族宗教の原点である、''自然が師であり神である''という思想に基づく考えとして受け入れ易い。

 

現代の私たち(人間)は、生まれてきてからずっと、自然に目を見張る感性を奪われるような環境のなかで生きることを強いられてきたから、目に見えるものしか見れない(感じ取れない)貧弱な精神の者が増えた。

本当はDNAレベルで知っていることも、貨幣経済で回る社会を生き抜くために、そういう本能と呼べるようなラピュタにとっての飛行石の存在を完全に忘却の彼方へと消し去ってしまった人も少なくないだろう。私もほとんどそうだったから、自分自身のことを振り返ってもよくわかる。

 

幼いこども時代はみな持っていたセンス・オブ・ワンダーと呼べるであろう純粋な光は、とっくの昔に奪われ、失われた。それでもこの地球が滅びていないのは、残った自然の力によるものが大きいだろう。太陽がなければ人間は生きていけない。自然が絶滅する前に、間違いなく人間が先に滅びる。自然は地球にとっての飛行石だ。けれど、人間もこの地球に自然と共に共存していることもまた変え難い事実である。

 

ということは、人間の中にも地球の均衡を保つ役割を果たす飛行石のような存在があったはずだ、と私は考えた。

 

ラピュタと飛行石の関係を地球と自然を喩えに話をしたが、これは、地球と人間との関係にも喩えることができ、実は全く目立たない陰日向でひっそり暮らしているような人が、地球の要所要所に配置され、実は飛行石のような役割を果たしてきた可能性がある。その人が何をしているか、などという表面的な肩書きなど全く関係なく、ただその人の存在の純粋性が、それぞれの場所で自然(地球)と人間との調和を保つために欠かせなかったのではないか、と。

 

スピリチュアル的思想を組み込むと、いわゆるスターシードと呼ばれる他の星から地球を救うために送り込まれてきた魂(星の種)は、あちらこちらに降り立ち、何世にも渡り、発芽する時を今か今かと待ち続けてきた。この地球の支配者(闇や悪の役割の存在)により、強力な封印、結界が張り巡らされてきた中、神様はあの手この手をつかって、大切な魂を守り抜いてきてくれたはずだ。(守られたまま肉体の死を迎えた人も含めて)そして、恐らくその大半の種はまだ発芽していない。

 

2020年冬至を迎え始まった、これからの風の時代を牽引していくであろう星の種は、まだまだ土に埋もれたまま、輝く機会を待ちわびている。

 

私は、自分の全部をつかって星の種の原石を見つけ出したい。今そう思っている。まだ土に埋もれてる種に水を与え、光を浴びさせ、自らの力で発芽するための何らかのお手伝いをしたい。そして、芽を出したそれぞれの星が独自の輝きを放つための羅針盤となるようなしごとがしたい。

 

そのためには、これまでの封印を解く(終わらせる)何らかのバルス的儀式が必要だった。

 

バルス的儀式…

 

今年(2022年)に入ってそれはすでに始まっていた。始めていた。こんな風に繋がるなんて思ってもいなかったけど、他の誰にもできないことをちゃんと始めていたのだ。魂は凄いとしか言いようがない。それは、私たちインディゴの最期の使命のようなものだから。インスピレーションはハイヤーから降ろされていたのだろう。着地は想像通りにはいかなかったが、それでも十分意味はあったと思う。

 

ゴールは見えている。この胸のときめきの中にちゃんとある。

万事上手くいっていたのだ。

神様ありがとうございます。

 

本気で自分が最高を求めれば、それは与えられる。そして、自分が最高を求める覚悟を決めたら、最高と最高とが出逢う時が必ずくる。

 

世界の約束は、生まれてくる前にそれぞれの魂が決めてきたことなのだから。

 

 

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この記事は書いた年にアップせず、下書き保存していたものです。なぜ今日この記事をアップしたのか自分でもよくわかりません。最近の私は無に近い心境で日々を過ごしており、ネガティブな思考は完全に停止状態にあり、かといって、ポジティブに思考がはたらいている訳でもなくて、本当に凪状態がつづいています。これから自分がどう変わっていくのか、全くの未知数です。やはり凄い時に私たちは生きているのだと感じます。心が動くことが限りなく少なくなってきたことで、ほんとうだけが残るのだということを実感しています。そして何より、まだ何もはじまってすらいないことだけが、事実としてここにあるのだと思うのです。

 

2023年5月7日 シュリ

 

 

 

 レインボーの天使が現れた👼🌈