シュリ日和

まいにちに生きる

大丈夫

 

 

昨日、なんとなく今の自分にできることを考えてみた。すると、けっこう沢山あることに気づけた。

 

料理・お菓子作り・裁縫(簡単な)・掃除・文章を書く(詩を書く)・朗読(絵本)・写真・歌う・踊る(舞う)・動画でひとりで喋る・草花アレンジetc..

 

これらほとんど、専門的な機関で技術を学んだわけでも、誰かから教わったわけでもなく、ただ自分が好きで続けてきていることだ。技術力は向上していないかもしれないが、経験値は確実にアップしている。だって続けているから。私ができることの殆どは、続ける努力なんていらないものばかりだ。何故ならそれらは生活や暮らしに密接に関わってることだから。

 

料理は食べる(食べさせる)ために必要だし、お菓子作りは自分の喜びのために必要だし、縫い物は心が落ち着いて整うからやりたいことだし、掃除は苦手だったけど仕事でやってみたら空間や心が浄化されていくことに快感を覚えたし、文章を書くことや詩を書くことはずっと密かなライフワークだったし、朗読も好きな絵本の絵を見ながら読むことが好きだから。歌うことが好きだったのは、過去生とどうやら関係があったことが最近わかったし、写真は空や花や景色が綺麗だなぁ〜と思ったら撮らずにはいられないし、動画でひとりで喋ることに挑戦したのは、人とコミュニケーションをとりたかったからだし、道端に咲く何気ない草花を摘んできて部屋に飾ることはしあわせなことだ。特に踊りなんて、ほんとにもう、好き勝手に好きな曲を聞いてなんとなくイメージで手や身体を動かしてるってだけの話で、人が見たら踊りとは認識してもらえないものかもしれないけれど、私としては踊ってる(舞ってる)。体を使う女性性の表現手段のひとつと考え、最近はとても大事にしている。

私にはできることがある。生きている間やり続けていくことが沢山ある。とても豊かな恵みがいつも自分と共にある。それらが生きていくことの活力になるのだろう。

 

ブログからだいぶ離れてしまったから、前みたく書けないかも…と思ったけど、大丈夫そう。あくまでも全部自分がそう思ってるってだけなんだけど。

 

自分のなかが整理されてきたんだと思う。シュリとだけ、ちゃんと一緒にいることに注力してきたことの成果がでてきているのを感じる。過去生とか、魂とか、宇宙の計画とか、そういう諸々は全部後回しにして、シュリの気持ちに寄り添って、シュリだけを大切にしようと、心がけてきたから。そうしないと、私はすぐ人のために生きようとしてしまう長年の癖により、すぐに大事なものを見失ってしまうから。

自信は育てる(育つ)ものだと思う。人間を生きているからだ。一朝一夕にはいかない。少しずつ少しずつ育って始めて揺らがない芯となる。自信との付き合いは、ずっと過程のままなのだろう。

最近お金のことを考える時間が減ってきている。お金の問題にずっと悩まされてきたから、いつも無意識に近い状態でもお金のことを考えていた気がするのだけど、ほんとにナチュラルに考えなくなってきた。それは、これまでの人生のなかで、報酬など無いのが当たり前だと思ってきた家事(料理や掃除や子守りなど)に、報酬が得られる価値があるという経験をしたからだと思う。私の当たり前は、ほかの人の当たり前ではなかった。

1回3時間料理や掃除をしてもらうことに1万円近いお金を支払い、そのことに感謝する人が世の中にはいる、ということを初めて知ったことで、私がこれまで当たり前にやってきたことは決して当たり前ではなく、価値があることだったと証明された。正直、私に給料として入る金額は微々たるものだが、今している経験は確実にこれからの糧になる気がしている。だからやったし、今やっているのだろう。この辺は、魂がシュリの操縦席に座ってるんだろうなぁ〜なんて感じながら、私は日々動かされているのだと思う。

 

先日、母親の手料理を食べた時にふと思った。

『お母さんが死んだらもうこの味は二度と食べられないんだよな…』

母が死んだら、その時どんな大金詰んだってもうそれは買えないし取り戻せない。母親の手料理には100万ドル以上の価値がある。値段のつけられないものを大切にしたいのだ。だからこんな生き方を選んだし貫いてる。

 

願わくば、神さまのいたずらでとんでもない奇跡が起こる日が来ることを夢見たりしながら、その日まで、経済的な貧しさに屈することなく心は豊かに誇らしい笑顔で私らしく生きていられたらと思っている。

 

 

 

凛として咲く花の如く