シュリ日和

まいにちに生きる

恋愛

 

ちゃんとした恋愛をしたのは、離婚をしてからだった。正確に言うと、離婚をするきっかけとなった人との出会いがあった。

その人は私をなんでもないある日、見つけてくれた。私がその人を認知するまでどれくらいの日数が経っていたのかはわからないが、私に会うために仕事がお休みの日にお店(当時働いていた某珈琲チェーン店)へと通ってくれていた。

季節は春だった。

その頃期間限定で売り出されていた、バナナとベーコンのサンドウィッチをその人が購入したことで、私は彼へと話しかけた。『バナナとベーコンの組み合わせ意外と美味しいんですよね!甘いのとしょっぱいのが同時に食べれて。』なんて、私はあまりお客さんに話かけるのは得意じゃなかったのだけど、バナナとベーコンのサンドウィッチが好きだったから、めずらしく話しかけたのだった。

彼は照れくさそうに『ははは。』なんて笑ってたけど、突然話しかけられて、多分すごく緊張していたんだと思う。私のことをずっと見てきていたから。

それからしばらくして、彼は店頭でスタッフとお客さんの目を盗んで、私へと手紙を渡してくれた。4年近く勤めてきて初めての体験と漫画みたいな出来事に、ビックリしたのと同時に嬉しくてはしゃいだ。その時の彼の表情を今でもはっきり覚えている。心臓が口から飛び出しそうなほど、ドキドキしている顔をしていた。

その手紙には『いつも素敵な笑顔をありがとうございます。良かったらおいしいピザ屋さんがあるんですが、食べに行きませんか?』そう書かれていた。

とても嬉しかったけど、私はその時まだ結婚していたし、私に気がある男の人と二人でピザを食べに行くことはとても悪いことのような気がして、嬉しかった気持ちを封印して、そのまま時は過ぎていった。

ところが、それから3ヶ月ほど経った頃、スピリチュアルカウンセラーとタロットカードリーダーの人の仕事に関するセミナーみたいのに参加した際、『あなたは恋をしてください。』と意外なお告げを受け、私は先述の彼のことを思い出したのだった。

当時、20年来のスピリチュアルな感性に長けた友人に私たちの思い出の海を前にその話をしたところ『その人はシュリにとってとても大事な人だから会った方がいい。』と言われ、私たちは会うことになった。

その人はとっても素朴な感じの人で、安心感があった。ピザを食べながら好きな音楽やミュージシャンの話で盛り上がり、私は、結婚生活のなかでずっと封印してきた自分の好きなものを思い出して、ペラペラとよく喋った。私たちはとても話が合った。彼は20代前半はよくフジロックなどのフェスに通っていたことなどを話してくれた。私は彼のことを25歳くらいに思っていたけれど、実際は29歳で、彼は私のことを32.3歳と思っていたけれど、実際は38歳だった。彼は私の9歳年下だった。

私たちはピザ屋さんを出て、日本橋から日比谷公園まで歩いた。季節は夏だった。公園の噴水はライトアップされていて、不思議な感覚だけど、私は初恋の初デートをしている気分になっていた。これまでの現実はすべて幻で、まるで夢のようなこの時間が、現実なんじゃないかって本気で思い込んでいた。

ベンチに並んで座った私たちは、黙ってしばらく目の前の噴水を眺めていた。私は重い口を開き、自分は結婚していて子供がいることを彼へと伝えた。その時一瞬『あっ』という表情を彼はしたけれど、すぐに全てを受け入れ、私に『キスしよう』と言ったのだった。

繋いだ彼の手はとても大きくて分厚くて、私の手をすっぽり包み込んでくれたあの時の安心感が忘れられない。彼の手が大きくて分厚かったのは、彼が料理人だったからだ。

私は子どもの頃に、大きくなったらお豆腐屋さんになりたいと思っていた。お豆腐屋さんになったら、愛する旦那さんといつも一緒に朝早く起きて、お豆腐を作って、四六時中一緒にいられると思ったから。

今思えばなんて可愛い夢だろう。だけど、私はそういう素朴ななんでもないような幸せを夢見ていたのだ。彼と出会って忘れていたその夢をふと思い出していた。

私たちはそれからもう一度だけ会ってきっぱり別れた。付き合ったわけではないけれど、彼との出会いはその後の私の人生を変えた。彼が私へと言ってくれた『38歳なんてこれからなんだってできるじゃないですか!』という言葉により、私は離婚を決意できた。

彼へと送ったメールは全部文字化けし、最後に地下鉄のホームへと降りるエスカレーターを彼は念力で止めた。私は別れがあまりにも辛すぎて、逃げるように足早にエスカレーターを歩きながら降りていたから。びっくりして振り返った私の肩に手を置き、彼は『大丈夫?』と優しく声をかけた。

ほんとうはその日、私たちは一緒にライブに行く予定だった。だけどその日、会った瞬間から別れの気配は漂っていて、色々な話をする中で、彼は霊感のある元カノに、前世で偉いお坊さんだったと言われたことがあることや、ゲイの友人からは、ハリー(あだ名)は家から出られない星をもってると言われたことや、10歳上のお姉さんの旦那さんが京都の人で癌で亡くなったことや、出身地や学校の話なんかをした。驚いたことに、私たちは小中同じ学校出身だった。しかも実家の住所が同じ町内で、ちょっとお互いに驚きを超えた何かを感じたのだった。

彼は前世がお坊さんだったという話しを聞いたことで、般若心経をノリで全部覚えたことがあることを教えてくれた。私は実はその頃、仏教徒の詩人の先生から、光明真言という大日如来真言を教えてもらい、毎日唱えていた。意図せず引き寄せが発動していたのかもしれない。

食事をした後、公園でもう会わないと話をしたことで、ライブには私がひとりで行くことになった。改札まで着くと、『じゃあ。』と言って彼と私は握手をした。

彼は笑っていたのに、私の手を握る力はどんどん強くなっていき、自分でも気づいていないんじゃ?というくらい長い時間私たちは握手をし続けた。やっと彼が我に返った時、ゆっくりと手を離した私たちはそれぞれの目的地へと散り散りに散った。

死ぬほど辛かった。やっと自分が自分として生きられる!という何かを掴んだと思った途端、あっという間に引き離されて、またあの死んだような日常に連れ戻されたことで、結果的にその反動により離婚を決意することに繋がったのだけど、本当にあの苦しさや悲しさは人生で初めて味わった深い感情だった。感情を味わい切った後に芽生えた不動の心は、何かにたとえようがないほど強いものだった。だけど、私がそれだけ苦しんだということは、きっと彼も同じ気持ちだったのかもしれない。

私はこの時、一番信頼する人物である息子(当時中3)に相談をした。息子は私の話を全て聞いた後こう言った。『その人は決めたんだよ。どんな思いだろうと、もう会わないと強い気持ちで。』そして、好きな漫画の登場人物の台詞を私へと贈ってくれた。

 

人はひとりで勝手に助かるだけ

 

この言葉はとても深い。その頃の私にはわからなかった。だけど今なら少しだけわかるような気がする。

 

彼が私へと最後にのこした言葉は、『シュリさんと出会えたことは一生ものの宝物です。』だった。宝物なんて面白くもなんともない。私は今ここに生きる私と生きてくれる人をずっと探していたんだと思う。だから詩を書き続けていたんだと思う。

 

**

 

離婚とほぼ同時に私は都心のレストランに就職した。そして、彼はそこで初めて関わったメンバーの一人だった。ほんの数ヶ月違いで私たちが配属された店からは、なんと、あの先述の彼との思い出の地である日比谷公園が見えたのだった。

同じ店で働いた彼は、11歳年下だった。とても優しくて真面目で人を見る力がある人だった。性格は穏やかで和を大事にしたいバランスタイプ。上司からは、私たちは似ていて、優しすぎるとよく言われた。だけど、それは表向きの私たちの性格で、内実、彼も私も普段人には見せない狂気を胸に秘めていることをお互いになんとなく感じていた。

私は彼をどうして好きになったんだろう?最初からじゃなかった。いつも彼は気づくと私の側にいてくれた。私が仕事ができないことをよくわかっていて、サポートしてくれていたのだ。その頃は毎日10時間労働で、家と店の往復で日々が過ぎてゆき、癒しがなかった。今思えば私たちはお互いにお互いの存在が癒しだったのかもしれない。

彼は私のことを、自分が地方から出てきてすぐの頃から夜な夜な一人通っていたバーに連れて行った。マスターに、『〇〇が女の子連れてくるなんて一体どうしたの?』なんて言われて、私のことを『女のうちに入んないんで』と答えたりした。彼はほかの場所でも私のことを『同士みたいなもんです』なんて言っていた。

人によっては、恋愛よりも同士の方がある意味貴重な関係に思えるかもしれない。

だけど、私は恋愛がしたかった。好きな人に女として見られたかった。見られてたんだろうけど、ちゃんと実感したかったのだ。

彼との思い出も沢山あるけれど、私たちが最初に配属された店を一緒に離れる時に、店長と3人で行ったカラオケで、彼が最後に歌ったHYのAM11:00がいちばん思い出深い。

 

 

だからお願い

僕のそばにいてくれないか

君が好きだから

この想いが君に届くように

願いが叶いますように

 

.

.

.


君がそばにいるだけで

また僕は進むことができて

また新たな力を手に入れるんだ



この歌詞を聴いた時、彼は私をちゃんと好きなんだって思えて嬉しかった。どんな関係性でもいい。私たちらしい関係であればそれでいい、そう思っていた。

 

**

 

結局恋愛って未だによくわからない。若い頃に経験しなかったからタチが悪い。だけど、出会いと別れのなかにあったすべてが自分を育ててくれたことは間違いない。私は恋をしたとき、いつでも全力だった。駆け引きなんてできない自分のまま、ここまできてしまった。別れは辛い。死ぬほど辛い。でも、出会いが必然であるなら、別れも必然だ。

 

いつか、別れのない出会いが訪れたらと祈る。

 

 

 

散りゆく桜と夕日と