シュリ日和

まいにちに生きる

昼下がり

 


"人生とは一通のラブレターのようなもの''

 

あなたの人生感とは?と問われたら、私はきっとこう答えるだろう。

ラブレターのように最愛の人へと想いを綴る行為は、自分を愛し慈しむことを日常のなかで学び、見出して紡いでゆく人生と同じだ。

瞬間に込めることと、長い時間のなかに込めてゆくこと。どんなに醜い気持ちがそこに含まれていようと、そのすべては美しい。

 

前に、葬送のフリーレンというTVアニメのエンディングの『Anytime Anywhere』という曲を、友人から「この曲はシュリちゃんの好きな人への想いのようだなって、、」そんな言葉と共に聴かせてもらった。

とてもいい曲で、私はその曲をすごく好きだと思った。好きな人へのラブレターのようだし、自分自身へのラブレターのようにもとれる。しばらく忘れてたんだけど、さっき思い出してその曲を聴きながら一緒に歌ってみたら、涙が出てきた。ハートから愛が溢れてくる。この涙はほんとうだ。

私はこの涙をずっと信じてきた。

 

先日天国へ還った、ある人(前回の記事参照)の息子さんからのメッセージを読んだ。それはまちがいなくその人本人の言葉だと感じられた。

『みんな!人は元々明るいんだよ!明るいの!暗いのはその時だけたまたま。魂の芯はみんな明るい。俺は自分の陽キャ、明るさが大好きですよ。俺は俺が好きです。

みんなも自分のほんとの部分を思い出して欲しいです。地上でいう陽キャとか陰キャじゃなくて、魂として明るいからそれを思い出して欲しいです!』

もうこの言葉が、…いや、ほんとそれな。でしかなかった。死んで間もない人から元気をもらってる。カオスと言えばカオスだけど、私はこの事実をすんなり受け入れることができている。寧ろ安心感さえ憶えるような感じがする。

ありがとう、天国の北斗くん。ありがとう、北斗くんのお母ちゃん。子に先立たれるという筆舌に尽くし難い思いの今、メッセージを発信してくれて。

魂はみんな明るい。じゃあなんで暗いフリしてんだろ?しなきゃいけないような空気があるんだろ?時々ほんとに分からなくなる。自分がおかしいのかって、孤独になる。

私も元来陽キャだった。

なのに、保育園の頃(4~5歳)から、いやきっともっと前から、それを否定されるような、自分そのものを受け入れてはもらえないような環境に身をおかされていたがゆえに、空気を読んでおとなしい振りをした。小学校に入ってからも陽キャを出したい自分と、隠さなきゃと思う自分とのせめぎあいでトンチンカンな行動をしたし、ギャングエイジなんて言われてる小学校中学年の頃だけは、学校の中では自分全開でやりたいようにやった。その頃は何故か、親も先生も周りの人も完全無視で、自分街道を突っ走った。結果、最高に毎日が楽しかった。けどその反動で小学校高学年は地獄だったけど、、。

その後の人生を辿っても、大半は空気を読んで過ごした時間が長く、心から楽しかった!と思える年月は数年しかない。楽しかった時は、あまり周りからの影響を受けてなかったように思う。自分が自分のやりたいように、好き勝手にやってた時は楽しかった。たった数年のことだけど、それができてた時はどうしてできたのかはわからない。わからないけどできてた時がある。それが救いであり、希望だ。

環境は与える影響が大きいと思うけど、それだけじゃない。よく思い返してみると、約10年周期でタイミングが来てる。10歳、19歳、29歳、38歳(からは断続的に続いてる、、)この辺りが楽しかった。色々ありながらも楽しいことが多かった。

最近はひとりでもしあわせを感じられることがとても増えたのだけど、楽しいかって聞かれたら、あまり楽しめてはいない。それは、人と関わっていないから。ここにしたためているような思いを共有できる関係の人が周りにいないから。

 

あなたに笑って欲しいのは、私が私に笑っていて欲しいからだ。だけど、どんなに楽しい時でも、自分で自分の笑ってる瞬間を見ることはできないから、一緒にいるあなたの笑顔を見たいのだ。そして、ほっとしたいんだよ。だから人はしあわせでいなきゃいけない。私のほんとうの笑顔を引き出せるのは、あなたのほんとうの笑顔だけで、あなたのほんとうの笑顔を引き出せるのは、私のほんとうの笑顔だけだから。自然体であればそれは当たり前に起こる。自然体であれば。


最近はこうしてすぐ心の声との対話?を綴ってしまう。ひとりの時間が育むものは大きい。

 

この記事の終わらせ方がわからない。

いま公園にいるのだが、突然誰かがサックスを吹き始めた。いい音だ。なんて曲だろう?サックスの音色って、外国の夜の街を想起させる。

 

優しいなぁ〜…

 

人である私もこんな優しい音を奏でることができるだろうか。

 

 

 

紅梅と青空

 

 

 

 

 

 

梅と弔い

 

昨日はお祝いをした。

私の人生初のLoveWorkの納品と、報酬を受けとった記念に。

ハイライフという、魂が一番輝いて生きた時代の私(同じ魂の人)は、''…自分には何もできない''と、愛そのものとして存在しているだけで、本当にただそれだけでよかったそんな自分の価値を信じきることができずに無念で亡くなったという。そんな哀しい想いが、ようやく今生において昇華されたのだ。お祝いしない訳にはいかない。

LoveWork、それ自体やらなくたってほんとはいいのだ。私は生きてるだけで価値があるから。生きてることがLoveWorkそのものだから。

だけど私はやりたかった。自分に当たり前のようにできることで人から喜ばれることは、とても嬉しいことだから。そんな経験ができることは今を生きてるからこそだから。有難いことだから。

特定の何かになりたいとは思わない。その時々で、好きなように好きなことをして、人と関わり合って生きていたい。

私は、何でも屋でありたい。

お祝いのケーキがとてもよくできて、誕生日ケーキ職人をやろうかと本気で思ってる。誰かがこの世に生まれた日を祝う記念のケーキを心を尽くして作りたい。ひと口食べた時に、''生まれてきてくれてありがとう''って誰かに言われた気がするような、そんなケーキが作りたい。

私には夢がある。今生叶えなければならない夢が。その気持ちが最近やっとフラットに力が抜けた状態で当たり前に叶うと思えるようになってきた。

以前は焦ったり、力んだり、馬鹿にされたり、うまくいってないと思わせるような揺さぶりをかけてこられたり、他人を使ってダメージを与えられたり、、夢なんか叶うわけないと、色んな方向から妨害をされてきた。

それら犯人はぜんぶ、頭の中のニセモノの自分だった。

 

今日、ある人の息子さんが天国にいった。その人とは面識はない。面識はないけど、面識のある他人より余程身近に感じる存在の人。その人のおかげで、これまで何度も過去生で刻まれた深い傷が癒されてきた。だから勝手に感謝している。その人は肉体が亡くなる前の息子さんの魂と沢山話をして、息子さんから『俺は何も心配してないよ。奥さんも子どもたちのことも天国で見守っていくから大丈夫』だって聞かされながら、その人自身も、亡くなっても大丈夫って頭ではわかっていながらも、人間を生きている自分は鬱になって動けないという状態をリアルタイムで発信してくれていた。

それでも生きていて欲しい。その想いは人間である以上無くせない。無くせないよ。

リアルのなかにしかないもの、リアル以外ぜんぶ偽物。

リアルを直視する恐さから逃げて、幻想のなかで怒ったり喜んだり悲しんだり…そんな風に死ぬまで生きていたくない。だったら今すぐ死ねばいい。それでも、肉体は簡単に死ねないんだから、生きるしかない。死ぬほど苦しい気持ちと共にリアルを体感して生きるしかない。

こんなこと、フラットに言ってる私は孤独だ。周りを見回しても仲間がいない。傷だらけになる勇気はいつから私のなかにあるのだろう。傷ついても大丈夫だと、いつからそんなに強く思えるようになったのだろう。

 

昨日今日は、お祝いと共に弔いの日だ。生と死は裏表のようなもの。

一昨日、麻布の裏道を歩いていたら、早咲きの梅が咲いていた。石垣に登って写真を撮ったらそこは墓地だった。

供養の写真を撮っていたのだろうか。

梅を撮った私の心は明るかったはずなのに、その写真をじっと見ていると、なんだか淋しさが漂ってくる。それでもずっと見続けていると、蕾が開き始めたばかりの梅の花に、希望の芽吹きを感じる。

それが花の力だ。

生命力だ。

弔いの写真が彼女の痛みを和らげ、希望を向く力になれたらと、すこしだけ願いながら写真を眺めている。

 



人は哀しい生き物だ

 

 

 

 

 

記憶の清算

 

昔のこと。

私は飛べる!って信じながら空を飛んでいて、ちゃんと飛べているのに、心のどこかで飛べることを信じきれていないから、強く強く、飛べる!って念じつづけるのに、結局落ちてしまい、ジェットコースターが急降下する時のような、あの心臓が浮く感覚と共にハッとして目覚める夢をよく見た。

高校生くらいの頃、実家の部屋ではよく金縛りにあって、自分の首を自分で締めてたことが何度もあった。怖い夢を見て、夢のなかで声を出したいのに声が出せなくて、目が覚める時に『あっ!!!』って言うのも、本当によくあった。

今はそんな怖い夢、まったくと言っていいほど見なくなったけど、今思うとあれは起きてる間に無自覚で受けたストレスの解消のために起こっていたのかもしれない。

 

最近性的搾取の問題に意識がいっていたからか、女の子だった自分の記憶が完全には清算されていないことに気づいた。まだある。ちゃんと見れていない。とても怖い気持ちになって、自分のものか人のものかの区別がつかない。漫画にひどく感情移入して、現実に戻れなくなっている。

 

また私は愛そうとしていた。また私は救おうとしていた。本当に救われるべき記憶のなかの小さな自分を置き去りにして、外側の世界で強く立ち振る舞わなければと、大人になった自分だけで先に進もうとしていた。

 

***

 

 

最初から愛される覚悟がなかったのは

私の方だ

 

今まで私は一体どうやってあの小さな私を守ってきたんだろう

 

何もかも嘘の世界で

どうしたら人間になれたの?

 

もしもあの時ふたりで

この世界から逃げることができていたら

どんな今にいたんだろうね

 

遠回りしてるようで必要な時間

また、『私のことだけ抱きしめて欲しい』って思ってもいいんだよって、私が私に言ってあげられるようになるまでに必要だった時間

 

死ぬまで消えないかも知れない深い傷がどうか癒えるようにと祈りながら

 

 

***

 

強い自分が弱い自分を隠してしまう。

あと一歩前へ進む勇気が必要。

まるごと全部の自分としてじゃなきゃダメ。

 

 

今度こそ

生まれ変わるんだよ。

 

 

 

 

3月の夜の匂いがした

 

 

 

 

 

たけしと松ちゃん

 

ビートたけし(北野武)と松ちゃん(松本人志)の事を考えてみた。

 

お笑い界の頂点に立った経験のある2人。今回の松ちゃんの騒動においても、比較されたりしている(一部で)

真実なんてわからない。

だけど、それまでのその人の発言や行動や芸に現れていたものから、ある程度その人の真の姿を想像することはできる。

私は、この2人の大きな違いは親にあると思う。特に母親

たけしは母親のことをずっと尊敬していると発言してきている。この世に生まれて初めて異性との関係を築いた母親が尊敬できる人物であったことは、その後の異性に対する態度に大きな影響を与えると私は見ている。

先に言っておくと、私はたけしも松ちゃんも好きだ。だけど、女の私が異性として惹かれるのはやはり、たけしの方なのだ。

若い頃松ちゃんの本は結構読んだ。潜在的に自分には松ちゃんと同じ要素がある気がしていたんだと思う。だから、本のなかで印象に残ってるエピソードもいくつかある。

例えば、3人兄弟の末っ子である松ちゃんは、お茶の間でおとんが兄のことをこれみよがしに贔屓する発言をした時に、おかんが「私は子どもたち3人共全員かわええ!」と返したことに対して『おとんが兄貴さえいたらええって言ってんのやから、お前は俺が一番かわええ!って言うべきやろ。』という思いを抱いたという件。

ここでは、おかんの言い分も松ちゃんの言い分もそれぞれに理解出来る。

おかんにしたら、お姉もいるし、お兄に対しても、ここで松ちゃんだけをかわええとは言ってはいけない場面だ。それしたらおとんと同じやん!てなるから。言うとしたら、松ちゃんと二人きりの時。それなら問題ない。

本来なら親って子どもを育てる側にいると考えたら、子どもより一歩も二歩も先に行っていて欲しい存在なのに、その親が自分の親にされた事を自分の頭で考えることもせず、そっくりそのまま同じように反芻してしまうから、負の遺産は子育てを通して連鎖を繰り返す。

それとか、親がいなかったとか、満足のいく愛情をかけられず(感じられず)に育った場合、愛情不足による弊害が生まれ、恋愛や結婚にもその影響は及び、お手本となる親像(父親像、母親像)がないまま親になってしまったことで、人間的に成熟できていないから感情のままに振る舞ってしまったり、情報を鵜呑みにして本質のない空っぽなのに体裁だけ整えた親の振りをしたりしてしまう。賢い子どもならそれをすぐに見抜くだろう。

…というのは何を隠そう、過去の私の話である。

話が脱線してしまうので、敢えて私の経験を語ることは控えるが、たけしの母と松ちゃんのおかんでは、たけしの母の方が人間として成熟していたのだろうと思う。

もちろん、松ちゃんのおかんが悪いわけでもないんだけど、松ちゃんは男性原理社会のなかで松本人志という芸人として絶対成功したい!って野心があったのは、おかんが大好きだったから、おかんに認められたいとか喜ばせてやりたいとか、そういう想いは少なからずあったと思う。両親が仲良かったかどうかが、とても大事なポイントだと思う。親同士が勝手に仲良ければ子どもは親のこと気にかける必要なんてないんだから。

松ちゃんは、人間松本人志として生きることよりも先に、芸人松本人志を生きてきたんだと思う。おじいちゃんがつけてくれたという、人志(人を志す)という名前にも意味がある気がするんだよなぁー。本人も気に入ってるって言ってたけど、松ちゃんの魂(インナーチャイルド)は、ちゃんとわかってたと思う。だけど、気がついた時にはもう、芸人じゃない松本人志が分からなくなってたんじゃないかな?

多分松ちゃん(芸人松本人志)のアイデンティティが確立したのは、中学の時にクラスメイトの前で披露した漫才がばかウケして、無敵になった時にあるんだと思う。面白いことやって人を笑わせることのできる自分、人から求められる自分、それが生きる指針になってしまったんだろうと私は推測した。権力やお金を持つことで物質的な成功や、女を物質のように手に入れても、人間の心は真に満たされることはないだろう。それが男性原理(社会)の最も大きな弊害だ。

ここにもたけしとの違いが見える。

たけしは、芸人ビートたけしになる前に、人間北野武が確立してたんだと思う。それは、親や環境による背景が大いに影響しているだろう。たけしには本当の友達や仲間や家族のような人達(軍団)がいた。人に恵まれていた。

近年には、長年別居してた下積み時代を支えてくれた奥さんと離婚して、ただただ自分の幸せのために再婚して、所ジョージと奥さんのようなラブラブな関係を目指したい!って再婚したのも、凄いなって感心した。

この男性原理社会の中で成功した人が、諸々全部投げ捨てて自分の幸せを一番に求めることができたのも、これまでいろんな人たちの父親代わりをやってきたからこそって感じられた。

…松ちゃんはさ、怖かったんじゃないかな?全盛期の勢いで人を笑わせることがだんだんできなくなってきて、別にそれは芸人て意味で言えばたけしも同じだと思うけど、そもそもたけしは自己が確立してるし、あの大事故を境にクリエイティブな才能も開花したし、芸人ビートたけしはひとつの側面でしかない分、気はいくらか楽だっただろう。

でも、松ちゃんは芸人としての自分にしか価値を見出してこれなかったから、素の自分には自信がなかったんじゃないかな?

皆んなに笑いの神様扱いされて、芸人の世界なんて思いっきり縦社会だろうし、自分の上(そもそも上なんてことがおかしいのだが)にほとんど誰もいなくなった状況で、芸という鎧を着た自分をみんなが囃し立てたり祀りあげることで、その半分虚像の自分を、イメージを守らなきゃいけなかったのかなって。色んな圧力もきっとあったことだろう。

映画だって先にたけしがやってたし、海外でもあんなに高く評価されたから、どうしたって比較されるし、常に笑いを軸にすることに相当な無理がきてたと思う。(でも、私は松ちゃんの映画'さや侍'が大好き)Xの投稿の短い言葉からさえもそれは感じとれた。弱い自分をさらけ出せないから(Xの投稿からは弱さしか伝わってこなかったけど)強がるしかなくて、いっぱいいっぱいだったんだろう。

身体を鍛える人は気が弱い人が多いと思う。私の父親もそうだった。父はボディービルのジム?に通っていて、三島由紀夫が同じジムにいたという話を昔聞いたことがある。私はマッチョな父の体に潜在的に嫌悪感があった気がする。よく分からないけど、父のつくられた筋肉の動機が、弱い自分を隠すためのものであり、男の強さの象徴としての見せかけのシンボルのように感じられたからかもしれない。

本当の強さはつくられた筋肉には宿らない。精神にしか宿れないのだと思う。

私は松ちゃんにはある意味、時代の犠牲者のひとりとしての側面を見ることもできると考えてはいるものの、自分の目指す理想の男と女の関係性が機能する社会(縄文の頃とか?)に世の中を生まれ変わらせるためには、これまでの負の連鎖は完全に終わらせたいという願いは変わらない。

 

人は変われる。

自分次第でそれまでどんな人生を歩んできていようと、自分の意思ひとつで今この瞬間にも変わることはできる。

私は人間松本人志が好きだから、これからの松ちゃんに期待している。きっと、子どもの頃好きだったヒーローが怪獣にめためたにやられたところから起死回生する、そんなストーリーを展開してくれるはずだ。その時に初めて''人志''という名前が本来の輝きをもって活きてくるだろう。

 

想像力でこんなに勝手に大物2人を分析して(全然まだまだ深掘れるけど)話を展開させてる自分を''どうかしてるぜ''と思わなくもないが、これを書いて確信した。

 

私はやっぱり人が好きだ。

あるがままのあなたが好きだ。

 

そう人に言いたいし、これからの人生堂々と女を生きたい。だから、男にもどんな自分であろうと、堂々と生きて欲しい。

女は芯が強いのだ。舐めてもらっちゃ困るのだよ。本当は弱い男を抱きしめることはできる。だけどそれはとても表面的で刹那的なことでしかない。私は男に生きることの喜びを心底味わって欲しいのだ。

 

だから、抱きしめられにいこうと思う。

女として、男に。

 

 

 

 

水仙 二輪

 

 

 

 

大至

 

※この記事は2023年12月18日に書いたものに加筆したものです

 

神田明神に寄っている。

近くのお家で料理の仕事があったから。

 

昨日久しぶりにYouTubeで動画を撮った。寂しかったから。自分の顔を見ながら思いつくままに喋っていたら、気がついたら寂しさが薄まっていた。動画を見返す。不思議なことに今私が聞きたかったことを画面越しの私が話してる。

好きな人の動画を見るのと同じ感覚。いや、もしくはそれ以上。つまり、私が知りたいことの答えや、今の私が求めていることを、私はすでに知っているということだ。

ひとりごとの延長みたいな感じ。

答えは自分の内にある。初めからあった。

 

お仕事現場の近くに、妻恋神社という神社を見つけた。日本武尊弟橘媛ゆかりの神社だ。

弟橘媛は、日本武尊の妻で、自分の命をかけて夫を救った人だ。武尊が相模から上総へ向かう際に海を船で渡ろうとした時、海に対して軽口を叩いたため、海が荒れ、船が前へと進めなくなった。その時に弟橘媛は『これは海神の怒りです。私の願いはあなた様の命の代わりに海に入らせてもらうことです。』そう言って、海に身を投げたことで、海は鎮まり、武尊は先に進めたという。

 

私の息子は武尊(たける)という。姓は橘だ。名前を決める時に、元旦那さんの義理の父から『武尊って、ヤマトタケルじゃん!尊て漢字は神様の意味なんだよ。いいの?』と言われ、そんなことは知らなかったけど、武尊の武も尊も漢字としていいと思ったので、私が独断で押し通した。日本武尊弟橘媛の逸話を知ったのはずっとあとのことだった。

そして数年前、私はツインレイの発信をされているMさんのセッションで、日本武尊の叔母である倭姫命と縁があると言われ、伊勢神宮熱田神宮に行ったりもした。横須賀(相模)の走水神社にも友人が連れて行ってくれたことがあり、上総(千葉)は母方の実家がある場所だ。

そんな不思議な縁もあり、日本武尊弟橘媛の逸話がとても好きなのである。

弟橘媛の心意気に胸を打たれる。胸が熱くなる。愛する人のために命を捧げられる喜びが、なんとなくわかる気がするからだ。命を捧げたいほどの男と出会えた弟橘媛は幸せだったはず。

それほどまでに、女とは本来、陰の存在なのだと思う。陽の男を立たせるために陰で精神的支柱となるべく、そっと傍らにいることがしごとの存在。

そうそう、話は変わるけど(内容は同じだけど)過去に、植田正治の''僕のアルバム''という写真集に強く惹かれ手元に置いていたことがある。植田正治が妻の紀枝さんと子どもたちを撮った写真の写真集。その写真集の中の紀枝さんの写真を見た時に、『あ、わたしだ。』と感じる一枚があった。何度も何度も自分の顔と写真を見比べたのだが、顔のつくりがそっくりという訳では決してない。だけど、その写真の紀枝さんを見れば見るほど、どうしても自分にしか思えないという摩訶不思議な感覚に陥ったことがある。

椎名林檎無罪モラトリアムというアルバムの中に''シドと白昼夢''という曲があり、印象的な歌詞の一部がある。

↓↓↓

 

昔描いた夢であたしは別の人間で

ジャニスイアンを自らと思い込んでた

現実には

本物がいるとわかっていた

 

***

全然違うかもしれないし、この感覚に近いのかもしれない。

あるとき武尊にその写真集の写真を見せ『この人ママに似てると思う?』と聞いたら彼は『似てるも何も…似すぎでしょ。』という、意味深な感想をくれた。

これは、誰でもに分かるものではないだろう。武尊だからそう感じられたんだと思う。

生まれ変わりではない。生きてる期間が被ってるから。ただ、私はこの植田正治の妻として生きた紀枝さんの写真とエピソードを見た時に、この人の生き方が好きだ!と強く思ったのは事実だ。

 

女に生まれた私は陰に徹したい。陰に徹することが私自身の喜びだからだ。

言動と矛盾しているように見えたり聞こえたり感じられるかもしれないけど、内は矛盾してない。

ずっと変わらない。最初に感じた想いが全て。

 

だけど、

だけどきっと、それだけじゃ駄目なんだろう。

 

その奥で光を放っている更なる希望を共に生きることがゴールであり、始まりになるのかも知れない。

 

そんなことを、ドビュッシー亜麻色の髪の乙女を聴きながら思った。

 

 

 

 

妻恋神社からの便り

 

表と裏

 

 

2024年1月1日は月曜日だということに今気づいた。2023年が日曜日で終わり、今年は月曜日ではじまったんだな…

私的にはこれは結構重要な事柄のように思われる。

今日は風が強い。風が強い日が好きなので嬉しい。

これから公園で早速新年初踊りをしようかと思っている。多分元旦の昼間の公園はがら空きだろう。(期待を込めて!)

最近になって、更に踊りたい気持ちが高まってきている。とにかく私という人間は、いつでもどこでもが好きなのだ。この身一つが最高。

ただひとつ、踊りに関しては衣装は重要だと考えている。心がのる衣。理想は麻や綿のような自然素材の一枚布で身体の線に沿うような、スカート部分はヒラヒラと風に靡くような造りのもの。いつか自分で手縫いでつくりたい。今はないので、スリップドレスのような、ワンピースのインナーをユニクロのセールでなんと!700円ほどで入手したのを衣装として家で着ている。それを着ると気分がいいので気持ちが入る。完全にただの自己満の世界だけど、自己満て極めたらどうなるんだろう?やりつづけなきゃ答えも出ないだろう。

とりあえず行ってくる。

 

**

 

なんかね、結局今日は気持ちが乗らなくて断念した。気持ちが大事だから。

山梨に行った時に寄った山の神社が、まるでゼロ磁場のような真空のような場所で、そこでただ座ってしばらくじーっと時を過ごしたのだが、そこでは一歩足を前に踏み出すのに一体どれほどの時間がかかるのだろう?と感じるほど、本気で内発に委ねたときに起こりうる舞踏という世界の深淵を垣間見た。とてもじゃないけどここでは気軽に動くことなんてできないなって。

あの土地のエネルギーはあまりにも人のエネルギーと乖離していて、自分という幻想が完全に消えて失われないことには、繋がりようがなかったのだと思う。

舞踏って、そういう世界なんだと思う。

ただ、私はそういう舞踏の世界に興味はあるっちゃあるんだけど、それを追求したいと考えてるわけじゃなくて、そういう世界であることを知りつつ、私の舞踏という新しい世界を生み出したい、という気持ちの方が大きい。自由に自分のために踊りたい。

多分私にとって自由に踊ることは、瞑想であり、ヒーリングであり、解放なんだと思う。

美しく輝く自分に自分が出会ってみたい、というのが一番正直な気持ち。身体を愛せなかった輪廻を終わらせるには、身体を愛すことしかないだろう。今生は女の私の身体、肉体を愛したい、誰よりも私自身が。

そして、私の身体を愛してくれる人と愛し合いたい。

 

初夢は見たけどすっかり忘れてしまった。

今夜も寝そびれて夜中の3時過ぎだ。

ずっと地震のニュース。

誰かが、こんな大地震が来る日が『一粒万倍日と天赦日が重なる最強開運日なわけないだろ!』と呟いていたが、この地震が自然地震であるのならば、最強開運日に起きたことには目に見えない部分では深い意味がありそうだし、そもそも最強開運日なんて信じる人のためだけにあるようなものだし、仮に人工地震だとしたら、最強開運日をぶっ潰したい意図があったとも勘ぐれるし、最強開運日+元旦に願い事を!と、多くの人の意識が動いていたとしたら、エゴで自分に都合のいい願い事をしまくってた人が多い場合、良い事だけを求める余りにも強いエネルギーが表と裏の関係性により、裏(良い悪いの悪い)の方の引き寄せが起きてしまったとも想像できる。説明が分かりずらいかな?

極に触れる危険性。

いい事だけを求めるエネルギーは、悪い事も同時に引き寄せる可能性があるということにそろそろ気づいた方がいい。そう思った。

だからあんまり開運日だとかに踊らされずに、淡々と粛々と日々を送ることを心がけたい。過去の自分は踊らされてたことがあったから、特に身につまされる想いだ。

年が明けたといっても、エネルギー的にはまだ2023年の延長にある。立春(2/4)以降が本格的な今年のはじまり。

終わるものは終わりゆく。

混沌とした毎日を送りながらも、胸の奥深く静かな領域に集中する時間を持つことを大事にしたい。

 

 

 

初夕日