シュリ日和

まいにちに生きる

大至

 

※この記事は2023年12月18日に書いたものに加筆したものです

 

神田明神に寄っている。

近くのお家で料理の仕事があったから。

 

昨日久しぶりにYouTubeで動画を撮った。寂しかったから。自分の顔を見ながら思いつくままに喋っていたら、気がついたら寂しさが薄まっていた。動画を見返す。不思議なことに今私が聞きたかったことを画面越しの私が話してる。

好きな人の動画を見るのと同じ感覚。いや、もしくはそれ以上。つまり、私が知りたいことの答えや、今の私が求めていることを、私はすでに知っているということだ。

ひとりごとの延長みたいな感じ。

答えは自分の内にある。初めからあった。

 

お仕事現場の近くに、妻恋神社という神社を見つけた。日本武尊弟橘媛ゆかりの神社だ。

弟橘媛は、日本武尊の妻で、自分の命をかけて夫を救った人だ。武尊が相模から上総へ向かう際に海を船で渡ろうとした時、海に対して軽口を叩いたため、海が荒れ、船が前へと進めなくなった。その時に弟橘媛は『これは海神の怒りです。私の願いはあなた様の命の代わりに海に入らせてもらうことです。』そう言って、海に身を投げたことで、海は鎮まり、武尊は先に進めたという。

 

私の息子は武尊(たける)という。姓は橘だ。名前を決める時に、元旦那さんの義理の父から『武尊って、ヤマトタケルじゃん!尊て漢字は神様の意味なんだよ。いいの?』と言われ、そんなことは知らなかったけど、武尊の武も尊も漢字としていいと思ったので、私が独断で押し通した。日本武尊弟橘媛の逸話を知ったのはずっとあとのことだった。

そして数年前、私はツインレイの発信をされているMさんのセッションで、日本武尊の叔母である倭姫命と縁があると言われ、伊勢神宮熱田神宮に行ったりもした。横須賀(相模)の走水神社にも友人が連れて行ってくれたことがあり、上総(千葉)は母方の実家がある場所だ。

そんな不思議な縁もあり、日本武尊弟橘媛の逸話がとても好きなのである。

弟橘媛の心意気に胸を打たれる。胸が熱くなる。愛する人のために命を捧げられる喜びが、なんとなくわかる気がするからだ。命を捧げたいほどの男と出会えた弟橘媛は幸せだったはず。

それほどまでに、女とは本来、陰の存在なのだと思う。陽の男を立たせるために陰で精神的支柱となるべく、そっと傍らにいることがしごとの存在。

そうそう、話は変わるけど(内容は同じだけど)過去に、植田正治の''僕のアルバム''という写真集に強く惹かれ手元に置いていたことがある。植田正治が妻の紀枝さんと子どもたちを撮った写真の写真集。その写真集の中の紀枝さんの写真を見た時に、『あ、わたしだ。』と感じる一枚があった。何度も何度も自分の顔と写真を見比べたのだが、顔のつくりがそっくりという訳では決してない。だけど、その写真の紀枝さんを見れば見るほど、どうしても自分にしか思えないという摩訶不思議な感覚に陥ったことがある。

椎名林檎無罪モラトリアムというアルバムの中に''シドと白昼夢''という曲があり、印象的な歌詞の一部がある。

↓↓↓

 

昔描いた夢であたしは別の人間で

ジャニスイアンを自らと思い込んでた

現実には

本物がいるとわかっていた

 

***

全然違うかもしれないし、この感覚に近いのかもしれない。

あるとき武尊にその写真集の写真を見せ『この人ママに似てると思う?』と聞いたら彼は『似てるも何も…似すぎでしょ。』という、意味深な感想をくれた。

これは、誰でもに分かるものではないだろう。武尊だからそう感じられたんだと思う。

生まれ変わりではない。生きてる期間が被ってるから。ただ、私はこの植田正治の妻として生きた紀枝さんの写真とエピソードを見た時に、この人の生き方が好きだ!と強く思ったのは事実だ。

 

女に生まれた私は陰に徹したい。陰に徹することが私自身の喜びだからだ。

言動と矛盾しているように見えたり聞こえたり感じられるかもしれないけど、内は矛盾してない。

ずっと変わらない。最初に感じた想いが全て。

 

だけど、

だけどきっと、それだけじゃ駄目なんだろう。

 

その奥で光を放っている更なる希望を共に生きることがゴールであり、始まりになるのかも知れない。

 

そんなことを、ドビュッシー亜麻色の髪の乙女を聴きながら思った。

 

 

 

 

妻恋神社からの便り