以前、わたしの尊敬する人が'' お金を払ってでもやりたい仕事 ''がやれた時、人は真の充実感を得られるのではないか?という話をしていたことがある。
『その考えは非常に先進的で面白いな。』と思い、自分なりにわたしにとってのそれは一体何だろうか?と、思い巡らせてきた。
3/3の記事で、昨年はスナックのママをやっていた、と書いたが、あれは、わたしにとってひとつのお金を払ってでもやりたい仕事だった。
自分で買ってきたお酒と、買ってきた食材で料理をし、人に提供し、一緒に飲んだり食べたりしながら、楽しくおしゃべりをしてひとときを過ごす。
この時わたしは、楽しいひとときをお客さんからエネルギーとして受け取り、その対価として、自分のお金を払ったことになる。エネルギーを提供したお客さん側は、わたしからお酒や料理を受け取ったという構図だ。
近代の世のルールの真逆。
だが、これから先の世界はこっちが基本となるくらい、ルールは一変するのではないか?と、予期している。
昔に遡れば、物々交換をしていたわけだが、そこに戻るのでは進化にならない。
わたしたちは、確実に進化している。
時も空間も超越し、いまを積み重ねてきた人間は、新たな扉を開け続ける。行く先はひとりひとりが決められる。
わたしはいま、'' お金を払ってでもやりたい仕事 ''を飛び越えて、'' 命をかけてでもやりたい仕事 ''について考えている。その仕事のためなら命も惜しくない、と思えるほどの、抗えない欲求が心の臓から突き上げてくる。それくらいの熱意を持って臨む仕事。
抗えない欲求…今朝、それを体感した。
あくまでもわたし個人の考えだが、輪廻転生の集大成が今生なのではないか?と、感覚的にとらえているため、もし、次が無いのであれば、やはり命を使い果たしたいと、魂が叫ぶことも頷ける。
自分で言いながら、『この人かなりヤバいなぁー…』と、冷静に自分を見れている自分もいるからまだ大丈夫だと思う。笑
わたしは、神聖な愛の解放のプラットフォームになりたい。
わたしという人間がその機能を果たすことはできないだろうか?
自覚する前から、すでにいくつかの仕事は果たせていると思っているのだが、ちゃんと仕事として機能させたい。
世界観が三段跳びくらい一気に上昇した。そのタイミングが来ている今なんだと思う。
ありがとうございます。
感謝しています。
日頃からこの言霊を大切にしていたら、産まれてきてくれてありがとう!と、親にも言われたことのない、言葉を言ってもらえた。わたしが生まれてきたことを祝ってもらえるなんて、なんだか照れくさくてくすぐったいような不思議な気分だ。だけど、率直な感想として、とても嬉しかった。だから、わたしもみんなに言いたい。産まれてきてくれてありがとう!あなたはかけがえのない大切な命です。
愛してください。
愛せば愛すほど、あなたは愛に満たされます。愛されていることを実感します。
歓びを分かちあって生きましょう。
愛の光で繋がりましょう。
2021年 春