シュリ日和

まいにちに生きる

がっこう



新たな自分で新たに何かを始めたい。


この冬はしっかりと冬眠期間を過ごしたため、例年以上にエネルギーチャージがしっかり完了している。そんな自分の状態と新しい時代へと切り替わるタイミングがバシっと嵌った感覚。

季節も春を迎え、気づけば桜もすっかり散ってしまった。いよいよ動き出したい。

動き出したいが、こんな事やあんな事といったやりたいことは次から次へと浮かんでくるのに対して、アプローチの仕方の方はサッパリわからない。

わたしは、ひとりでやりたくない。

できることならチームで動きたい。わたしの長所は初対面の人の良いところを見抜くこと。得意分野は企画力だ。わたしの不得意分野は実行力。発信の類(PCを使った作業や、SNSなど)はサッパリ。

ここ数日の記事のなかで、こんなことをやりたい!の宣言だけは済ませた。果たして、記事を読んでくれた人のなかで少しでも興味を持ってくれた人はいただろうか?SNSで一切発信していないこのブログを読んでくれている人の中には、恐らくひとりくらいは、わたしのアイディアに何かしらのシンパシーを感じてくれていると信じたい。原石に戻してほしいと思った人や、チームや仲間というワードに、ビビっときた人がいたとしたら、一緒に何かできないものだろうか?と、ひとりで考えている。ひとりで考えてるだけなので、もちろん何も始まらない。


全貌は闇のなか。


闇のなかから手探りで一緒に何かを生み出すというカオスな経験をしてみたいチャレンジャーはいませんかぁ〜?


あなたが今知り得る情報は、このブログ内で発信した、文章や詩や写真などから感じ取ったわたしという人間の人となりだけ。それだけで、あなたはわたしを信じて一緒に何かをやってみたいと思えるだろうか?そこにわたしは非常に興味があります。少なくとも、新しいことをやってみたい!という前向きな意志がない限り、動くことは難しいと思うし、見ず知らずの人間を信じるには、自分の感性を信じる勇気が必要だから。

あと、わたしのスタンス的に、お互い苦手なことをチームで補い合って頼りながら上手いことやりたいというのがあるので、わたしが一方的にあなたに提供するわけではない、ということ。

ただ、この正体不明のプロジェクトに参加してくれるのであれば、わたしはあなたの個人的な悩みを解決する自信はある。


言ってて自分自身、全然わかってない。人と人が出会って会話が生まれ、そこから何が生まれるのか?そこにだけフォーカスしたい。面白いことが起きたらいいな、と思いつつ、面白いことが起きなくても別に構わない。目的があるわけではないのだ。

と言いつつも、頭のなかでは今この瞬間も想像が膨らんでいる。


わたしがいちばん自分を生かせる分野は、もしかしたら教育関係なのではないか?と、最近思い始めた。

教育に関して、かなり独自な手法を取り入れられる気がしている。

たとえば、わたしのチームができるとする。そのチームでひとつのがっこうをつくる。礼節指導はA先生。学問はB先生。芸術(踊り)はC先生。芸術(絵)はD先生。音楽はE先生。料理はF先生。サイキックはG先生。あそびはH先生。就活(才能発掘)はI先生。WebはJ先生。恋愛はK先生。保健(お悩み相談)はL先生…などなど。

生徒は老若男女誰でもOK。興味のある授業だけ好きにチョイスしても〇。生徒から先生になっても良し。先生から生徒に移行しても良し。なんでもOK!不登校の子も安心して行けるがっこう。

ただし、公的な教育機関では無いため、こどもを預けた親からの文句は一切受けつけない。あくまでも、このがっこうは、あそび機関であるとの理解無しでは困る。''すべては生まれた時から自己責任''のキャッチフレーズを打ち出して、ご理解いただいてからがはじまり。

人と人との交流が行われ、ほんとうの生きた学びのあるがっこうをみんなで創り上げていけたら、かなり面白いだろうなぁ〜と思う。

現実社会のなかでは、教師になるにはもちろんそれ相応の教育課程を経て、免許を取らずしてはなれないが、ここでは、がっこうごっこというあそびであるから、免許は要らない。ただ、あそびと言えども、魅力のある人間(才能が開花した)が、適性に基づき先生をやるとなったら、現実の学校の教師よりよほど為になる授業ができる気がするのだ。

さらには、このがっこうの良いところは、先生もアマチュアであるから、教えながら生徒から教わることもでき、素晴らしい経験ができるところにある。お互いにWinWinなのである。

はじまりはわたしかもしれないが、やってるうちに恐らく色んな人のアイディアが化学反応を起こし、拡大分散していくイメージまで描けている。

場所の提供者が現れたり、資金の提供者が現れたり、全国各地に個性的ながっこうができたら新たな時代に相応しい教育が生まれると思う。それはおとなからこどもに教えるだけじゃなく、寧ろ、まっ更なこども側から、生きることに迷い苦しみ続けたおとなへの生き直し教育にもなるのではないだろうか?


以前、わたしの友人が出してくれた''教わる人''のアイディアがここでは生かされる気がする。好奇心旺盛なこども心が生かされる絶好の機会になったら素晴らしいな、と想像する。


わたしがいちばん目指したいものは、自分を喜ばせることをしながら、同時に人をも喜ばせてしまうことの成り行き任せな展開だ。先生も生徒も本気でぶつかり合って、仲を深めたら友達になれる。お互いをリスペクトし合う礼節さえ学べれば、年齢など関係なく繋がり合える。そう。誰でも今すぐなれるもの。


今までの世の中の仕事は、ほとんどが個人の努力により成功している。成功者は、提供者としてどんどん活躍の場を広げていくのに対し、受け手側は、そこから学んだものから自身の成功のために個人の努力を始めて、一部の努力を続けられた者だけが、言い方は悪いが二番煎じ的なカタチで頭角を表すような構図があるように思う。その人たちは努力を続けたわけだから、もちろん、その他大勢の人たちより頑張り続けたという側面から見れば、評価されて当然だし、わたし個人の感想としても、『すごいな』って素直に思う。


だけど、じゃあ、その他大勢の人に才能が無いか?と言ったらそれは違うと思う。努力を続ける忍耐力が無いからダメなのか?と言ったら、それも違うと思う。その人それぞれに合ったやり方がわからなかったり、経験不足なだけだと思う。まして、その状況でひとりでやるなんて、ほぼ不可能に近い気もする。

だからこその協力体制だ。

そこに必要なのは、一歩を踏み出す人を信じる勇気だけ。裏切られても自己責任。すべては自分が成長するための学びとして受け入れることができれば、無駄なことはひとつもない。


どうしよう。世界観がデカくなり過ぎてる。昨日の雷が影響してるかも。


この記事を公開するのは、正直めちゃくちゃ怖い。人の目に晒してしまったら、現実が回りだしてしまう気がするからだ。一日平均視聴者10人にも満たないブログのくせに、本気でビビってるわたしって、しあわせな人なのかもしれない。


でも、でも、

もしもこのアイディアが新たな時代を生きる新しい一手になるとしたら、それこそ、かなり広範囲の人たちに明るい希望の光が差し込みはしないだろうか?

家庭環境に恵まれなかったり、何らかの事情により、やむを得ず施設に入れられたりして苦しんでる子どもたちに、檻から逃げ出して、自分たちだけでも生きていける力をつけさせたい。腐った人間(おとな)を頼らずとも、ほんとうの仲間をつくり、助け合いながらやっていく知恵をつけさせたい。ほかに誰も助けてくれない(頼れない)からと言って、苦痛を受動的に受け入れざるを得ない現状を打破し、自分で自分を救える精神力を鍛えさせたい。漫画や映画のなかだけでなく、現実社会のなかで実現できることを切に願わずにはいられないのだ。


この記事がどこに流れ着くかはわからないが、勇気を出して公開したいと思う。




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美しいハーモニーが聴きたい