シュリ日和

まいにちに生きる

超現実論とハイヤーセルフ

 

 

 

ついに歯医者に行った。

約ひと月前から、右下の手前の奥歯が滲みるようになり、なんとか民間療法で治せないものかと、試行錯誤しながら騙し騙し毎日をやり過ごしていたのだが、自分なりに、これは治療を施さない限りよくはならない!と、昨夜最終結論を出した。とにかく、歯医者に行かなくては何も始まらない。ひと月ものあいだ、毎日毎日、飲食の都度、悩まされていたのだ。今度こそは、ただ歯医者を探して何となく治療してもらって、痛みが無くなり、最後まで通わずに、''喉元過ぎれば暑さ忘れる''で終わらせたくない。今回は大事な大事な転換期だ。できることなら、この先一生、医者要らずに健康に過ごしたい。この歯の痛みから何か大事な学びを得ようじゃないか!!

 

ということで、歯医者選びからめちゃくちゃ慎重になってみる。まずは、ネット検索。もちろんクチコミにも目を通す。だけど、何にでも言えることだが、人の感想など最終的には当てにならない。Aさんにとって良きことが、Bさんにとっても良きこととは限らないからだ。Aさんの評価基準が、治療の正確さだとして、Bさんの評価基準が、先生や受付の人の対応の良さだとしたら、それだけで感想が随分変わってくることもある。惑わされないように、わたしは今回、ひとつ、自分なりに歯医者を選ぶ決め手となる指標を掲げた。それは、歯医者のHPのなかで、先生がその職業に対しての理念を載せているか、否か、という点である。もちろん、その理念を、わたし自身が''先生いいね!''と思えることが前提である。あとは、顔写真。写真の雰囲気から、その人の人となりが、なんとなく伝わってくるからだ。あとは、名前。名前がいい(好きな)人も信用している。以上の点において、合格点が出た歯医者があった。しかも、そのクリニックは、わたしの勤め先から徒歩1分の場所にある。近いことは良いことだ。よし!予約をしよう。ネットですぐ取れた。すぐ取れたことで、『人気ないんじゃ…』という、歯医者選びにおいて、重きを置いていなかった点が気になり始める。一度行ったが最後、もしも気に入らないところだったら、最初の高い検診代を無駄にしかねない。う〜む、、。一日よく考えた。だけど、どう考えても、すぐ見てもらえることは有難いことだし、ちょうど予約が取れた時間も、仕事終わりで隙間時間も出ず、流れが超スムーズ。余計なことが気になったのは、歯医者に行きたくない!という、最後までなんとかして足掻いてやろうっていう、抵抗に過ぎなかった。予約の時間が近づき、今日の勤めも終わる頃、遂にわたしは大人しく観念した。歯医者へ向かう数十歩を歩くなか、心のなかで強く念じる。

 

🌺『わたしがこれから行く歯医者さんは、とても誠実に治療をしてくれました。痛みに滅法弱いわたしの心に寄り添い、痛みを極力感じさせない思いやりのある対応をしてくれました。治療はスムーズに進み、楽しい食事の時間が日常に戻ってきました。あー、なんて幸せなのでしょう。素晴らしい歯医者さんに出会えました。本当に有難う御座います!!!』

 

馬鹿だと思われるだろうが、本当にやった。笑そして、歯医者さんに足を踏み入れ、問診票に記入していて、あることに氣づいた。それは、昨日の記事を読んでくれた人はわかると思うのだが、なんと、歯医者さんの待合室の壁掛けテレビに映し出されていた映画が、ピノキオだったのだ!ジーザス。神様に正解🙆‍♀️を言い渡された氣分。はい、みなさん。これが、ハイヤーセルフと繋がったってことなんですよーー

とりあえず歯医者さんの話をまとめると、わたしは神様から正解をもらったことで、さっきまでの緊張はどこへやら、名前を呼ばれるまでの時間を本当に安心して過ごすことができた。そして、名前を呼ばれ、先生と対面。感じが良い。話もしやすい。テンポの良い診察。わたしの緊張をちゃんと理解し、きっちり説明をした後、次回から治療をしてくださることに。あとは、この先生を信頼して真面目に治療に通えば良いだけ。自分も、良い患者でありたいと思う。

わたしは、🌺のところで、先に自分で決めていたのだ。決めたからその通りになったということ。

帰り道、今回の歯の痛みから歯医者に行くまでの一連の流れのなかでの大事な氣づきについて回想する。わたしが歯医者(医者全般)に行きたくなかった最大の理由は、これまで信用できる医者と出会えなかったことにある。信用とは、安心して、身を委ねることができるということ。しかし、これまでそういう先生と出会えなかった理由はわたしの側にあった。わたしは歯医者(医者)に対して、いつも最初から疑ってかかっていた。この医者で本当に大丈夫だろうか?と、常に疑心暗鬼だった。そのことが、その心の反映として、信頼できない医者を引き寄せていたと考えられる。それプラス、実際に良い医者はそんなに多くいない気もする。そうなると、尚更、自分がちゃんと望みを意図しなければ、良い医者との出会いを引き寄せるのは、なかなかに至難のワザなのではないか。

スバラシイ教訓を得た。いいぞ、自分。

歯が痛くなったことには、ちゃんと原因がある。デンタルケアが行き届いていなかったことや、過去の悪い歯医者の治療に問題があったことや、何かしら、自分の生活習慣における落ち度が大きいであろう。今後、健康に過ごすためにも、治療が終わっても、定期検診に行こうと思う。(なんという改心っぷり!)

やっぱり、どんなに心がスピってきたとしても、肉体がある以上、精神論だけでは解決しない問題も多い。ちゃんと、体を労りながら、元氣な心で生きたいものだなぁ〜と、感じた。

 

現実論からのハイヤーセルフと繋がるって話。ピノキオを例に出すと、うまくいってる時というのは、小さなシンクロが頻発する。ピノキオは良いお知らせ。なぜなら、私が大好きなお話だから。あと、今日の歯医者の先生の名前が賢治さんで、わたしはちょうど昨日、宮沢賢治のことを好きな気持ちを感じていたのだ。だから、大丈夫って信じた。

何だそれ?って言われてしまえばそれまでとも言えるのだが、わたしは自分が『あっ!』て、思うことには、意味があると考えている。そういう小さなお知らせに対する気づきを積み重ねて行くと、面白いことが起きたりする。ハイヤーな自分が連れてってくれる世界があると信じているのだ。

 

氣のせいかも?を流さずにひとつひとつ拾って歩くと、思いがけないミラクルが向こうからやってくることがある。そういう些細なことが、いつか大きな想い出を彩る、スパイスになることを、わたしは自分の経験上知っている。

 

おすすめです。

 

 

 

 

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