昨日は無事に今世の人生前半を感謝のうちに(気持ちの上で)終えることができた。6月3回も通ったお寺の護摩祈祷で最後の浄化を済ませ、清らかな心で、たまたま目に止まった''仏さまの声''という、めずらしいおみくじを引かせていただく。
出てきた仏さまの声は、
'' あなたの存在 ''だった。
貴方のお陰で笑顔になれる。
貴方のお陰で今日も頑張れる。
世の中には不要な人はいません。
貴方の存在は唯一無二です。
と、そこには書かれていた。
余りに有難くて涙が溢れる。
(……嗚呼、今日わたしがこのメッセージを受けとったことにはきっと大きな意味がある。わたしが唯一無二の存在であると言うのならば、わたしはこれからの人生のなかで出会う全ての人に、このメッセージを伝えるお役目をいただいたのだと思おう。しかも、それは、わたしが一番やりたかったことではないか。誰もが唯一無二の存在であることを思い出すためのお手伝いができたらと願ってきたのは、間違いではなかったのだ。)
今までとこれからを繋ぐ架け橋のような仏さまの声は、わたしの心に大きな虹をかけた。
明日からまた、前向きで明るい気持ちで、人生後半に向き合っていこうと、大事な節目の日に素晴らしい志を立てることができた。
神さま、仏さま、ありがとうございます。
心地良い睡眠から目覚めて、とても晴れ晴れしい気持ちで迎えた土砂降りの今朝( 晴れんのかい!笑)
純喫茶での仕事中の学び。
トイレを汚く使われたお客様がいたため、すかさず掃除に入る。しばし、心のなかで悪態の限りをつく。しかし、掃除をしながらあることに気づく。それは、トイレは綺麗に使うことの方が当たり前、という日本という国の清潔さに対する意識の高さだ。
若かりし頃にわたしが行った海外のトイレは、日本以上に綺麗な国は無かった。(行ったことない国はわからないが)
基本的に、日本人の長所のひとつに、トイレを綺麗につかうことができる精神性の高さがあるのではないだろうか?
なぜトイレを綺麗につかえるのか?それは、次に使う人のことを想う心があるということではないか?
よく、トイレットペーパーの引き出し部分を三角に折っておくと、使った人もちゃんと三角に折っておく人が多いことも、『こうしたら次の人も気持ちいいだろうな。』と、自然と目で学んでいるからなんじゃないだろうか?
このことに気づけたことで、わたしは心のなかで悪態の限りをついた、さっきトイレに入った人にも、感謝の気持ちを持つことができた。あの人がトイレを汚く使ったことで、気づけた学びだからだ。
これからは、誰かや何かに腹が立ってしまう時は、言われたことや起きたことに悪態ついてそのまま終わらせるのではなく、感謝に変換できるポイントを是が非でも見つけ出すようにしよう、そう思った。恐らく、波動を落とさないとは、こういう地道な心がけの賜物に他ならないのであろう。
昨日からの有難いの連鎖現象であった。
帰り道は雨も上がっていて、潤いを得た植物のイキイキした表情を写真に収めながら歩く。お花屋さんに並ぶ花や、誰かがお家で育てている花ももちろんいいのだが、わたしは道端に咲いてる何でもないような花がやっぱり好きだな。そんなことを想っていたら、突如頭のなかを、野に咲く花のように〜♪という昔懐かしい歌が流れ始める。どんな歌詞だったっけ?すぐさま調べる。(シュリあるあるです笑)
…素晴らしすぎて泣く。
昨日の志に次ぐ、わたしという人間の目指す在り方として採用させていただくことにした。
みんなにも知って欲しいので歌詞全部載せます。
**
野に咲く花のように
野に咲く花のように風に吹かれて
野に咲く花のように人を爽やかにして
そんな風に僕達も
生きてゆけたらすばらしい
時には暗い人生も
トンネル抜ければ夏の海
そんな時こそ野の花の
けなげな心を知るのです
野に咲く花のように雨に打たれて
野に咲く花のように人を和やかにして
そんな風に僕達も
生きてゆけたらすばらしい
時にはつらい人生も
雨のち曇りでまた晴れる
そんな時こそ野の花の
けなげな心を知るのです
ルルルル…
あなたもわたしも、野に咲く花のような存在なのです。
なんでもないような尊さ