シュリ日和

まいにちに生きる

集合意識




土用の丑の日を目前に、気分が鰻登りに急上昇している。


いやぁ〜、不思議。ほんとに気分て何なのだろう?自分でどうこうしようという気持ちを手放せたことで(流れに身を任せながら徐々にできてきた)以前よりも、より自然と同調できていることを実感している。最近SNS上でも、問題を複雑にして、紆余曲折しながら一周回ったことで、シンプルに''今を楽しく生きよう!''に着地した人をよく見かけるようになってきたが、わたしもそのひとり。ハッピーな集合意識と繋がってるのかも知れない。大事なことは、一周回ること。一周回るなかで、自分の内なる光と闇をちゃんと見る。認め受け入れる。そこを経てから新しい選択をする。(した。)


日々、色んな人が色んなことを言っている。その人が今向き合いたい問題であったり、とても知りたいことであったり、どんな気持ちでそれを発信してるかなんて、わたしには分からない。分からないから、電車の車窓から流れてく景色をただ眺めるかのように、静かに見送る。

自分が何を知りたいのか、それは、結局自分のなかにしかない。他人の言動に反応することに使う時間があるのなら、自分や大事な人を愛するために費やしたい。そう、ちゃんと思えるようになれたことが嬉しい。紆余曲折した日々に感謝だ。


問題を複雑に考えてたときに思ったんだけど、小野田さんや横井さんをお手本にしてみるのもひとつありなんじゃないか、と。

小野田さんと横井さんとは、第二次世界大戦中に、戦地に送られ、仲間が戦死していく中、生き延びた人たちで、それぞれひとりジャングルのなかで戦争が続いていると思い込み、30年近くも身を潜めていた強者だ。情報を得る手段が無かったが故に、彼等のなかでは戦争は続いていた。小野田さんと横井さんのどこをお手本にしたらいいかと言うと、情報を知らなければ自分の世界で生き続けることができるというところ。

ニュアンスとして受け取って欲しいのだが、つまり、要らん情報を知らなければ、自分の世界に影響は与えられない。現代は、スマホというまるで自分の体の一部のように存在しているパソコンがあることで、見たくもないものを半自動的に見させられてしまうところがあるから、情報を得ない!という選択にも、多少極端なことは承知の上で、危険因子の植え付けを回避できる点では、良い効果も期待できるのではないだろうか、という気づき。もちろん、何を見てもスルーできるようになることが望ましいと思うけど、そこに行き着くまでには、なかなか難しいところもあると思うので。


話はまったく変わるけど、今日は午後から雨が上がったタイミングで、久しぶりに出かけることができた。電車を乗り継いで、行ってみたかった喫茶店へ。その店の名物のパンプキンパイ260円を目当てに行ったのに、迂闊にナポリタンのランチを頼んでしまった。喫茶店ナポリタンに対する思い入れは、わたしの大好きなタッチという漫画で、ヒロイン南の実家である喫茶店''南風''のメニューにあるところに始まる。タッちゃんが店番を任されてる時、馬鹿みたいにお客が押し寄せて、みんなナポリタンを頼むもんだから、フライパンを煽りまくるシーンが思い出深い。

とても美味しくペロリと完食。パンプキンパイを追加で注文。食べたところ、パンプキンのフィリングは、わたし予想だと、かぼちゃと砂糖とほんの少しのミルクのみと見た。素朴の中の素朴といった味わい。お母さんの手作りおやつのようで好感が持てた。だけど、自分で作るなら、フィリングにはシナモンとナツメグなどのスパイスと、生クリームは使うと思う。もう少し滑らかな口当たりとスパイスの風味をプラスしたい。もし、わたしが店でそのようなパンプキンパイを提供するとしたら、260円で出せるだろうか?260円という値段設定は、かなり攻めてる感が否めない。きっと、サービスなんだろうな。お店の人の懐の深さを感じた。


とりとめがないですが、終わります。笑






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夏空が綺麗すぎた