シュリ日和

まいにちに生きる

変化




文章を書きたい意欲が全く湧かないここ最近だった。

いつの間にか、表層意識と深層意識の区別がはっきりとつくようになり、何となく不安とか、何となく心許ないとか、急に降って湧いてくるような漠然とした焦燥感も『…これはわたし(のもの)じゃない』と、自分の気持ちを掴むことが出来ている。


そんなわたしの最近の大きな変化と言えば、お腹が空かないことと、出かけたいと思わないようになったこと。あれだけ暇さえあれば、神社やお寺に足繁く通っていたことが嘘のように、行きたいと思わなくなった。何もしない自分に対して、罪の意識もほとんど無い。

知りたかったことを自分なりに情報を取りに行ったり、検証したりして、あらかた知ることができた今、俯瞰して人の発言や言動をただ見る癖が着いてきている気がしている。

深層意識の自分は、依然として前向きで明るく楽しく平和な未来の創造をコツコツと続けている。何となく不安だなぁ〜と感じながらも、鏡に映る自分にニッコリと笑いかけることも自然にできているし、勤務先の喫茶店での人間関係も非常に良好で、いい声を出す(育てる)ことを意識した仕事もできていると思う。自己評価止まりかと思いきや、先日のこと、「お姉さんすっごく声可愛いですね!」と、可愛いお姉さんなお客様から言っていただき、図に乗っている。


わたしは今、自分の気持ちにとても正直に行動できていると言える。夕暮れ時の空を見上げて切なくなることは、自然な心の働きだと思うから、そんな瞬間を写真に撮っている時の自分をわたしは好きだ。撮った写真を見返すと『…ああ、わたしこのとき確かに生きていたんだな。』って、よく分かるから。


さて、お腹が空かないことに言及したい。何故お腹が空かないのだろう?お腹が空く前に食事をしているからだろうか?必要以上に量を摂取してしまっているからだろうか?間食が多いのだろうか?心が満たされているからだろうか?

自分なりの答えは、どれも小さくYES。

家に居る時間が長いと、どうしても口寂しくてちょこちょこ冷蔵庫を開けては、飲み物を飲んだり、この時期だとアイスを食べてしまったりしている。それでも、毎日じゃないし、極力手作りのものを食べるようにしているから、そんなに胃に負担になっているとは思い難い。だとしたらやっぱり思い当たるのは、運動不足か。仕事量も年々減ってきてるし、移動もしなくなってるってことは、それだけエネルギーが消費不足となっているのだろう。あとは、圧倒的に去年までと違うのは、人と会わなくなったこと。これが理由として一番大きいんじゃないだろうか?(わたしの場合)

人と会うことでエネルギーが動いていたのは間違いない。いいことばかりでなく、嫌なことも含めて、様々な感情が動いていたことは、身体にとっては、健全に循環していたのだろう。

わたしが人に言われて嬉しかった言葉に『しゅりと会うとお腹が空く。』がある。その人は、わたしの顔を見るとお腹が空くらしく、一緒に食事をすると、決まって『いつもよりいっぱい食べてる。』と言っていた。わたしは男女問わずいっぱい食べる人を見ると嬉しくなるので、わたしに会ってお腹が空いてくれることが、変な言い方かも知れないけれど、なんだか勲章のように思えた。勲章を貰ったような気持ちになっていた。あの気持ちを思い出して、今とてもいい気分。


人生の師匠であるAさん(以前務めていた飲食店の料理長)は、いつも『お腹いっぱい食べさせたいんだよ。』と口癖のように言っていた。本当はレストランより、皆がお腹を空かせて食べに来る社員食堂とかで働きたいんだ、と。わたしはそれを聞きながら、誰かにお腹いっぱい食べさせたい、という気持ちは''愛情だよな''と思っていた。Aさんの愛はいつも大きくて温かかった。


なんだかとっても空っぽな今。

自分にとって本当に大切にしたいものは何なのかを、深いところで思い出そうとしている時なのかもしれない。





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ある日のごはん🍚