シュリ日和

まいにちに生きる

チーム



いいチームについて模索している。


三月ほど前、わたしの務める喫茶店に新しい仲間が加わった。25歳の男子。彼は、海洋系の大学を出て、研究職を経た後、畑違いの珈琲道場へと門を叩いた。毎日仕事終わりに、マスターから直々に人生道場の講義を受け、自身の生きる糧としている。その、前向きでひたむきな姿勢には、目を見張るものがあり、わたしにも影響を与えてくれている。三月彼を遠巻きに観察してきたが、わたしといい意味で全く違う性質の人であることがわかってきた。


対人関係というものは、互いに自分(エゴ)を知るための鏡の役割を果たしていると思う。鏡を通して、物質の鏡で形としか捉えられない自分の内面を見させられる。他者という鏡に映る自分から、自分が何を善しとし、何を悪しとし生きているかを認知できる。固定観念を映し出してくれる他者の存在を通して、わたしたちは自分に気づかされている。気づきとは感情だ。感情に現れる。

すでにある固定観念が似ている同士だと大きな気づきは起きない。むしろ、エゴが強化される。偽りの安心感に浸り、変化は起きずらくなる。意味もなくつるんでる関係がそれだ。気づきと変化はセットだ。気づかずして変化は起こせない。だから、性質の違う同士が関わることにこそ、意義がある。衝突を避けている以上、大きく生まれてくるものはない。

他者のバックグラウンドというものは自分には全く関係ない。その人の抱えている問題は、自分とは無関係だ。このことに気づかないと、物事が複雑化していく。あくまでも、目の前にいる人は、自分では気づくことのできない自分の観念に気づかせるために現れてくれた感謝すべき存在だという視点を持てた時、自分がひとつ階段を上がれる。このような気づきをひとつずつ重ねていくと、何が起きるかと言うと、本来の自分というものの姿が、泥の中で育ち、美しい花を咲かせる蓮のように、開き出す。


『ああ、これまで自分が自分だと信じてきた自分とは、幻想だったのか』と。


先述のS君の話に戻る。

わたしは、すでに上記エゴの自分に気づく過程はあらかた終えているので、次の段階の話になる。

彼はわたしと性質がかなり違うため、互いの考えを伝え合うことで、お互いに大きな気づきが起きる。真剣に自分の主張をすることで、化学反応が起きる。しかも、彼もわたしも人生道場入門者同士とあって、常に視点が自分向上にあるため、余計な問題が入り込む隙がなく、傍から見たら『お!なんかやってんな!』と見える場面でも、無駄なく影響を与えあえている。ちょうど、昨日そんな場面を繰り広げていたら、わたしたちの化学反応に敏感に察知したY先輩が突然話に入ってきて、モラルを守らないお客さんに対して物申したい!と言ってきた。いや、物申したいけど、わたし間違ってるかな?と聞いてきた。わたしは『いえ、先輩は間違っていないと思います。ぜひ言ってください。』と伝える。

そう、自分が合ってるか、間違ってるか、まともな(やや語弊はありますが)人ほど、何度も自問自答した後、考えを相談する相手がいないと、その気持ちを心の奥に押し込めてしまったりする。そして、小さなもやもやが胸のなかに蓄積されていく。言いたいことを言うことを許さなかった自分は、自分からの信頼を失っていく。これはとても悲しいことだと思う。


言いたいことが自由に言えるようになると、単純にとても気持ちがいい。ほんとうに自分が思う自分の考えというものが、伝えられた時、しかも、それを健全に受けとめてもらえた時、他者との間に信頼関係が芽生えると思う。そのはじまりは、自分自身への信頼からだ。自分に許しを与えることで、他者への許しも起きる。


今日の記事のタイトルはチーム。

いいチームでいい仕事がしたい。わたしはわたしのチームを一から築き上げたい。その為に学んでいる。わたしのブログを読んでくれているあなたが、チームの一員になってくれることを密かに狙っている。わたしのチームの指揮者はわたしだが、あなたのチームの指揮者はあなただ。あなたが自分のチームを創り出すための足がかりとなるような、学びのあるチームをまずはわたしから始めたいと考えている。

信頼関係のある沢山のほんとうのチームが生まれだしたら、お互いに気持ち良く協力し合い、色とりどりの美しい花々が咲き誇る世界が広がっていく。わたしはそんな理想郷を、本気でこの目に映し出す日を夢見ている。


夢のただ中を生きてから還りたい。




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凛と咲く