シュリ日和

まいにちに生きる

12月28日




今年もあと3日と少し。


昨年の12月の記事を読み返していた。文章も詩もとても愛に溢れている。いい意味でそこには力が込められていて、『頑張って生きてたね。』と、今の自分が優しい気持ちで一年前の自分を目を細めて見てあげることができた。

誰かがTwitterで、2020年と2021年は準備の年だったと言っていたけど、わたしもそう思う。2020年に、わたしはそれまでの幻想の自分を色んな人の協力(とは思えなかったことも含めて)の元に、ちゃんと終わらせることができた。そう、0になれたのだ。だから今年は、0から始めて、新しい自分(本来の自分)というものをしっかり始めた一年になった。始めるという言葉的に、何か行動を起こしたと想像されてしまうかもしれないけれど、寧ろ、行動を制限した。ほとんど誰とも会わずに(以前と比べて)常に自分と共にいることだけを心がけた。ほんとうに心からやりたいこと以外はしない!という決意は、2020年も2021年も含めて''違うことはうまくいかない''という経験をいくつもしたから。結局うまくいかなかったことは、違うことだったのだと思う。その辺りが、神さまって本当に信頼できる。違うことに対して、ちゃんと失敗に終わらせてくれることは、有り難いことなのだ。一度の経験では学べなかったことも、何度もトライ&エラーを繰り返すことで、自分で納得することができるようになった。違うことはうまくいかない

つまりそれはイコール、合ってることはうまくいくとセットだ。裏表一体。

だから、物事の動くタイミングとか、神の采配とも言うべき流れに完全に身を任せた。合ってることはうまくいくのだから、安心していればいいのだ。このことをひと言で表すなら、運命を信じる。ということになる。(わたしはロマンチストです♡)

それがわかってもなお、心が揺れることもある。それも当然。常に常に、生きていくとは変化していくことでもあるから。死んでいたら、変化できない。そこが大きな違い。

行動ってどこからどこまでを指すのだろう。人の目に見えるってこと?SNSで発信するってこと?そんなのほとんどの人にとって、ハードル高すぎるよね。わたしは、もっと小さな小さな営みのひとつひとつに対して、頑張ったね!って言いたいよ。ほんのひと握りの人たちだけが行動しているとされて、その人たちを基準にして、それ以下の人たちが劣等感を抱くようなそんな世界にはしたくない。少なくとも、わたしがこれから生きていきたい世界は、すべての人がささやかな幸せに喜びを見い出せる優しい世界だ。頑張って大きな行動をして、みんなを引っ張ってくような人の役目がないとは思わないけど、最終目標は、ひとりひとりが誰に頼らずとも、自分の創造力で行きたい世界を思い描けるようになることだって思う。だって、自分じゃない誰かは、いつ自分の前からいなくなるかわからないのだから。その時に路頭に迷わないように、心の自立が不可欠だって考えている。それって難しいと思うかな?大丈夫。自分に還るだけだから。自分に還ることは、光に還ることで、その光にはみんながいて、永遠にひとりになることはないのだから。魂の生まれた場所。ひとつの魂からわたしたちは分離して、ひとりひとりの肉体に意識が入っている。言い換えるなら、光という神さまがいる。その神さまの分霊(こども)として光の意識がわたしたちにはある。だから、わたしとあなたは同じ。大切に尊ぶべき生命であると考える。わたしたちがこの肉体を去った後、光に帰る。神さまに帰る。わたしは自分が生きてきた人生のなかで辿り着いたこのひとつの答えがいちばんしっくりきている。これが本当か否かは肉体を去ったあとにしかわからないが、確信的にしっくりきていることは確かだ。要約したけど、この話はもっと細分化もできる。正直言って、わたしはこの細分化の部分こそ、自らが生き字引になってこれからの世界のスタンダードにしたいとまで希望を抱いている分野になる。生き字引にならなきゃ始まらないので、いまは時を待っているということ。

話が前後するけど、わたしの持論を述べたい。ひとりひとりの人間という肉体には、魂(光意識=源)と自我(分離意識)がセットで入っていて、輪廻転生する中で、魂意識は永遠に変わらずひとりにひとつあり、自我の方は、転生ごとに変わる。今回の転生において、わたしはシュリという肉体を持った。外側から認知できるシュリに纏わる情報のほとんどは、生まれ育った環境のなかで作られていき、あたかも、それがわたしの全てであるかのように、個性という名をつけられて、承認されている。けれどそれだけではわたしを説明するには不十分だ。魂という側面をシュリは内包していて、それはわかる人にはわかるが、わからない人にはまったくわからない。深い縁というものは、この魂同士の引き合わせである日突然ふいに起きると考える。過去生においても、きっと毎回違う肉体に入りながら、それは偶然に起きていたと想像する。魂が持つ超感覚で、相手を見つけ出していたのではないか?と。

すでにある情報を元に起きる出会いは、わたしが思うに、純粋な縁とは違う気がする。思考(幻想意識において)は自我により、偶然は必然であることの違い。(分かりずらいかも…)


ダメだ。まだうまく説明できる技量が足りない。動画撮影も続けてるけど、まだまだスマートに伝えることができない。わたしは完璧主義なのだ。自分が好きなことに関しては、自分が納得できなきゃ嫌だ。他のことはどうでもいいことも多いけど。


フラットな今だと思ってたけど、けっこう胸には熱いものがあるんだなぁ〜。本気を出したいのだ。この肉体で生きている間に、本気を出し切ってから去りたい。天国に行こうが、地獄に堕ちようが、どっちでもいい。ただ、やりきらずして終わりたくはない。シュリ史上最高の自分に出会いたい。そんな希望の灯火だけは決して絶やさずに、前を向いて歩みを進めていこうと思う。





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久しぶりに花