シュリ日和

まいにちに生きる

卒業遠足

人のお役に立つ記事を意識して、、などと大手を振ったわりに、どうも筆が捗らない。

それに、自分が人の役に立ちそうと考えて書いた記事なんて、全然魅力的じゃないよなぁ〜と、本来の感覚に立ち返る。


穏やかな日常。

シフトチェンジは確実にできている。


いま目の前にいる人に優しく、思いやりをもち接することを心がける日々のなか、大事な大事な卒業遠足の日取りが決まった。


こどものように無邪気に、やったー!やったー!とはしゃぎながら、わたしはどこかでこの遠足は、最後の思い出づくりになると気づいていて、もうどうしようもないくらい、嬉しさと同時に悲しさに襲われている。

涙が後から後から溢れてきては、強く抱きしめずにはいられない衝動に駆られ、布団に顔を埋めた。


最近メンターが激変し、今までならスルーしていたであろう人物に救われている。

愛の波動が合っている証拠に、その人の映像を見て、その人の声を聞いて眠りにつくと、夏の間ほとんどみることのなかった高次と繋がっている実感のある夢を連日みる。

あまりにも、『そんなことある?』と、思わず疑いたくなるようなことを堂々と発言しているため、不思議な感じにもなるが、その人の世界でそれは真実で、わたしはその人の真実の世界を信じたいと思った。

それは、わたしがわたしの世界の真実を信じようという、自信を高めてくれる。


わたしの乗ってる宇宙船地球号は、いよいよ陰極まって陽に転じる目前の今なのだろう。


書いている内容が、朱里日記の頃と変わらない感じになってるが、明らかにわたしはいま、あの時無自覚だったことに対して、自覚して発言している意識がある。わかってて言っている。これは正直大きな違いである。


誰を、何を信じるかは、常に自分が決めることができる。自分のいきたい世界だけを見続けて進んでいく。


昔から惹かれるものに、登山と、パルクールと、スケートボードスノーボードがある。

これらに共通していることは、身体をつかうこと。なぜか、これらに強烈に惹き付けられながらも、''男に生まれていたらやりたかった''と思っていた。女に生まれた自分がやりたいとは思わなかったということだ。


最近、ここまでわたしがやらないことを貫いてきたことには、全部に本当に深い意味があったと思い始めている。

いつまでたっても、何も変わらないことに焦ったり、自分が間違っていることを立証するような情報を追っては、やらなければ置いていかれる焦燥感が常に顕在意識に漂いつづけていた。


しかし、最近ついに、何も変わらないことこそが、わたしのやりたかったことの根幹に確かにあったという感覚に至った。

このままの自分で、どこまでいけるかを知りたかったのだと思う。

そうじゃなきゃ、その他大勢の人の役に立てることなど無い可能性が高まってしまうから。


わたしは、何者にもなれなかった人たちが、そのまま、裸の自分のまま、クリエイティブに生きられることを証明したかった。

何者かになった人間よりも、むしろ、幸せに生きられることもあるのだということを自分という存在を通して示したかったのだと思う。

だから、ブログで実体験を通した冒険を書き続けた。

自分を生きる日常のなかに、素晴らしい出会いや体験が散りばめられてることを晒した。

生活のためにやる仕事を辞め、ぼーっとすることにひたすら慣れたり、好きなことをやったり、そんなことを続けるうちに、インスピレーションが冴え、神社仏閣へ導かれ、前世や未来のことを思い出すことまでできるということを、ブログを読んだ人に知って欲しかった。


なんの技術も経験もないのに、ただ好きだというだけで、スナックのママをやったり、歌ったり、写真を撮って公開したり、まるでアーティスト気取りで色々やってみたことも、自分がやりたいことをやってみたことに嘘はないが、その行為の奥には、わたしができるなら、あなたにもできるはず!


それがわたしの本当にやりたかった大事なことだったのだ。


だから、ある意味、ただの存在としてヒーラーの役割はできていたんじゃないか?(できるんじゃないか?)と勝手に思っている。


生活は決して楽ではないが、苦でもない。

最低限、必要なものは与えられているし、わたしには何より愛する人がいるという、ほかの何にも変え難い宝物がある。

自分にあるもの、与えられている恵だけを活かして純度高く生きることにこれからも集中したい。


自分を、この人生を、諦めるにはまだ早い。

わたしは、あなたのハイヤーセルフとあなたを繋ぐ虹の架け橋になりたい。

会って話したらすぐなんだけどな。

手立てを模索中。



素晴らしい一日を✨


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小さい秋みつけた