シュリ日和

まいにちに生きる

言葉の魔法




また前回から間が空いてしまった。

何処へも行ってはいないが、ちゃんと運命の夏を生きていた。

色々と動き出している今。

わたしはとても勇敢で、同時に、とても臆病でもある。昨日の勇気の反動をしっかりと受け、一歩進んで三歩下がるを繰り返している。勇気を振り絞って出した分だけ、跳ねっ返りも大きく、進んでも下がる訳だが、それでも、定期的に勇気を出し、一歩を踏み出していけるのならば、時間がかかったとしても、かならず見える景色は変わる。

もしも、勇気を出さずに、安心のコンフォートゾーンに留まり続ければ、安心は続く代わりに、進みもしなければ、下がりもしない。しかもその安心とは、幻想の自分が感じる表層意識でしかないから、現実は変わらないのである。


昨日、クラリオン星という星から来た宇宙人と名乗っている小学生の子が家族でやってるYouTubeの動画がたまたまおすすめに出てきたので見てみた。お父さんが主にその子へと質問を投げかけ、それに、子である彼が自分の知っている宇宙の話を言い切るカタチで話しをするのだが、それを観たわたしの感想は『つまんねー。』だった。

その子が嘘をついてるとは思わないし、いい話だな、とも思える話もありはしたのだが、なんだか、ただ知っていることを話してるのを聞いても、面白くとも何ともないのだった。その子自身のイマジネーションの話はそこでは一切語られない。つまり、人間を生きる醍醐味である想像力の話では無いことが、わたしが面白いと感じられなかった理由である。

彼には感情が無いらしく「宇宙人でも感情ありまくりの宇宙人もいますよ、この人みたく。」そう言って母親のことを話した。母親は苦笑い。21世紀らしい新しい家族の形態なのかもしれないが、これまでの感情に支配されてきた家族の形態とはまた違った意味で、考えさせられた。わたしは何となくだけど、『こんな家族嫌だな、。』と思った。


生きることが苦しくてたまらなかった時、この世界の真実を知ろうと、独学でスピリチュアルや心理学を学んだ。そこで得たものは、真実には、自分を生きるための深い意味など無いということ。例え人間が勝手に思考で創り出した概念であろうと、その世界観を面白いと思うのならば、それをとことん信じても良いと思うのだ。自分のことを、歴史上の人物の生まれ変わりだと、堂々と言ってのけられるほど、自分がほんとにそうだと感じているのであれば、言ったっていいじゃないか、その人が幸せであるなら。もしも、生まれ変わりの人物が被ったとして、それぞれがそれぞれの信じたい世界で幸せであるなら、わたしは全然いいと思っている。

それが、ひとつのそれらしい真実を基準としてしまうと、誰かが嘘を言っている。みたいになってしまう。そうするとどうなるかって、もちろん諍いが起きる。平和が失われる。真実って言ったって、とにかく証明することが不可能である以上、どんなにそれらしい根拠をもって解説されようと、何を真実とするかは自由だし、選択はひとりひとりに委ねられているのだから、そこで争うことは、不毛でしかないだろう。だから、被った人たちもどうかわたしが本物よ!なんて主張せずに、お互い心のなかでだけ''わたしが本物''と思って、表向きは譲り合いの精神で仲良くやって欲しいな、、などと、ひとりで考えていたら、愉快な気持ちになった。笑


自分の好きを指標としてYouTubeの動画を見ている人は、おそらく高評価ボタンしか押さないと思うのだが、低評価を押している人を見る限り、その人は自分の嫌い(認めない世界観など)を指標に動画を観ているんだろうなぁ〜と思う。コメントにわざわざ気に入らなかった点を書き込む人って、他人に集中していれば自分に目を向けなくて済むから、楽なんだろうな、と思う。それがいいとか悪いじゃないんだけど、正直に言うと、いつになったら自分を生きるんだろうって思ってしまう。そこには、『あなたのほんとの声を聞かせてよ!』というわたし個人の願いが込められている。


本気で自分を生きるって、超絶怖い。それ以上の怖さは無いとさえ思う。だけどそれでも、生きたい!という心の叫びを一度でも聞いてしまったら、やはり無視はできない。わたしは今この瞬間、ここに生きているのだから。


熱い思いをぶちまけられてスッキリ。読んでくれた人、ありがとうございます。


さて、今日は約半年(いやもっとかもw)ぶりに美容院へ行った。''…いい加減行かなきゃ、行かなきゃ、''と連日頭の中で、行かなきゃ!を反芻していたら、ちょうどホットペッパービューティーからメールがきた。これは今が行き時とみた。

これを逃すとまたわたしは、言い訳に言い訳を重ね、さすがに自分では納得いく手入れが不可能であるにも関わらず、不満を抱えたまま日々をやり過ごすことが目に見えたため、迷うことなくおすすめのトップに出てきたG座のお店を予約したのだった。

安易な予約法ではあったが、担当の男性スタイリストは、わたしと同世代の方で物腰も柔らかくとても感じがよかった。ラッキーだ。会話も弾む。人と会わなくなって久しいため、人と会話ができる喜びに普段より饒舌になる。その方がわたしの髪質を褒めて下さったので、褒め返しってわけじゃないけど、わたしもその方の声を褒めた。いい声だな、と本当に思ったからだ。そうしたらその人は『初めて言われました。褒められるって嬉しいですね。』と、とても素直な感想を伝えてくれ、わたしも嬉しくなる。

以前行った美容院の人に、前髪のセルフカットをとても褒められたことがあり、それを素直に信じて以来、わたしは前髪のセルフカットが上手い!という情報が潜在意識にインストールされた。それから何件か美容院を変える度に前髪カットは褒められ続け、今では完全に自信がある。最初に褒めて下さった方にとても感謝している。きっとあの時わたしは、言葉の魔法にかけられたのだ。

言葉は使い方によっては、自信を生み出す魔法にも、心を殺す刃にもなる。わたしは言葉を魔法としてつかいたい。一日一回は、会う人会う人に、その人の自信に繋がるような言葉の魔法をかけたい。

''今日はちょっといいことあったな、''って、お互いが思い合えるような、ささやかな出来事を日常に散りばめてゆきたいと思っている。





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お気に入りの場所からの眺め