シュリ日和

まいにちに生きる

ASOBI


昨日はとてもいい日だった。



…突然ですが、あなたが本気のごっこ遊びをするとしたら、今日はどの役をやりたいですか?


この質問でいちばんのポイントは、''今日は''という点だ。


こどもの世界では、毎日があそびだから、今日はスーパーヒーローをやりたかったら、スーパーヒーローになれるし、明日は画家になりたかったら、画家になれるし、明後日は、ミュージシャンがやりたかったら、ミュージシャンになれる。


そう。

その日の気分で自由自在に好きな人生を生きられるということである。


わたしの友人は、こう言った。


『わたしは小さい頃から、人間は何故、大抵の人々が、生まれてから育っていく過程で、学校に通い、大人になり、社会に出て働き、結婚し、家族ができ、子育てをし、働き続け死んでいくのか、不思議で仕方がなかった』

と。


わたしはそんなこと考えたことも無かったが、ごっこ遊びに想いを馳せていたら、その不思議が腑に落ちた。


ひとつの仮説を立ててみる。


人間は進化成長過程の間に、どこの誰かはわからないが、自分の都合のいいようにこの世界を支配しようと思って行動した人間たちにより、自分勝手にシステムがつくりあげられた。

いつの間にか長い年月をかけ、そのシステムは大きな力で社会全体を支配し、その枠のなかで生きていくことを大多数の人間は強いられた。

その世界では、二元論の価値観しか存在しない。善か悪か。勝者か敗者か。etc…

言わずもがな、二元論の世界を生き抜くには、戦争(国だけでなく個人も)で勝つ必要がある。敗者は恐れいう波動のなかでも最も低い感情を植え付けられ、その感覚は社会に多大な影響を及ぼす。

勝たねば、殺される(死ぬ)。

故に、戦い続けなければならない。


この状態が当たり前という社会が出来上がったなかで、システムの枠の外を行く道を選んだ者は、恐れに支配された人々により、善か悪か、という、支配の思想に基づき生まれた二元論の判断基準をあたかも正義であるかのように振る舞われ、潰される。

恐れに支配されている人間は、意識的に行動をしていないと思う。自分では気づけないくらいナチュラルに、支配下に生きながらとる無意識な行動が板についてしまっている。


地球は元々、宇宙に漂う星々のなかのただのひとつの星でしかない。美しい自然が織り成す青く輝く奇跡の惑星だ。その星が人間の我欲(主に金儲け)により、破壊され続けている。


一部の覚醒者(気づいた人)による、人類への警笛は、作品を通して魂に訴えかけてきた。本物の大ヒット作(偽物もあるから)は、映画にしろ、音楽にしろ、芸術作品にしろ、書籍にしろ、眠らされ続けている人々へ大事なことに気づかせる(思い出させる)きっかけを与えてくれる役割をしていたと思う。


だから、胸にガツンと響いた作品に対しては、ただ感動して終わるのではなく、そこから何か大事な気づきを得たい。

そこには多分隠され続けた真実がある。

そして、自らの意思で、自分が生きたい世界を生きるために意識的な行動をしていくことができるようになれば、一瞬で平行世界への移行完了だ。


話が脱線しまくって、もはや当初の軌道に戻すことも困難なほど遠くへきてしまったが、

ここからは、上記仮説に基づきながらも、もうすこし柔らかく話をしたい。


シュピリチュアル的にも、時間の概念はない、ということが恐らく確かであろうことが理解できてきた今、地続きの人生しか生きられない!という思い込みのまま生きていくと、友人が言っていたように、大多数の人々が決まりきったレール上を進んで生きていく世界のなかで、当たり前のようにある時間の概念のなかで、地続きに生きることになってしまう。


ちょっと想像してみて欲しい。

高い空の上から、いまの自分の想像できる範囲内でこの先の人生を生きていくであろう自分の姿を。

果たして、その自分はキラキラと輝いているだろうか。最高にしあわせ♡なーんて言って、笑っているだろうか。


わたしは、いまの自分がだいぶ独自の創造をできるようになってきたため(枠の外へ飛び出し、なおかつ人の評価を気にしなくなった。)これからは、日替わりで気分次第のごっこ遊びを主軸とした人生を生きていきたいなぁ〜などと、かなり楽観的に考えている。


ただ、そこで必要となるのが、ごっこ遊びを一緒にやってくれる仲間の存在だ。

ひとりでもできるのかもしれないが、やりたくはない。色んな登場人物がいてこそ、面白くなるってもんだ。


今日はフランス人、明日はインド人、明後日は、ネアンデルタール人


人種も未だに差別がなくならないなら、遊びに活用し出したら、この先の未来が変わるかもしれない。


陰も極まると、突飛もない空想が広がりだす。だけど、空想の世界の風景は、目に見える世界よりも、ちょっとだけカラフルだったりする。


ちなみに今日のわたしは、甘えん坊の白い子猫の気分。無条件に可愛がってくれる飼い主役がいたらなぁ〜などと、想像していまを楽しんでいる。


本気であそべる仲間を求む。

そう。

結局わたしは、人間をあそびたいのだ。



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鈴蘭のようなランプ