12月に夜明け前という記事を書いた。
あれから早3ヶ月。
つまり、長い夜は明けた。
窓から見える春の雨が風に吹かれ流れてく。
大事な節目に自分の人生を顧みる。
今から約5年前の2016年3月にわたしは離婚した。
そこから遡ること4年前には、自覚こそ全く無かったが、離婚の準備を水面下(意識下)では推し進めていたように思う。推し進めたというと、自分で準備して用意したように受け取られてしまいそうだが、わたしがしたことは、ただひとつ。自分の苦しみと対峙し続けたことだけだった。その当時のわたしにはそれしかできなかったから。
来る日も来る日も、その頃のわたしの心を支えてくれた、数冊のバイブルとも言える本を読み続け、現状を変えるにはどうすればいいか?を、少しずつ頭で理解していった。
それでも、小さなことですら植え付けられた固定観念を壊すほどの行動を起こす勇気はなく、ぐるぐる思考に雁字搦めの何も変わらないように思えた日々のなかで、着実に水面下での変化は起きていった。
息を殺すかのように生きていた日常のなかで、わたしはずっと詩を書いていた。詩はわたしにとっての祈りだった。
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何をするために
今という時代に生まれてきたのか
意味があると願える
まだ今なら
すべてを捨てる日が
来るかもしれない
その日を恐れずに
生きていってもいいのですか、神様
恐れずに
心に真っ直ぐに
真っ直ぐに続いているであろう
自分の道を
目の前に見据え
進む日が来ることを
知っているのは、神様
あなただけなのですか
2009.12.28
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魂は求め続けていたのだ。
精神世界とも言える内面の旅を続け、4年の歳月を経て、最終的に自ら現状に変化を起こすための起爆剤は外からやってきた。わたしはその強い力に背中を押され、行動を起こせた。
振り返れば、すべてが必然のタイミングであったように思う。
自分がどうしたいか?どうなりたいか?そこからは、わたしは目を逸らさずに向き合い続けた。
自分の選択が、たとえ、大切な人を傷つけることになろうと、大切な人に恨まれようと、起爆剤の効果により、ひとたび決めた覚悟が揺らぐことは無かった。
わたしはいつも愛に護られていたことを知った。
実際、離婚の決意を家族に伝えた場面で、当時まだ中学生だった息子が泣きながら『ほんとうは離婚して欲しくないけど、それでも自分はママの気持ちを尊重したいと思う。』と言ってくれたのだ。
娘は娘で、泣きもせず、自分の平和な日常が奪われることへの怒りを露わにしてくれたことが返ってわたしを救った。
子どもたちとは、苦しい時期を乗り越えた同士として、今ではひとりの人間として尊敬し合える関係へと発展している。
…昨日ある人が発信していた、''宇宙元旦に自分へラブレターを書こう!''という素敵な提案に乗っかり、生まれて初めて自分へとラブレターを書いた。
これまでの人生を自分なりに頑張って歩んできたことへの感謝の気持ちを伝える文章を心を込めて書いた。そして、自分へと愛を込めて読み上げた。
涙は出なかった。
とても清々しくて、さっぱりとした気持ちになり、読み終わりすぐ目の前で燃やす。
一気に炎に包まれたラブレターは、物質は消えたけど、愛のエネルギーだけは胸に残った。過去は昇華したのだ。
今でもあの時の爆発的な変化を起こした自分を思い出し、日々に停滞感を感じると、『動け!動け!』と、言われている気がしてしまうのだが、これは罠だと思う。
あの時は、あの起爆剤がどうしても必要だったから起きたのだ。離婚させるために目に見えない大きな力が働いていたとしか思えない。流れがあったから。
だから、冷静にいまの自分を見つめる。
『もうあなたは十分頑張ったんですよ。もうこれからはそんなに傷だらけになって頑張る必要などないのですよ。安心して大丈夫ですよ。』
神様の声が聴こえる。
そう、動く時は一瞬。
新たな未来へと進むその瞬間を、なんでもないような気持ちで迎えられるよう、何も変わらないように思える日々のなかで、生きとし生けるものたちへの感謝と共に、心を整えていたいと思う。
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