「海になりたい…」
そう呟きながら目覚めた朝。
海になりたい、と言葉にしたことで、海に行きたくてたまらない気持ちになる。
あの、青くて雄大な美しい海をこの目で見たい。
そして、裸で思いっきりダイブしたい。
自分なんてちっぽけで何でもないような存在なんだって、笑い飛ばせるような大きな気持ちになりたい。
ひとまず流行る気持ちを落ち着けるため、30m級のビッグウェーブに挑むサーファーの映像を観る。
映像ですら恐怖心が湧くほどの、ビッグウェーブを前に、速攻気持ちが落ち着く。
実際これを目の前で見たら、刺激的すぎて、腰が引ける気がした。
昔、友人がセブ島のプライベートビーチに行って撮ってきた写真を見せてもらったことがあるのだが、あれは良かった。
人目を気にせず海で思う存分はしゃいでる姿が、見ているこちらにまで開放感を与えてくれた。
そうだ!
わたしはいま、開放感を味わいたいのだ。
冬の間、冬眠のような生活をしていたため、その反動で、閉じこもっていた心と体を開放したくてたまらない。
南の島に行きて〜な〜。
夢の中でだけでも行けないものかな?
夢ってなんでボタンひとつで選べたりしないんだろう?大まかな設定だけできたら、あとは各々のソースやエッセンス次第で、ありとあらゆるバリエーションで見たい夢が構成されていったらいいのにな。
あ、でも、明晰夢を見る訓練ってあるみたいだし、けっこうできる人もいるのかもしれないな。
まあ、この気持ちも明日には忘れてしまいそうなのだけど。
どんどん流れていく気持ちと、ずっとここにあり続ける気持ちとがある。どちらもただある。
こんな虚無感に襲われる日は、最近ではめずらしい。誰かに必要とされたい。わたしが生かされたい。それは、もちろん自分のためなんだろう。こういう身勝手な自分をだいぶ受け入れることができてはきたが、まだ、どこかで敬遠している自分もいる。
ほんとうは、誰かにとってわたしの存在がいい意味で活用されて、そのことでわたし自身も喜べたら、お互いに嬉しいのになって思ってる。
そう。
最近のわたしには圧倒的に活動が不足している。動きが足りない。だから、エネルギーが回らない。
自分の世界に没頭して満たされる時期と、他者と関わり合いたい時期とがある。フェーズが移り変わる時に来ているのかも知れない。
話は変わるが、今日3/9の0:00に公開された宇多田光の『One Last Kiss』の動画をリアルタイムで観た。
わたしの宇多田好きはすでに公言済みだが、今回の動画もものすごく良かった。
彼女がいまを強く生きれば生きるほど、何故かわたしの目には、彼女の姿は、人間を超えた神様のように映る。
神様なのだけど、それはもう、もちろん生身の人間でしかなくて、瞬間に命が煌いているのを感知できる。笑っている彼女を見つめるわたしの目には涙が溢れる。それはまるで表と裏を同時に映し出す鏡のようで、あんなにも人間離れした人が、すべてを受けとめて人間を生きてきたからこそ身についた、美しく強い生命力を突きつけられてしまうのだと思う。本当に美しい人だと思う。誰かがコメントで、宇多田光は日本の国宝ですって載せてたけど、同感。宝だって思ってる。
こんな日は、アイスでも食べて早く寝よう。明日は明日の風が吹く。
のんびり行こうか