シュリ日和

まいにちに生きる

知らせ




仕事から帰ると、一羽のミツバチが玄関先で力尽きていた。

瞬時に…知らせだな、と感じ取る。


虫の知らせに敏感になったのは、今年の6月頃のこと。百足と黄金虫が連続で家に現れた時から。わたしは、''センス・オブ・ワンダー''を大切に生きていると、このブログ紹介文にも載せている。神秘さや不思議さに目を見張る感性は、どんなに歳を重ねようと、死ぬまで失いたくないと思う。

故に、一羽のミツバチの死から、何を感じ取るかは、自分の感性次第だ。


実は先日、よく動画撮影に使っている(まるでプロ発言w)公園で、ミツバチがずっとわたしの周りを飛び回っていたことがあった。嫌な気はまったくせず、ずっといるものだから、伝えたいことがあるのかな?なんて思っていた。そんなことがあってからの今日だ。流れがある。

ひとまず玄関先で倒れていたミツバチを、可愛い天使の絵のナプキンに包み、公園へと運ぶ。そして、ちょうどいい桜の樹の下に埋める。動画にも収めた。手のひらに乗せたミツバチは、無言で優しい存在だった。

ありがとうね。と別れの言葉を告げる。

メッセージはまだわからない。


9月に、映画の話しをした人に、好きな作品は?って聞かれて「気狂いピエロとか勝手にしやがれとか、」と答えた。

わたしは昔フランス映画が好きだった。あの、意味があるんだか無いんだかよくわからない(早い話つまらない)乾いていて温度を感じないところが。高校を卒業したくらいの年頃に、たくさんビデオを借りてきて家でひとりで観た。

フランス映画の中でも、グランブルー(グレートブルー完全版)は特に有名だと思うが、わたしはグレートブルーのラストシーンが好きなので、グレートブルーだけ何度もみた。アトランティス(リュック・ベッソン監督作品)も大好きで、何度も何度もみたことが懐かしく思い出された。ゴダール作品に欠かせないジャン=ポール・ベルモンドは、なんとこの9月に亡くなったらしい。シンクロに驚く。あの特徴的な顔つきは、なかなか印象深い。


10代の頃、友達と呼べる子は何人かいたけど、現実で繋がっていたのは、とても表面的な浅い部分でしかなかった気がするのは、今、当時を思い返して、瑞々しく鮮やかに甦る記憶は、ひとりで見た映画の世界の方だったりするからだ。たとえ、出会ったこと自体に意味があったとしても、その意味が互いに深く解り合えるほどの関わりをできた相手はひとりもいなかった。幻想世界を生きる中で、わたしは同性の友人たちにとって、とても安全な存在だった気がする。彼女たちにとって安全な存在である以上、わたし自身も安全でいられることをわかっていたし、とかく、女に嫌われる要素を完全に封印していたからだ。すごく好きになれる人と出会えなかったのも、好かれないように、好かれないように、注意深く振舞っていたことも、そこにはちゃんと理由があった。

わたしは実在する人間、誰のことも信用していなかったのだ。

人でなしだなぁ〜…と、思う。

けれど、それもこれも、みんなこの世界のカラクリが原因。致し方無し!と言えよう。

今が大事。

あの頃わたしと出会ってくれた人たちとも、この先のどこかで、本当の繋がりを感じられる日が来ないとも限らない。あの頃よりも、もっともっと、本質的に人間同士で関わり合える可能性がまだあるということに、希望を見たいと思う。






f:id:like_nanohana:20211009204351j:plain


モーゼは海を割ったのだろうか?