シュリ日和

まいにちに生きる

未知




眠い。寝ても寝ても眠気が抜けない。

雨のせいだろうか。星回りのせいだろうか。天から強制ストップがかかっているのだろうか。


夢を見た。

金魚が出てくる夢。わたしは時折金魚の夢を見る。子どもの頃家で飼ってたからか、近所に金魚屋があったからか、金魚掬いが苦手だったからなのか、なぜだか、よく金魚の夢を見る。今日は水槽に大きな金魚が4匹、元気に泳いでいた。淡いパールピンク色の特徴的な一匹がいて、そいつはキラキラと光るスパンコール製の綺麗なヒレをリーゼントのように頭部につけていて、それをヒラヒラとなびかせて、まるで自慢するかのように優雅に泳いでいた。

この夢にメッセージ性があるかどうかは、知らない。


昨日、歌ったり踊ったりできるスタジオに、付き添いで行く機会があり、余った時間で踊ってみた。2020年の2月にわたしから生まれてきた踊り。狭い部屋でしかやったことがなかったので、大きな鏡に映る自分の姿を見ながら踊ったら、とても気分がよかった。

当時、その踊りを踊った時に、数人の人に見てもらえたのだが、ひとりの人から『思考(頭)じゃないところを揺さぶられた。』という素敵な感想を伝えてもらえた。そんなこと言って貰えたことは嬉しかったけど、なんというか、その踊りはわたしが創り出したいう感じはなく(それこそ思考でつくったものじゃなく、自然に生まれた)天から投げられたインスピレーションで振りが出てきて、ひとつの踊りが完成したといった感じだったので、それ以降また踊りをつくりたいと思っても、もう二度とわたしから踊りが生まれることはなかった。当たり前と言えば当たり前なのだ。だってわたしは、ダンサーでもなければ、振付師でも、何でもないのだから。笑

あの時のインスピレーションは、過去世からの記憶のような感じがしたのだが、あれがわたし個人(魂)のものだったのか、誰かのものだったのか、ほんとのところはわからない。ほんとのところはわからないのだが、それでも、あれはわたしのものだった氣がしている。

胸の奥の聖地のような場所で、大切に護られていた秘仏。神聖な女性性。誰でもが気安く触れることを許さない孤高の気高さ。それは、愛するひとりのためにただあるもの。

踊りは古来から神に捧げる舞いとして、存在し続けてきた。性は言葉では表現しきれない。肉体(動き)が必要だと思う。

言葉を削ぎ落とした先に、光だけが浮かび上がる場所を求めて、男は女を乗せて船を漕ぐ。

…なんか、そんな世界観が浮かんだ。


夢なんかぶっちぎって、想像もつかないセカイへと向かっているのかも知れない。

まだわたしの知らないわたしたちが、そこで待っているのかも知れない。

心が動くものを指標にして行きたいと思う。





f:id:like_nanohana:20211109165041j:plain


昨日、踊った足