シュリ日和

まいにちに生きる

1月4日

 

 

 

夜中に目が覚めたとき、半自動的に行うことを今日もやっている。そこには、夢うつつから覚め、地球人間社会で活動をしている間は感じきれない確かなわたしがいて、深い海の底にいるような感覚になる。

 

宇多田ヒカルの' 君に夢中 'をまた聴く。小沢健二の新曲も聴いた。2022年になっても、宇多田とオザケンの生きている世界線を生きていたいと願うわたしがいる。それはあくまでもわたしが、この二人が同じ世界線にいると勝手に思ってるという話。

 

今日は思いついたことを脈絡もなく語ってみたい。

……人間という言葉には、地球に生きている地球だけに存在する特別な生物という意味が自動装置として完備されている印象があるのだが、皆さんはどう思われますか?

わたしは最近それを踏まえた上で、地球人という言葉を広めた方が、その性質がよりわかり易くなるのではないか、と考えており、例えば、地球人と言ったら、地球に生きている人間、という風に限定することができ、もしも、他の星にも人間が存在するとしたら、輪廻転生を繰り返す中で、色んな星に生まれては死に、金星人、木星人、土星人などなど…色んな星を経験し、地球に転生した、地球人という輪郭が見えてくるわけで、兎角、本物のスピリチュアリスト達(瞑想で宇宙と繋がれる人など)が話す、レムリアだとか、アトランティスに関しては、地球に存在した大陸で、そこにあった独自の文明において、地球に転生の多い魂達は、深い光も闇も経験したことがあるのではないか?というような想像が、最近のわたしにはごく当たり前にできるようになっている。そしてそれが事実であるなら、愛と赦しがどれだけ大切か理解できると思う。

以前、占星術を学ぼうとしていた時があり(実際はちゃんと学ばず…)その時はよく分からなかったのだけど、今生、自分のカルテや取説とも言える、生まれた生年月日による星座(裏の龍頭図なども含め)なんかは、本当に深い深い意味があって、その日に生まれてきたことは、全ての地球人が自分(という神様)で決めてきたのではないか?と、マジで思い始めている。だから、自分の星座の特徴には、その人の隠された才能が現れていると思うし、ひとりひとりがシンプルにそれを活かせたら、随分とスムーズに世界は周り出すと思う。あ、ここにはちょっと補足が必要。シンプルに活かせたらと言ったものの、今生の星座はその人にとって、ある意味チャレンジを要する分野なのではないか?とも考えている。もしいま、ここに生きるわたしたちが時代の大転換期と言われている2022年の地球に転生してきたことに意味があるのならば、それぞれがチャレンジャーとして、これまでの繰り返されてきた地球の歴史をひっくり返すために、新しい選択が出来るか?という課題をクリアするため、チャレンジ星座の元に生まれると、決めてきている氣がするのだ。分かりずらいかな?ポイントは、新しい選択をする!

得意なことばかりをやっていても大きな変化は起きない。大きな変化を起こすために、星座ガチャ(最近の風潮に乗りましたw)が行われている氣がする。この想像により、世界感が一変するし、限りなく広がりも感じられる。だから、やっぱりこの地球人として生きる人生の中で、予期せず出逢えた人とは、ただならぬ縁があることは間違いなく、その出逢いと関わり合いが意味することにも、ただならぬ深い理由が潜んでいる氣がしてならない。

すべて仮説にはなるが、宇宙人という言葉についても。宇宙人という言葉は、人間と同じように、宇宙にいる未知の生物で、人間が作り出した架空の存在といったような意味合いで捉えている人が多いと思うのだが、それは、地球にいる支配者たちが自分たちはどんな生物より高等な生物であると、信じ込ませたいがために、地球人に植え付けた概念なのではないか?わたしは今そのように考えている。支配者の思惑通りに騙されている地球人は、宇宙の星々に、地球に生きる人間と同様、それぞれの星に生きる人間がいるなどという発想を持たない。人類の概念も嘘八百で、人類という言葉には、本来は地球以外の星に生きる人々のことも含まれるとわたしは思う。だから、人類みな兄弟とは、他の星の人々とも魂の上ではみんな兄弟だから仲良くしよう!みたいな意味があると考える。

固定概念、固定観念の外に飛び出すことが、覚醒や目覚めってことなんじゃないかな。騙され続けてしまったことは、悲しいことかもしれないけれど、自分という魂の質を現してもいる。支配者側の地球人ではない、ということに価値がない訳がない。前々から思ってたけど、支配者に支配されたままの状態で、この地球で生き延びるために頑張って生きるということは、本来の自分から遠ざかっていくことにほぼ間違いないだろう。支配者たちは、ひとりひとりが本来の自分(神さま視点)に目覚めたら、都合が悪いことから、劣等感や罪悪感や負の感情に振り回されるように世の中のシステムを作り上げ、猜疑心や妬み恨み嫉妬など、あらゆる人と人を分断していくネガティブな集合意識を蔓延させてきた。あたかも、一部の人間だけしか、煌びやかなしあわせを掴むことは不可能であるかのように演出し、この仮想現実を生み出してきたのだ。

そのことに気づいたわたしは、仮想現実を生きてきてしまった責任は悔しいが自分にもあると、まずは責任を受け入れた。責任を受け入れるとは、今の社会のルールをそれが続く間はそれを守って生きることだ。受け入れる必要が無いと思えることに関しては、正当な主張もしながら、できる範囲で遂行している。そのように日々生きながら、これから自分が生きたい真の現実世界の創造を始めている。支配者がこの仮想現実を具現化できたということは、わたしがわたしの理想の世界を具現化することも可能であると思うからだ。

信じ続けること。地球というわたしたちが生まれた星で、理想の世界を具現化することができるということを証明したい。何よりも、自分のこの目にその光景を見せてあげたい。この話を馬鹿馬鹿しいと思うも、希望があると思うも、あなたの自由だ。ただ、希望を見る人たちと共に、集合意識を拡大させて、最高の笑顔で、愛に満ちた平和で優しい理想の世界を実現させる日をわたしはひとり夢見ている。

 

 

 

 

 

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わたしだけはずっと味方だよ