シュリ日和

まいにちに生きる

12月2日




今日の記事をアップできたら、連続投稿4日目になる。連続投稿が4日も続くのは、いつぐらいぶりのことだろう?

前ブログの朱里日記では、当初100日以上連続投稿が続けられた。毎日途切れることなく、書きたいことが湧き上がっていたあの頃の尊さに想いを馳せる。ずっとやってみたかったことを自分にやらせてあげることができた喜びは、想像以上に自分を豊かにした。幻想の世界にいながらにして、勝手につくった心のブロックを解除することは、決して容易い事ではなかった。もちろん、書いてたことの内容は、幻想や真の現実世界のハーフ&ハーフといったところで、自分でも掴みきれていないことを、あたかも掴んでいるかのように、その時の自分なりに、信じていたこと(思想的な)を発信してしまったことも多々あり、いま振り替えると『まだまだわかってないなぁ〜』と思うことばかり。でも、恥ずかしくは無い。その時の自分が懸命に生きていたことに変わりはないから。更に言えば、そういう経験が今に繋がったと思えるから。

人生において、あらゆる経験は財産だと思う。みんな誰でも初めてのことをする時はビギナーだ。どんなにあるひとつの分野で何かを成し遂げた人も、違う畑を前にしたらビギナーであろう。社会的成功者に、社会的敗者の経験はなかなかできない。幻想世界では、成功者が偉くて、敗者は死ね!って世界だが、真の現実世界においては、どちらもひとつの経験としては、社会的成功と、社会的敗北という、経験カテゴリーのひとつにすぎない。どちらを体験するか?の違いなだけのように思う。ひとつの成功体験にしがみつき、何としてでも地位を守り抜こうと必死に生きるより、寧ろ、成り行きに任せて、成功も失敗もどっちも経験することになったとしたら、どちらかしか経験していない時より、見える景色は2倍になるだろう。物事を見る幅が広がるということ。人間力がアップするということだ。だって、経験1より、2の方が数が多いから。成り行きに任せられるって、力が入ってない状態にいなきゃ、なかなか難しい。成功するまでに、人一倍努力してきた人であれば、尚更エゴは必死に抵抗するだろう。

『あれだけの犠牲を払った時間が無意味になるじゃないか!冗談じゃない!何のためにやってきたと思ってるんだ?この栄光を手にするためだろう。違うのか?転落人生になったら、お前には死しか残されていないんだぞ!絶対に今の地位を手放すな。』なーんて頭の中でエゴの喚き声に悩まされる人って実際にいそうだ。そういう人にアドバイス。そんな時はひと言こう言おう。

『…じゃあ、死ぬわ。』

その瞬間、あれだけ喚き散らしていた頭の中にいたエゴは本当に死んでくれるだろう。幻想とはそういう事なのだ。まあ、もしも、社会的地位を確立してしまったけれど、そういうの全部捨ててでも、気ままに生きたいな、って気持ちが本心な人がいたら、ぜひ、上記ひと言を実践してみて欲しい。この人生は一度きりだけど、魂は次の旅を控えているかもしれない。次の旅を見越して、今世の課題はなるべくクリアしといた方が、来世が楽だと思う。神様は有難いことに、わたしたちが本当に望むものを手にできるように、何度でも何度でも(何世でも何世でも)挑戦の機会を与えてくれるので、ね。

まあ、これはあくまで、わたしの世界のお話である。


わたしは今とても幸福。氣分が良いのだ。波動が安定してきた。連続投稿にいま一度挑戦してみようと思う。






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縁結びの女神案はどこ行った?笑