シュリ日和

まいにちに生きる

12月8日




雨の一日。心が落ち着く。

わたしは雨が好きだ。小雨ならほぼ傘はささない主義。そのことを『女の人であえて傘ささない人初めて見た!』と言われたこともある。だけど、デート中に雨が降ってきたならもちろん話は別。そのとき傘が一本しかないなら(いや、二本あろうと)相合傘しないなんて、そんなナンセンスな話はない。ないのに起きるから、ムカつきと同時に、『面白いな、おい。』と心のなかでツッコんだ思い出を懐かしむ。


最後の扉を抜けたと言ったものの、ほんとうに揺らぎすら起きないなんてことあるかな?って、自分を観察してきたけど、今のところ安定が持続している。12月入ってからだから、もう8日間安定中だ。長かったなぁ〜…愛を信じ抜くことって、こんなにも長い道程とは思わなかった。愛を信じるとは、自分を信じるとイコールだ。わたしはわたしを信じている。自分の感覚に対する絶対的信頼。例えば、ある時点の他者を信じたとしても、その後他者が変わってしまった場合、自分が信じたものは、その時点で消滅する。けれど、自分は自分が変わる時には一緒に変わるから、自分を信じていれば、どんどん新しい感覚と共に信じる世界も広がっていく。

スピリチュアルオケラとか、占いジプシーなんてのは、自分以外の人を信じても、人は変わっていくから、その都度、自分を安心させてくれる答えを提示してくれる人を渡り歩いて、答え探しの旅は延々と続き終わらない。自分探しの旅も同じこと。

答えを外側に探し求めても、絶対的なものなんてどこにもないのだ。自分から逃げるのは簡単だが、逃げてる間は居場所が無い状態。不安だから、外側の世界に求める。だけど、外側の世界は刻一刻と変わっていく。いつまでも変わらない自分と変わってく世界の間に安定はない。変わり続ける自分と共に、変わり続ける世界を生きることで、安定を体感する。


言いづらいことを言える人って、偉いと思う。わたしは、言えないからだ。コミュニケーションて、言いづらいことを言い合って始めてちゃんと機能するのだと思う。その時の本音、本心をそのまま出す(渡す)ことで、相手がどのように考えているかがわかったり、思想を知ったり、いいことしかないのに、そういうチャンスが来る度に、思考に邪魔されてきた。わたしは子どもの頃から、大人の考えがわかってしまうところがあり、先に察して、自分の思いをいつも押し殺してきたから、そのことが未だに尾を引いている。聞かなきゃ相手の気持ちなんてわからないのに、察し癖と、押し殺し癖のせいで、気になった時に、何を言葉にしていいかが咄嗟にわからず、押し黙ってしまう。これにはプラクティスが必要だ。そう、人生とはプラクティスだと思う。悲しいことに、子ども時代に生きていく中で学ぶべき大切なことを学べなかった場合、気づいた時から、プラクティスを積み重ねるしかない。正直な気持ちを相手に伝えることが学べなかった人は、この国には多いと思う。気づいた時がスタートだ。いつからだって遅くない。

……というようなことを思うキッカケが、今日あったので。


いつも安心していたい。安心のなかで目を覚まし、活動し、眠りにつきたい。自分が大切な人の安らぎの源になれたら、いいのになぁ〜






f:id:like_nanohana:20211208200837j:plain


水瓶に浮かぶ紅葉🍁