シュリ日和

まいにちに生きる

疑う



わたしの尊敬する、占星術師であり、今ではユーチューバーでもある、マドモアゼル愛先生は、これまで二千年ほど続いた魚座時代のテーマは''Ibelieve(わたしは信じる)''で、人間の最も美しい素養である信じるという想いを利用して、都合のいい嘘を信じ込まされてきた歴史的背景があると、YouTube内で仰られていた。

その話にわたしは大きく頷いた。

そして、2020年冬至を境に入った水瓶座時代のテーマは''Iknow(わたしは知る)''である。


信じ込まされてきたものは一体何であったのか、それを知ることから始める必要があるのではないか。


信じることは、人と人の心を繋ぐ素晴らしいことで、そして、わたしたちひとりひとりが、何のために今この地球に生まれてきたのかを知ることが、これからの時代を始めるスタートラインに立つということなのではないだろうか。


タイトルの疑うは、あまりにもありとあらゆる情報の氾濫が酷い中、情報というものは、あくまでもこんな考えがある、こんなことを考えている人がいる、ということを知るに留めておくだけで、ほんとうに信じるのは究極己の感覚のみしかないとわたしは考えている。


何故なら、わたしはわたしに正直に生きたいと日頃心掛けてはいるが、常に自分自身に対していま信じているものが本当なのか?を疑う目を持つことで、長い時間をかけて作られた、巧妙に張り巡らされた複雑な偽りの包囲網(信じ込まされてきた嘘)をやっと突破できると思うからだ。

いくら良さげな情報を発信している人でも、これができてる人はまだまだ少ないと思う。(愛先生はいつもご自身を疑いながら発信して下さっている)

正しく疑うということができるのは、自分が自分に対してだけなので、他の人の発言は、その人がその時信じていることでしかない、とすると、誰かの言葉を盲目的に信じて安心することも、やっぱり違うんじゃないか?と疑うことも無責任だし、仮初の自己肯定感とはなんと脆いものだろう。

大地に根を張る自己肯定感を自分の力でひとつひとつ積み重ねて体得していくことで、自己信頼も深まる。自分を信じる気持ちが強く育てば、ほんとうの意味で、人をも信じられるようになると思う。


自分が自分を疑いながら、己の感覚を信じ抜いた先に、同じように自分を疑いながら、己を信じて歩みを進めてきた人とが、出会う(合流する)場所がある気がしている。

孤独も極めれば孤高の気高さを放つ。それが個人の魅力になると思う。


一元性の源からの愛によって、二元性の世の中の光と闇を統合していく。


これからも、心と身体の声を聴くことを、まずは何より大事にしていきたい。




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雲の奥にある光を見い出す